【本の紹介】『貧困の救いかた―貧しさと救済をめぐる世界史』

【本の紹介】『貧困の救いかた―貧しさと救済をめぐる世界史』
       著者 スティーヴン・M・ボードイン
       訳者 伊藤 茂
       発行 青土社 2009/9/25  2,400円+税

      『貧困の正体』
       著者 トーマス・ラインズ
       訳者 渡辺 景子
       発行 青土社 2009/10/23 2,400円+税

      『貧困問題とは何であるか 「開発学」への新しい道』
       編著 下村恭民+小林誉明
       発行 勁草書房 2009/11/25 3,200円+税 

<<貧困率の公表>>
 経済指標上での、民主党政権になっての一つの大きな前進は、貧困率の公表であろう。昨年10月20日、政府は日本の相対的貧困率を15.7%で、1997年以降で最悪の水準だったと算出・発表したのである。
 これまでの歴代自民党政権は、そもそも貧困率なるものを認めようとはしてこなかったし、貧困の存在を認めることは「失政」につながり、貧困率など問題にならないとして意図的に避けてきたものであった。なにしろ、98年の経済企画庁(現・内閣府)の研究所が発表したリポート「日本の所得格差」では、OECDの公表する貧困率を援用しながら、80年代半ばの日本の貧困率は、世界でも平等度が高い北欧並みだと誇らしげに分析していたのである。
 しかしまさにその80年代後半から事態は急速に悪化し、OECDの2000年なかばの統計によれば、日本の相対的貧困率は14.9%で、メキシコの18.4%、トルコの17.5%、米国の17.1%に次いで4番目に貧困率が高くなっていたのである(OECD加盟国の平均は10.6%、西欧諸国は大半が10%以下、スウェーデンとデンマークは5.3%であった)。政府・与党が推し進めた弱肉強食の自由競争原理主義がもたらしてきたものをあくまでも隠し続けたかったのであるが、その貧困率の急速な悪化は彼ら自身にとっても予想外のものであったのであろう。しかも、「ワーキングプアー」として注目を集めてきた貧困層全体に占める働く人の割合は82・8%で、加盟国中六番目であり、OECD平均の62・8%、米国の72%をも上回るものであった。さらに、母子家庭、父子家庭の相対的貧困率は「OECD加盟30カ国の中でワースト1」であることまでが明らかになった。
 反貧困ネットワークは、「貧困率測定についての声明」(10/24)の中で「日本政府が貧困率を公認したのは、1965年以来である。歴史的な政権交代の果実として、半世紀ぶりに政府は日本の貧困問題に向き合う意志をもった。日本の貧困問題は、これにより、ついにスタートラインに立った。大切なのはここからである。」と述べている。
 同声明は、政府に対して次のような課題を検討し、実行することを求めている。
 「貧困率の統計は子ども・母子家庭・父子家庭・若者・女性・高齢者・外国籍者・障害、基礎疾患をもつ人など特に貧困に陥りやすいグループ、ならびに雇用労働者について個別に算出すべきである。また統計はすべて男女別統計であるべきだ。」
 「今回の発表で、貧困率が1998年以来傾向的に上昇し続けていることが明確となった。なぜ1990年代の「失われた10年」からの脱出期に、そして2002~07年まで続いた戦後最長の好景気時に、貧困率が上がり続けたのか。1990年代以降一貫して推進されてきた、わゆる「構造改革路線」の総括的評価を行うべきである。」
 「貧困率15.7%という厳しい実態を直視し、貧困率削減目標とそのための行動計画を立てるべきである。このままでは、日本は荒廃し続け、持続可能な社会ではなくなる。経済成長率のみに一喜一憂するこれまでの姿勢を改め、貧困率の削減を国の重要な長期戦略の一つに明確に位置づけ、それに向けた諸政策の総合を図るべきである。」
 的確な指摘であり、政府・与党にはそのための政策力と実行力が問われている。

