【投稿】受け身から「ASSERT」への脱却
「青年の旗」が郵送されてくるのを、毎月心待ちにしている。ここ1、2年の「青年の旗」は、めまぐるしく動く現実社会をいかに認識し、どう対峠したらいいか、それぞれが自らの頭で考えぬいた「主張」が多く掲載されており、実に刺激的である。
とりわけ、労働組合運動の再生に向けて連載された「依辺論文」や、今日の政界再編を前に社会党のあり様から現代政党論にまで論及せんとする「M論文」をはじめ、知的好奇心がかきたてられる論文を読み、幾度となく教えられてきた。「青年の旗」という題字を外してコピーし、地域で共に活動している仲間の人に配ったことも、二度や三度ではない。
なにゆえに心ゆさぶられるのか。これまでに自らが取り組んできた課題、積み上げてきた経験、そして活動している中で、絶えずゆれ動き、わき上がってくる問題意識に、正面から切り込んでくる主張であるからだ。
「ASSERT」として新たなスタートが切られた。「主張・参加・交流のためのネットワーク情報誌」と銘打ってあるのがうれしい。これでようやく、形式が内容に合致したように思う。
わかっていても、これまで路襲してきた組織活動の形態を、時代の動きに合わせて刷新することは、ほんとうに難しい。「青年の旗」から「ASSERT」に題字を変えようという議論が起こって以降今日まで、まず内容自身から刷新してきた編集者諸氏のなみなみならぬ奮闘に頭が下がります。
「自らも『ASSERT』に参画せねば!」という気持ちになる。が、つい日常に埋没してしまい、郵送されてくる「ASSERT」を心待ちしているという、受け身の姿勢からなかなか脱却できない結果となっている。
この激動の時代、まさに自己変革せねばならないのは、この受け身の姿勢だろうと痛切に思う。これからは、それぞれが主張し、、冷静に議論をかわし、新しい改革をお互いが生み出していける民主主義の新たな形態を目的意識的に模索していく時代なのではないか。
編集部のI氏からたび重なる投稿依頼の約束を反故にしてきたこれまでの姿勢に耐え切れず、いま主張したい課題を定めないまま、この文章を書いている。私が「ASSERT」に参画したい問題意識をここに列挙することによって、自らへの書く義務を課したいと思う。
(1)マルクス・レーニン主義に引きつけられて以降、20年経ったいま、そこからかなり離れてしまっている自らの思想的変遷を、読書遍歴をとおしてみつめてみたい。
(2)その思想的変遷から自ずとでてくる現代社会の課題に対し、自らの主張を展開していきたい。あくまでも自ら内発的にでてくる実感を中心に据えながら。
と、決意新たにしていますが、果たして実行できるか。自らのために、今後の自らの人生のために、いかくぐらねばならない課題だと言い聞かせ、「ASSERT」に参画したいと思います。(織田 功)
【出典】 アサート No.196 1994年3月15日