【投稿】ひとりごと-労使協調ってなに?-

【投稿】ひとりごと-労使協調ってなに?-

◆最近、労働組合に関して、二つの事件を通して感じたことがある。一つは、雪印乳業の食中毒事件であり、もう一つは「そごう」の経営破綻である◆雪印乳業の食中毒事件では、新聞の投書欄でも見たが、会社の衛生管理責任もさることながら、なぜ労働組合のチェック機能も働かなかったのかとの批判がされている。事件の中では、腐敗した脱脂粉乳を加熱処理しただけで再利用したり、賞味期限の切れた牛乳を再生利用していた等の事が明らかにされている。食品製造に関わる従業員が、これらを全く知らなかったとは言い難く、「ちょっと、やばいんじゃないか?」と思っても、「仕事なんだから。業務命令だから」と目を瞑ってきたことが、こうした事態を招いたと言えなくもないのではないか。もちろん、だからといって、一人一人の従業員の責任を問うわけではない。やはり一人一人の従業員にしてみれば、作業工程を批判し、業務命令を拒否することは、社内での様々な待遇・立場を悪くするし、場合によっては、自らの雇用自体も危うくしかねない、相当の勇気のいるものである。大事なことは、そういった疑問を呈したときに、そのことが取り上げられる社内システムになっているのか、労働組合もそのシステムに位置付けられているかである。そして労働組合が、そのチェックシステムの役割を果たすためには、その問題提起した組合員に、不利益にならないように対応できるのか-組合員との関係において、その信頼関係が形成されていることが求められるだろうし、そして、こうしたことの大前提として、会社に対して堂々と問題指摘できる真に対等平等な労使関係になっていることが重要である◆雪印乳業労組は、食品連合傘下で伝統的に労使協調であるが、労使協調は、何も会社の不利となること一切を取り組まないということではない。むしろ労使協調とは、労使が立場上の対置関係にありながらも、双方が経営上の応分の責任を担い合うという意味では、対置関係からくる適度な緊張関係の下、対等平等に双方が指摘・議論・交渉できる関係のことを言うのではないか。連合傘下の組合を中心に、よく「うちの組合(会社)は労使強調」と唱え、極力、会社との摩擦・対立することを避ける組合が見られるが、それは結果として労使協調ではなく、労使依存関係と言うべきものになろう。筆者は、その意味で、世俗的に言う「労使協調」とは区別して、真に自立的で対等平等に基づく双方の責任関係として「労使共同」と言うようにしている◆もう一つの「そごう」経営破綻では、水島前会長の経営責任と合わせ、前中央執行委員長の経営側との癒着・会社資金の不正流用が問題となっている。全そごう労組は、前中央執行委員長体制の人事を刷新すると共に、その責任も追及することを大会で決定した。「そごう」の労使癒着・依存関係は、雪印乳業と同様で、論述するまでもないが、いずれにしても、ここで感じるのは、こうした不健全なる労使関係を防ぐための組合資質の保障の問題である。労働組合も大きくなればなるほど、本来意義が薄れ、管理的な側面が、強くなるのではないかと思う。特にユニオンショップの場合、組合はこれを存続・維持するために会社と一定、妥協的になり、またそれだけに第二労務的な役割を果たす傾向にある。また会社は、組合をコントロールするために、組合幹部に一定の処遇を保障しようとするし、組合幹部も日常的に接するのは、一般組合員より会社側との方が多くなり、一般組合員の不満・意見より会社の主張の方が、理解しがちになる。これらの事柄は、ある程度、やむを得ない側面もあるとは思うが、それだけに労使依存関係に陥らない措置制度を考える必要があろう。例えば組合幹部が特権的なものにならぬよう、一定の年限までとするとか、幹部の交際費等、組合予算の執行について、会計監査とは別に、常に組合員に閲覧・公開されること(組合オンブズマン)とか、通常の執行機関ルートとは別に、直接全体に意見・疑問が提起できる意見公開制度の導入だとかーー。とにかくは労働組合も改革が求められているとき、公開・参加を具体化した措置を、なんでもできるところから、やっていくべきだと思う◆話は若干、変わるが、過日の朝日新聞特集記事で、ある大手会社の中間管理職社員が、リストラリストに自分の名前が載っているのを知り、企業内労組に相談したが、組合が何も取り組んでくれず、やむなく、一人でも入れる労働組合-合同労組に加入し交渉したところ、あっさりリストから外されたとの事が掲載されていた。記事は、このことを通して、今日の企業内労組が十分に、その本来機能を果たしていないと批判していたが、確かに最近の失業者の増大を見るとき、もちろん、残酷なまでリストラ整理する企業も悪いが、安易にそれを許してしまっている労組にも責任は大きいと言わざるを得ない。特に労組組織率が年々、致命的なほど低下し、「なんとか組織拡大を!」と、そのことの問題意識を持っている組合幹部も多くはいるが、先ずは日常の取り組み自体を問い直さなければ、未組織労働者や失業者からの信頼・回帰は有り得ないのではないだろうか◆一方、最近のちょっとした動きとして、合同労組が取り組む争議は増加傾向にあり、また合同労組の組織率は、全体の低下とは別に、恒常的な組織化とは言えないが、微増傾向にある。また失業者は、失業者なりに「自らの雇用は、自ら創り出す」と、失業者ユニオンをはじめとして、あちこちで共同して事業を起こす動きも見られる。まだ多少の変化で、新たな流れとまでもいかないが、目に見えないところで、何かを変えようと模索していることだけは確かだ。世の中、IT革命にグローバル化等々、凄まじく時代が変化するとき、従来の労働組合も、足下からの改革を怠っては、その存在がなくならないまでも、井戸の中の蛙ならぬ井戸の中の大将のままであることだけは言えるだろう。(民守正義)

【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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