【追悼】もういちど飲みたかった ―辛基秀さんよ―  

【追悼】 もういちど飲みたかった   ―辛基秀さんよ―     
                 
                    大木 透

あなたが 前かがみで
横に揺れながら
小股でゆっくり近づいてくるのを見て
僕は すっかり老けてしまった
あなたも老けていたと思う
それでも
ゆっくり手で触れることのできる時を
悠久よりも大切にする声も瞳も
変わらず若かった

あなたは笑って言った
「屏風をどこで買ったか忘れてしまってねえ」
ぼくは黙っていた
あなたが送ってくれた入場券で
そんな屏風を見に行けなかったのを
悔いてはいない
あなたのフィルムで
僕は志賀さんの出獄シーンを見た
そこには朝鮮人のリーダーもいた
そんなあなたを入国させなかった
国もあった

あなたが語り合っていた詩人は
品川駅で咎められていたが
あなたは詩人の歌った人々のなかの
そんな辛であったこともある
六甲山の麓で
あなたはこの国のことを
理想からほど遠いと叫んでいた
あなたのことを知らせてくれた
あなたの学友のこの国の人々は
あなたほど夢を好いていなかった

あなたはコップに注いだ酒に
唐辛子をふって飲んだ
僕もそれをもらって飲んだ
昨日のことのようだが
僕が酒を止めて一〇年も経つから
もっと前のことだ

あなたの友が行った道を
あなたが説明していたのは
去年のことだが
今度はあなたが
説明されなくてはならない道を
進んでいく
辛さんよ
僕はもういちど
あなたと飲みたかったのです

           (二〇〇二・一〇・六)

 【出典】 アサート No.299 2002年10月26日

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