<<貧困とグローバリゼーション>>
 さていまやこの貧困問題をめぐって、大型書店には「貧困コーナー」といっていいほど多くの貧困問題に直接切り込んだ書籍や、現状を告発し、その原因を探求し、事態を解決する政策や処方箋を提示する関連書籍が所狭しと集められ並べられている。
 ここに紹介する書籍は、直面する貧困問題をより広い、包括的な視点から、そしてまた歴史的な視点から、そして学際的な視点から捉え直すという点においてユニークで貴重な試みが提示されている。
 『貧困の救いかた』で著者は、「本書は、ジェンダーという魅力的な問題を無視することなく、それを世界史の中の貧困を研究し、理解する重要なレンズとしながら、一五〇〇年ごろに始まったグローバリゼーションのプロセスに主に焦点を当てる。グローバリゼーションを選択することで、貧困と世界史そのものに対する私たちの理解は深まる。というのも、貧困がグローバリゼーションのプロセスと密接に結びついているためである。」という視点を明らかにする。
 第1章 前近代世界における貧困と慈善活動―原因、認識、戦略
 第2章 新興グローバル経済の中の貧困
 第3章 初期近代の貧困救済の革新
 第4章 工業化、帝国主義、世界の貧困―一七五〇‐一九四五
 第5章 貧困、道徳、国家―一七五〇‐一九四五
 第6章 第二次世界大戦後の貧困と貧困救済
この第6章をもう少し詳しく見ると、
 新たな国際機関とその意義
 貧困の性格と原因
  経済のグローバル化と脆弱性の増大 / 人々の暮らしに及ぼす国家の影響
  相対的貧困の増大 / 状況的貧困の拡大 / 構造的貧困の多様性
  ラテンアメリカやアジアの動向 / 農業中心社会の貧困の様相
 貧困とその緩和に対する態度
  冷戦下の攻防 / 近代化への信念のかげりと従属理論の登場
  新古典派経済学の台頭 / 経済成長の目標 / 福祉国家への批判
 社会福祉、貧困救済、開発
  NGOの挑戦 / その他の国際機関 / 世界銀行とIMF / 国連開発計画 / OECDとODA
という目次からも明らかなように、世界の貧困とその救い方をめぐる歴史を検証し、現代の国家規模の貧困救済や世界規模の福祉政策のありようまでを考察している。
 著者は最後の「まとめ」において、「おそらく、もっとも重要なことは、歴史が行動への呼びかけの役割を果せることである。私たちは誰なのか、私たちはどこにいたのかを正しく理解することで、私たちが、歴史の中でどんな役割を果たせばいいのか判断することができる。貧困の歴史をよりよく理解することによって、よりよい判断が下せることを期待したい。それは、グローバル化が進展する時代の中で、私たちの行動が家族や友人や町、さらには国家の枠をはるかに超えて影響を及ぼすという事実を強固にするものである。」と結んでいる。

