【書評】『庶民列伝──民俗の心をもとめて』

【書評】『庶民列伝──民俗の心をもとめて』
           (野本寛一著、2000.4.10.発行、白水社、2,800円)

 現代社会の構造を厳密な理論によって分析し解明することの有効性は、現実の社会の動きによって確証される。しかしそれは絶えず現実との「隙間」を持つものであり、隅々にまで理論が到達することはあり得ないということも、われわれの経験の示すところである。この「隙間」に着目した著者は、次のように述べる。
 「いくら鋭い分析をしても、論理的な体系を構築しても、その分析や体系の間から血の通った人間を漏らしてしまうことがある。個人の人生や感情の襞(ひだ)を捨象していくのは、学問の宿命かもしれない。しかし、その補いをつけないというのは、あまりにも空しいし淋しい」。
 そこで著者は、自らの研究分野である民俗学で、これを克服することを試みる。その成果が本書である。本書では、個人を基点に「民俗事象」をその人生の中でとらえ、消えゆく仕事や職業に従事する庶民の実際を描くことで、「日本の近代」のある側面に光りを当てる。またもともとが雑誌連載の紀行性のある記事であるため、静岡県という地理的風土的特徴を浮かびあがらせている。
 本書に登場する「庶民」は、多岐にわたる。章の題名を書き連ねるだけでも、その仕事、職業の多様さは想像されるであろう。おおむね以下のようである。
 「第一章 漁る舟影(漁労の人生)」[漁師、海女、牡蠣とりなど]、「第二章 腕におぼえの幾年月(製造加工業と職人の人生)」[砂糖繰り、塩職人、紙漉き、杜氏、舟匠、茸師など]、「第三章 日々の旅路(歩き、運んだ人生)」[馬力屋、牛商い、湯の国ガイド、強力、臼造りなど]、「第四章 山川のあいだ(焼畑・狩猟・川工事)」[熊狩り、乳牛飼育など]、「第五章 田植ボッコのデロ(たくましい女たち)」[湿田農業、カシキ、とりあげ、郵便配達婦、糸ひきなど]。
 これ以外に実にさまざまな職業が登場し、またそれらの労働の際に歌われた唄も紹介されている。本書では、その委細、仕事の手順、道具なども図解されていて、大いに参考になる。
 そして本書を見渡して、著者は、「職業という語と、その実体の関係」について、ひとりの人間がひとつの職業についているものだという一般化された観念の見直しを発見する。すなわち本書に登場する人びとの「職業の複合性、重層性や、職業の複雑さはまことにはなはだしいものがある」ということ、それ故「ほとんどの人が複合的、重層的に仕事をしており、ひとつの職業でおのれを象徴させることはとても無理なありさまである」ことを認識する。そしてその転業には、個々人の仕事への修練のエネルギーとともに、「社会経済構造の変化や生活様式の変貌が強くかかわっている」ことを確認できるのである。過去のものとなり廃業に追い込まれていく職業の場合に、特にその感を強くする。
 さらには、これらの人びとに大きな影響を与えた、明治20~30年代の初等教育の実態や戦争による本人および家族のメンバーに対する痛手なども、本書を語る上では不可欠の点であろう。ただこの点は、紙面の制約もあろうが、もう少し掘り下げてほしかったところである。庶民を組み込んでこそ、日本の近代化は可能となったのであるから、その痕跡は、庶民の生活の隅々にまで及んでいると推測されるからである。この意味で民俗学が重視する庶民の生活史にかかわる側面として、意識(イデオロギー)の問題が取り上げられねばならないであろう。しかしこの点を置くとしても、本書の庶民は、例外なく生活史そのものをあらわしている。
 ただし本書の旧版は1980年(昭和55年)で、今回発行されたものは、ほぼ当時のままであるため、いささか旧聞に属する内容もあることは否定できない。しかし全体として読んでみると、高度成長を経て、日本が「旧い」時代を本格的に忘れ去ろうとしている時期に本書が書かれていたことは、重要である。現在の日本社会が、ほとんど過去の日常生活的伝統から切り離されて、浮き草のように漂いながら、深刻な問題を提出し続けている時、本書は、庶民の生活の中にこそ、脈々と生き続けるものがあったことを示している点で、今日においてこそ価値あるものと言えるであろう。(R) 

 【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

カテゴリー: 書評, 書評R パーマリンク