【感想】元「従軍慰安婦」の証言を聞く集いに参加して
昨年12月、元「従軍慰安婦」であった韓国の女性 が日本を訪れ、日本政府に公式謝罪と賠償を求めるとともに、各地での「証言を聞く集い」の中で、貴重な証言をされた。 以下の文章は、ある集会に参加した女性の感想です。本人の了解を得て、掲載します。
私はかつてこんな静かな集まりを見たことがありま せん。そこには150余の人達がいたのだけれど。
「わたしは日本へなど来たくはなかった。」
彼女はそう言いました。
「『日本』『日の丸』という言葉を耳にしてさえ胸がつぶれる思いがする」と。
日本に着いて、
歓迎のためにと通された部屋で「たたみ」を見た途端、叫び出しそうになったそうです。
——-慰安所の暗く湿った「た・た・み」——-
彼女—キム・ハクスンさんは、
17才の時 強制連行され、「何がなんだかわけのわからないまま」慰安婦として日本兵の相手をさせられたそうです。
4ケ月後、後に夫となった朝鮮人の行商人にたすけられ、終戦まで中国全土を逃げ回っていました。
「彼女は結婚というものに意味をみいだせないと言います。たとえそれが朝鮮人であっても、彼女はもう男性とはつきあえない、と。
それは、彼女の夫だったひと(故人)でさえ『おまえはどうせ慰安所にいた女だ』と
事あるごとにののしったからです。」
つきそいのキム・ヘウォンさんはそう語りました。
「わたしはここにいる。
なのに、何故いないと言うのだ。」
彼女にとって日本へくるということは
過去の忌まわしい体験を追体験するということ
そして今、彼女の発する一言一言が披女自身を切り裂いていくのです。
日本がもし戦争責任を認め謝罪していたならば、彼女は日本へ来なくともすんだのに
「わたしは、私自身の『恨(ハン)』を溶かすために日本へきたのです。」
すべて語り終えた彼女は、身じろぎもしなくなりました。
そしてわたしは
拍手というものがこんな場違いな時もあるのだと思いながら
最後——拍手しかできなかった。
「元朝鮮人従軍慰安婦」の証言を開く集いに
参加して
(大阪 M・Ⅰ)
【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日