<<最も貧しい農村の人々>>
 『貧困の正体』について著者は、「本書は、過去二〇年以上にわたって金融界で働いてきた人々に計り知れない富をもたらしてきた、世界市場の自由化という政策を検証する。本書はまた、それと同じ時期に貧困国が陥った「輸出志向」の罠について述べる。われわれは、現在の政策とよく似た自由放任政策の信用を失墜させた一九二九年の大恐慌のことを忘れてしまったようである。自由市場の原理への信頼が再び、地球上の最も貧しく、最も弱い人々の貧困をさらに深刻化させている。信用危機が始まった後の数ヶ月で、この罠がどれほどひどい結果をもたらすかを予測できた人はほとんどいなかった。」と強調し、「本書では、これらの国々の貿易の変化がなぜ、そしていかにして起こったのか、グローバルな市場とサプライチェーンがどのように働いているのか、どうしたら貧困国とその国民がこの泥沼から脱け出せるのかを説明する。経済について、より質の高い見方を再構築するためのいくつかの方法を提案する。第一に配慮されるべきなのは、貿易を自由化して巨額の金融取引を増大させることではなく、一〇億の貧しい人々に、雨風をしのぐ屋根と、ひもじい思いで眠りにつかないですむだけの食糧を保障することでなくてはならない。本書は、それらの人々に捧げられる。」と、その立ち位置を鮮明にしている。
 第1章「取り残された人々」では、「最も貧しい人々の圧倒的多数は農村部で生活している」ことを明らかにする。「とりわけグローバリゼーションに後れを取った数十カ国に共通する経済的特徴がある。それは、規模が小さいこと、遠隔地にあること、農業や農産物輸出、食糧輸入に依存していることである。最も貧しいのは農村地帯であり、中国やインドのような急成長している国や豊かな世界の多くの国々でさえ、農村の危機に直面している。最貧諸国にとっては、輸出志向のドグマがこれらの問題を深刻化させている。彼らの救済を意味するはずだった輸出品の多くが実質価格を急速に下落させているからである。世界がこれらのグローバルな要因に真剣に対処するまで、経済的格差を大幅に縮小する望みはほとんどないだろう。」と指摘する。
 この指摘は、急成長する中国ならびにインド経済の現実、それが抱える深刻な問題を見るうえで非常に重要な視点といえよう。
 第6章「歴史を無視できるのか」において、著者は以下のような提言をまとめて提示している。
 1.各国政府の独自の政策を決定する力を回復させる
 2.輸出志向を要求することをやめる
 3.農産物の国際価格を回復させる
 4.国際的なサプライチェーンでの力の均衡を回復させる
 5.国内農業と主食生産を支援する
 6.とりわけ主食に関して、国内取引と地域貿易を推進する
 同じ第6章の「貧困を破壊する」において著者は、「われわれは、農村で暮らす九億人の貧しい人々のニーズと利益を優先するよう主張すべきであり、それ以外の人々が彼らに合わせる道を探るべきなのである。経済の領域では、彼らの最も重要なニーズは、労働者の労働に対する適正な賃金と農民の生産物に対する適正な価格である。現在の市場支配型の取り決めの下では、一貫してこれらのニーズを満たすような目標を設定することは野心的、あるいは理想主義的とさえ思われるかもしれない。しかし、そうした取り決め自体が、政治的選択を意味しているのである。以前にも、これとは違った取り決めが存在した。そして、われわれは、ふたたび取り決めを変えることができる。今のまま行けば、多くの人々が直面することになる暗い未来を考えれば、このアプローチは唯一人間味のあるものであり、これと不可避的に対立する強力な既得権益をものともせず、推進していかなければならないのである。」と結論付ける。

<<「貧困問題の社会科学」へ>>
 『貧困問題とは何であるか』の目次は以下のとおりである。
序 章 貧しい人々は何をもっているか:展開する貧困問題への視座
第1章 社会科学としての貧困研究:貧困問題と経済学の出会い
第2章 自由を設計することの矛盾:貧困研究と制度論
第3章 近代国家を超える貧困問題:貧困研究と政治学
第4章 「開発社会学」の挑戦:貧困研究と社会学
第5章 他者の生き方を書く:貧困研究と人類学
第6章 貧困をみる眼と自由の選択:価値実現論からのアプローチ
終 章 貧困問題とは何であるか:開発学への新しい道
 この本の「BOOK」データベースの内容紹介に「貧困の社会科学へ。学際的な貧困研究を通じて浮かび上がる新たな「開発学」の姿。途上国の人々の状況を改善するための道筋を提示する。」とあるように、本書は財団法人・統計研究会の「貧困の学際的研究会」での6年間にわたる研究会活動、「貧困に関して、語る、問う、調べる、学ぶ、気づく、知る、行動する、実践する、現場に行く、展望する、提案するなどの多くの作業」を通じてまとめ上げられたものである。
 編者の下村氏は「貧困問題にかんする多くの類書と比較すると、本書は一つの特徴を持っている。これまで有力な国際援助潮流から見落とされてきた重要な側面に光を当てたことである。」と強調する。
 第1章では、河上肇の『貧乏物語』が取り上げられ、「貧乏物語」を「物語」に終わらせずに「貧困問題の社会科学」へ発展させることが提起されている。
 以上に紹介した書籍には、いずれにも貴重な視点と提言が提示されている。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.386 2010年1月23日

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