【ロシアレポート・PART4】ソ連邦解体による負の通産–ナターシャの場合–
大木 のり
ソ連邦解体によってもたらされたものは数多い。それらは時間が経つにつれて顕在化し始めている。
スラブ3共和国(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)がソ連邦の運命を決定した昨年の12月8日、私はロシアの第2の都市サンタト・ペテルブルグ(旧レーニングラード)にいた。現地で最初の一報は、お昼の“プレーミャ”で流された。しかし、平日だったこともあり見ている人は少なかった。私もたまたま遊びにきていた友人のナターシヤとのおしゃべりに夢中であった。丁度その時、ミンスクでのCIS協定調印のニュースを日本からの国際電話で知った。驚いた私は慌ててナターシヤにそのことを伝えた。彼女も私が話すまで知らなかったようであるが、平然と「あらそう。当然よ。これでロシアの経済も良くなるわ。と言った。「でも連邦がなくなると横の管理など連邦の問題だけではないようなことも起こってくるのよ。ちょっと性急すぎない?」と私が言うと、「今は皆民族主義の熱に浮かされているけれど、そのうちやっぱり一緒じゃないとやっていけないってことが分かるわよ。一度はなれてみた方がいいのかもしれないわ」という返事が返ってきた。それでも私が何か言おうとすると、「でももう実際に決ってしまったんだから私たちが何を言ってもしようがないわ。まあ”Πоживём увидм!’’よ(生きてみなければ分からない。この表現はロシア人の好きな表現であり、同時にロシア人自身ののんきな気質を的確に表現していると思う。)」とかわされた。しかし、その時ナターシヤはその後に起る解体の影響など考えもしなかった。
当時、西側にマスコミはこのセンセーショナルなニュースを頻繁に報道し、専門家の間では共同体の今後を占うことが盛んに行われていた。しかし、当のロシアでは大半の人がナターシヤの見せた反応とほぼ同じであった。もちろんこの時期は物不足が最高点に達していた時期であったので、一般の人は将来のことなど考える余裕もなかったのである。
連邦消滅から8カ月が過ぎた現在、やっと事の重大さに皆気付き始めている。ナターシャの弟ミーシャは黒海艦隊のエリート海軍軍人である。彼自身も奥さんもロシア人で、2人の子供がいる。ミーシャー家にも解体による波が押寄せている。周知の通り黒海艦隊を巡っては、ロシアとウクライナの確執が続いている。
ロシア人であるミーシヤもウクライナ軍へ忠誠を誓いなおすことを余儀なくされている。ミーシヤはロシアに戻りたいと思っている。この先国境が閉められる可能性も否定できないからである。その上年老いた母もペテルブルグに住んでいる。ナターシャの話では、ミーシャはいつ解雇されるか分からない状態にあり、もし解雇されてロシアに戻ってきても住む場所も仕事もない。とくに軍人は再就職しにくいらしい。今までは夏の休暇になるとミーシャー家はペテルブルグの母とナターシャのところに遊びにきていたが、今年の夏は娘のレーナー人が来ただけであった。ウクライナでは現在クーポンで給料をもらっているのである。これが通貨の代りを果たしている。しかし、奇妙なことにロシアまでの航空券はルーブルでしか買えない。一人1000ルーブルしかクーポンをルーブルに交換してもらえない。それも多くの書類、証明書、長い行列の後っと交換してもらえるのである。結局ミーシャー家では娘のレーナ1人分しか交換できなかった。
最近になって身内にも及ぶ解体の後遺症をナターシャもひしひしと感じている。「これじゃミーシャたちにも来年は会えないかもしれないわ。どうなっていくのかしら。あの子達の家捜しをしないとダメだわ」と不安そうな口調である。
ナターシャ以外にも親子、兄弟で違う旧共和国に住んでいて、簡単に会えなくなってしまったという話は日常茶飯事である。
70年の間に民族も国家もゆがめられてきたのは事実であるが、現在も旧共和国では様々な民族が共同生活をしていることは現実である。一度解体してしまったものはもうもとには戻らない。反対に旧共和国は独自の利益のみを追求することに専念している。そのことがいかに一般市民の生活に影を落としているかは考慮されずロシアでもウクライナでも権力闘争ばかりが先行している。この先CISがどのようになっていくのか予見することは難しいが、ナターシャ達の幸せを祈らずにはいられない。
9月25日からキルギス共和国の首都ビシュケクでCIS首脳会議が予定されているが、求心力のバネが少しでも回復することが切実に求められている。
【出典】 青年の旗 No.179 1992年9月15日