【投稿】政治改革は進んでも改革できない日本社会党

【投稿】政治改革は進んでも改革できない日本社会党

政治改革問題、米輸入問題、そして国民福祉税問題さらには内閣改造問題と細川連立丸は右に左にと荒波にもまれつづけている。しかし、なかなか舵取りは巧みで、転覆寸前に見えても、寸でのところでバランスをとって体制を建て直しているが、細川丸のバラスト=社会党は度重なる緊急事態にボロボロになっており、度々船体から剥離しそうになっている。
他の与党からはお荷物あつかいされ、世間からも嘲笑の目で見られているにもかかわらず、何かにつけて「与党第一党」と愚にもつかない自画自賛を繰り返し、それでいて相手にされない現実の前に、プライドの裏返しである被害者意識が拡大していく悪循環に陥っているのである。
この間の、福祉税、内閣改造問題では一定社会党の主張が反映された結果となったが、「勝って兜の緒を締め」るのではなく、無邪気に喜ぶところなど、幼稚園児も顔負けだ。
こうした事態は、身から出た錆というものだ。社会党は与党になって、「何でも反対」からは態度が変わったけれども、何事につけ受身の体質は不変である。そもそも社会党が、政策を積極的に提案し、世論にアピールするという政党としての基本的活動が不得手なのは、中央本部にその能力が欠如しているからと言わざるを得ない。           それを物語るエピソードとして次のような話がある。某地方本部がある法案の審議状況について、中央本部に問い合わせたところ、それを扱う専門局ではらちがあかず、国会の政策審議会に振られたうえ、そこの書記から「何故おれにきくのだ、何処がおれに聞けと言ったのだ」と開き直られたという。また省庁要請のため上京した自治体議員が、要請内容について確認のため、中央本部に尋ねたところ「事情が判っている書記は、政治改革粉砕で走り回っている。他には判る者がいない」と言われ、あきれてものが言えなかったそうだ。
これはもう、イデオロギーや主義主張がどうのこうの、という以前の問題であり、時間を守らないとか、客が来ても挨拶もしない等の、社会人としてのモラルの欠如と併せて、普通の企業なら正真正銘の、誰も文句のつけようのない「リストラ」の対象である。
書記が書記なら、役員も役員だ。政治改革法問題での「造反議員」の処分についても、厳正な処分を求める声が党内的には多かった。にもかかわらず、村山委員長自身が及び腰なのに加えて、中央の規律委員会でも、70歳、80歳の古参党員が「今の執行部こそ処分の対象だ」などと、大久保彦左衛門よろしく、ほとんど放談に近いアジテーションをするものだから、まともな論議をするだけで大変という有り様だ。
こうした状況に対する冷やかな目を尻目に、不逞幹部、書記の自己満足は果てるところを知らない。「月刊社会党」2月号では、安田講堂攻防戦の生き残りの参議院議員が中央本部の「若手書記」相手にお説教を垂れ流すという、一般誌ではギャグにしかならない、壮絶な対談を掲載している。会社でも、役所でも、こうした「全共闘オヤジ」の説教が一番煙たがられているというのに、それをうやうやしく拝聴する「若手」がいては、ますます若者から相手にされなくなっていくだろう。さらに、同号では「日中両党の理論交流から」との報告が載せられている。日本社会党が「日中両党」と表現するのだから、中国にも社会党があるのかと思えば、そんな訳はなく相手は中国共産党である。社会党は自らがいまだに前衛党と思っているのだろうか。いくら「友党」かもしれないけれど、あまりの主観主義には、思わず涙が出てきてしまう。
以上罵詈雑言を書き連ねてきたが、あまりに世間と遊離した党内の意識、行動を何とかしなくては、ということである。
中央本部のこうした状況に負けず劣らず、地方でも悲惨な闘いが始まっている。例えば兵庫県の「左右対立」は有名な話だが、昨年末の県本部大会の流会をきっかけに、遂に県レベルの分裂が起こった。県議会、神戸市議会の議員団は分裂し、県本部の書記局も社会主義協会派が全員退職した為、壊滅状態となってしまった。また分裂の例にもれず、お互いを誹謗する文書合戦が行われているのだが、その文面たるや、この拙文など褒め言葉に見えてしまうような内容である。とにかく、こうした事態は他の県本部でも起こってくるであろうし、ほとんど右派の大阪のような所でさえ、社会党事態が求心力を失いつつあるなかで、深刻な事態を迎えつつあるのだ。
とりわけ、来年その多くが改選を迎える自治体議員は危機感が強く、「人前で社会党と名乗れない」「今度の選挙では無所属で闘いたい」との悲壮な思いで、なんとか生き残る道を探っているのが実情なのだ。この様な状況を、思考停止状態の中央本部は理解すべくもなく、政党助成金がはいれば、地方議員など金でコントロールできるぐらいにしか考えておらず、造反議員問題も、このところの「得点」で曖昧に済まそうとするものだから、党に見切りをつける議員も徐々に現れはじめている。ある総支部では、離党を表明した議員の処分問題が論議された折、離党批判の急先鋒に立っていた別の議員が最後に「おれの方が党を辞めたいくらいだ」と本音を漏らした、という。
一方、離党というどちらかと言えば消極的な対応とは別に、政党の枠を越えた新たな政治の流れを創り出していこうとする動きもある。そうした人達は、社会党のこれまで果たしてきた役割は否定していないけれど、抵抗政党としての過去の栄光から抜けきれない人々とは違い、これからの問題として社会党という組織には必ずしもこだわっていない。
中央本部レベルにおいても、この間の内閣改造問題で浮上してきた政界再編問題に絡め、発展的解消ということがようやく、口にではじめた。党を現状のまま放置しておけば、言いたい放題、やりたい放題の放蕩息子のような議員、党員は居残るけれども、真面目な党員は次々に辞めていく、という事態になるだろう。
本来なら、先月号でも述べられていたように、「小沢一郎」に振り回される「嬉々」とした「殉教者」の役割を自作自演したい人々は、自らそれにふさわしい舞台を準備しなければならない。いずれにせよ、社会党の自己崩壊は始まっており、新たな政治勢力=新党の形成と、地道なしかし積極的な民主主義確立の取り組みの合流、この様な作業を進めていくしか、社会党の最良の部分、遺産を生かしていくことはできないだろう。
(大阪 O)

【出典】 アサート No.196 1994年3月15日

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