大阪市立大学 全学自治会選挙の経過(党派別当選数)

大阪市立大学の全学自治会選挙では、1965年に民学同が執行部多数を獲得し、全学の指導権を確立した。その後、68年の選挙では、民学同第1次分裂により、「統一会議」(主流派:共労党系)、「統一会議(民学同派)」に分かれた結果、どの党派も過半数を獲得できず機能マヒに陥り、以後、全学自治会選挙は、実施されていない。

以下に整理するのは、初めての全学自治会選挙である1962年から、最後の選挙1968年までの選挙結果、各党派の獲得数等である。

大阪市立大学では、1962年まで全学自治会は存在せず、各学部自治会のみが存在していた。まず、全学自治会の成立に係る経過を、大阪市大新聞の紙面から、見ていこう。
自治会の存在しない学部もあったが、全学投票により統一自治会が発足することとなった。
「大阪市立大学 ビラコレ」のコーナーでは、市大自治会選挙関連情報を紹介しているので、併せてご覧いただきたい。

1962年6月

1962年6月統一自治会発足


第1回中執選挙

1962年6月「統一自治会」=全学自治会の発足に伴い、同月に第1回中執選挙(全学区並びに各学部)が実施された。
全学区10名、各学部に1名ずつ(当時は、7学部)7名、計17名の全学自治会中央執行委員を選んだ。

 

第1回中執選挙

第1回中執選挙始まる

第1回中執選挙は、社学同が勝利した。

結果は、以下のとおりとなった。
全学区では、社学同4、共産3、マル学同2、無所属1となった。
学部では、社学同3、共産2、マル学同1、構造改革派1となり、合計で社学同7、マル学同3の合計10名が主導権を獲得した。
この時点では、後の民学同・平社学同などは共産党の候補として立候補。
(この項の最後に、まとめの表を掲載します。)

 

第2回中執選挙(1963年6月)も、再び社学同派が勝利する。

第2回中執選挙

第2回中執選挙 再び社学同が勝利

 

第2回中執選挙では、社学同は全学+学部選挙の合計で9名が当選し、勝利。
後の民学同は、「再建派」として、初めて登場し、全学区で2名当選。「革新G」は、6名当選。「革新G」とは、構造改革派の「平和と社会主義をめざす学生同盟」のこと。共産系は、一人も当選できなかった。共産党を除名されていた「民学同G」は、フラクを形成しており、自らを「再建派」と称した。

 

 


第3回中執選挙(1964年6月) 再建派 中執5名に躍進

前年9月に民学同が結成されている。第3回中執選挙では、再建派(民学同)は、中執5名(全学区4 学部1)と躍進する。社学同は全学+学部選挙の合計で8名が当選し、主導権を維持した。
「革新G」は、3名当選。無所属1。

 

 

 

第4回中執選挙(1965年6月)、再建派(民学同)が執行部多数を確保し勝利。

第4回中執選挙

第4回中執選挙始まる


第4回選挙において、再建派(民学同)は、全学区5+学部3、合計8名の当選を果たし、中執の過半数を獲得。はじめて、全学自治会の主導権を獲得している。
社学同は、全学4+学部2の6名当選したが、少数派に転落。革新G、共産それぞれ1、無所属1となった。

 

 

 


第5回中執選挙(1966年6月)、統一会議(民学同)は中執9名が当選し再び勝利。

第5回中執選挙結果

 

第5回中執選挙も、統一会議(旧再建派:民学同系)は、全学5+学部4=9名が当選。昨年から1名増やしている。社学同は、全学2のみ。共産は、全学3+2=5、革新Gも学部1にとどまった。

 

 

 

第6回中執選挙(1967年6月)、再建派(民学同)が11名当選し圧倒的勝利。

 

1967年6月全学自治会選挙

第6回中執選挙も、統一会議派(旧再建派:民学同)は、全学6+学部5、合計11名が当選。昨年から2名増やしている。社学同は、全学2+学部1の3名。共産は、全学2のみ。革新Gも学部1にとどまった。圧倒的勝利であろう。17名中11名の当選を果たして、執行委員長、書記長ポストを確保した。

 


第7回中執選挙(1968年6月)、いずれも過半数届かず、後に機能停止。

1968年第7階中執選挙

1965年から3年間、民学同が全学自治会の主導権を握っていた。68年3月、民学同第1次分裂が発生し、それまでの民学同派は、「統一会議(主流派:共労党派)」と「統一会議(民学同派)」に分かれて選挙を戦った。

結果、社学同5、共産党5、統一会議(共労党派)5、統一会議(民学同派)1、革新G1と、いずれの党派も、中執の過半数に達せず、後に全学自治会は機能停止に陥った。

 

大阪市立大学全学自治会選挙 当選数の経緯 (全学区+学部枠の合計)

全学区+学部 合計

      再建派 共労党 社学同 革新G 共産党 マル学 構改派 無所属

1962年    0    –   7    0    5   3   1    1
1963年    2    –   9    6    0   –   –
1964年    5    –   8    3    0   –   –    1
1965年    8    –   6    1    1   –   –    1
1966年    9    –   2    1    5   –   –    1
1967年    11   —   3    1    2   –   –    –
1968年    1    5   5    1    5   –   –    –

※1968年は、統一会議(民学同)を再建派と表記、統一会議(共労)を共労党に分類

学部区

      商学部  経済学部 法学部 文学部 理工学部 家政学部 医学部
1962年   社学同  社学同  構改  共産   マル学   共産  社学同
1963年   社学同  社学同  革新  社学同  社学同  革新  革新
1964年   社学同  社学同  革新  再建派  革新   社学同 無所属
1965年   再建派  社学同  革新  再建派  再建派  社学同 無所属
1966年   共産   統一   革新  統一   統一   共産  統一
1967年   社学同  統一   革新  統一   統一   統一  統一
1968年   社学同  共産   共産  共労   共労   共労  革新

※ 66年、67年は、再建派(民学同)は「統一会議」として立候補している。
※ 「革新G」とは、「平和と社会主義をめざす学生同盟」が母体のグループ。

※ 写真は、いずれも「大阪市大新聞」による。

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