【投稿】21世紀の「坂の上の雲」は可能か
<思いがけぬ「低視聴率」>
坂の上に暗雲が立ち込めつつある様だ。
NHKスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」の視聴率が思われたほどふるわない。
第1回が17,7%、2回が19.6%、3回が19.5%、4回が17.8%そして第一部の最終回の第5回が12.9%と平均17.5%にとどまり、単純に比較はできないが、昨年の「天地人」や今年の「龍馬伝」にもいまのところ大きく水を開けられている。
そもそもドラマ「坂の上の雲」は2006年に「日露戦争100周年」を踏まえて放映される予定だったものが、種々の事情で先送りされ、2009年から開始されたNHKの大型企画「プロジェクトJAPAN」の目玉ドラマとして放映されることになった。
同企画は「・・・2010年は『韓国併合から100年』、2011年は『太平洋戦争開戦70年』・・・近現代史の大きな節目を迎えるこの3年間に・・・関連番組を多角的に展開し、これからの日本を考える大いなるヒントを探りたい」(NHKホームページより)とする趣旨であり、明治日本国家肯定の立場から書かれた小説「坂の上の雲」とは立脚点を異にする。原作を踏まえつつ、21世紀の視点をどこまで加味できるか注目されるが、司馬遼太郎の名前が大きすぎるだけに、司馬ファンからは「期待はずれ」との声もあり視聴率にも影響しているようだ。
<原作は現在感覚とズレ>
原作の時代背景は、周知の通り維新から日露戦争終結までの明治時代であるが、小説が産経新聞に連載されたのは1968年から1972年までで、時あたかも「明治100年」、GNPが世界第2位となり、大阪で万博が開催された高度経済成長のピークと重なる時期である。
つまり、1945年の敗戦により坂の上から転がり落ちた日本が、再び懸命に坂をよじ登り、ついにその頂点に達した時代である。日本人が自信を取り戻し、胸を張って生きていた時である。
当然、多くの読者が小説「坂の上の雲」に描かれる明治の日本や群像に、自分たちを重ね合わせ共感を持ったことは疑うべくもない。さらに60年代の後半と言えば、日露戦後60年であり、小説にも登場するように、私の周りにも日露戦争従軍体験を持つ人が何人か存命していた。
既に昭和11年には正岡子規の孫弟子が「明治は遠くなりにけり」とうたったが、戦後も明治は結構身近に存在していたことも、小説が広く支持された理由の一つと言えよう。
一方70年前後は、高度成長の歪みは様々な形で噴出し、私たちの先輩が各学園で懸命に闘っていた時代でもあるが、多くの日本人がそれらには目をつぶり、繁栄を謳歌していた。
小説「坂の上の雲」も「女工哀史」に代表されるような明治時代は微塵も見えず、列強のなかでひたむきに生きる姿ばかりが描かれ、昭和後期の日本人に免罪符を与える役割も果たしたと言える。
このあたりは、司馬遼太郎が昭和前期の軍国日本を嫌悪するあまり、その反動で明治を美化するスタンスと、英雄譚的な作風から小説が「美談」「善行」の連続になったというのはそうであろう。いずれにせよ、執筆時期と小説の時代背景が共鳴したところに「坂の上の雲」が国民的名作とされる所以がある。
ところが、現在はそうではない。坂の上には登ったものの、めざしていた一筋の雲はなく、五里霧中のなか立ちすくみ、そうしている内に足下が崩れて来た。今はその様な状況ではないか。
明治の日本、明治の日本人を郷愁と共感を持って受け容れることのできる余裕は無く、「坂の上の雲」を見ても、展開が自己肯定の極みとも言える原作のままでは、ズレが拡大していくばかりだろうし、70年代以降東アジア諸国民の連携で創りあげられてきた歴史認識も反映されないものとなってしまう。
<アジアからの視点が重要>
こうした時代は、まさに「これからの日本を考え」なければならない状況であり、「日露戦争100周年」から「プロジェクトJAPAN」へと枠組みが変わったことは適宜であったと言え、これまで放映された回ではそのコンセプトに立脚した演出が随所でなされている。 第4回「日清開戦」では陸、海の戦闘場面があるが、「流血」を好まないNHKにしてはかなりリアルに描いてる。例えば、秋山真之の乗り組む「筑紫」が被弾するシーンではVFXを多用し、「男たちの大和」の様な凄惨な艦上光景が再現された。また、正岡子規の従軍について小説では「遊びのようなもので終わった」で片付けられている。しかしドラマでは日本軍の強制的な物資徴用と抗議する清国民衆の姿、軍の行為に疑問を呈する子規と『(老人は)「ニッポンノヘイタイサンアリガトウ」と言うておる』と開き直る下士官のからみが描かれている。
またその流れのなかで、正岡子規と森鴎外の邂逅というエピソードが挿入され、派遣軍の軍医部長の鴎外が戦病死者の実態を語り、「文明開化の押し売り」と日本の政策に疑問符を投げかける場面もあった。これらは原作にはなかったものである。
さらに第3回「国家鳴動」では日本軍の仁川上陸に怯える韓国人親子の姿が描かれ、第5回「留学生」冒頭では、駐韓日本公使の三浦悟郎らによる閔妃暗殺にも触れられている。
小説「坂の上の雲」では日清、日露戦争とも戦地となった韓国、中国についてはほとんど書かれていないので、こうした演出、脚色はプロジェクトに依らずとも当然のことと言える。しかし固陋、右翼的な「ファン」からは「中国、朝鮮に媚びている」などとの批判もでている。これは「坂の上の雲」と同じ「プロジェクトJAPAN」の一環として植民地時代の台湾の実態を描いた「JAPANデビュー」に対して向けられた攻撃と軌を一にするものである。
原作者も脚本家も故人となった現在、修正には容易な部分も難易な問題もあるかと思われる。3年間という企画期間にあわせるためとは思うが、1年という長期のインターバルも気にかかるところである。しかし今回の企画は、前述の場面を単なる付け足しとする中途半端なドラマではなく、賞味期限の切れてしまった原作を、時代の求めるものとして再生させる試みとしなければならない。来年以降放映される「坂の上の雲」第2部、第3部でもNHKがこうした姿勢を貫けるか注目していきたい。(大阪O)
【出典】 アサート No.386 2010年1月23日