【雑感】 真夏の夜の夢

【雑感】 真夏の夜の夢    by 大木 透

島田雅彦の小説「無限カノン」の第2部「美しい魂」が出た。単行本になった第1部「彗星の住人」、第2部より先に出た第3部の「エトロフの恋」とあわせて通読してみた★この第2部の刊行が変則的なった事情は、噂を含めて言うと、次の通りである。すなわち、連作「無限カノン」の第1部として、『彗星の住人』(新潮社)が出たのは、00年11月。「蝶々夫人」のモデルという設定の女性から始まる血族4代の恋物語が時代を追って語られた。第2部『美しい魂』の刊行は1年後と予告され、主人公のカヲルと、やがて皇室に嫁ぐことになる幼なじみの不二子の「最も危険で」「描くことの難しい」恋のてんまつがいよいよ書かれるはずだった。しかし、この出版は、雅子妃の出産時期と重なった。ヒロインが雅子妃と同一視され、興味本位で読まれて騒ぎになることを危惧した版元は出版延期を決めた。作家も同意のうえだった。そのいきさつを明らかにした島田の「『美しい魂』は眠る」(単行本『楽しいナショナリズム』所収)では、皇族を描いた小説で出版社社長宅が襲撃され死者が出た「風流夢譚」事件の影響にも触れている。「無限カノン」は三島由紀夫「豊饒の海」4部作、なかでも『春の雪』を思わせ、『源氏物語』の恋物語を現代において描き直す試みともいえる。ヒロインは海外生活が長く、大学卒業後は国連勤務という設定はある部分雅子妃とも通じている。このため、「新潮」掲載にあたっては、ヒロインと雅子妃が同定されないための改稿が若干なされ、650枚の原稿は630枚になった。「同定されるおそれがあるのが私人の場合でも、配慮するのは同じだと思う。小説がスキャンダルの背後に回るのは避けたかった」と島田は言っている★これを通読するに際して、当然のことながら、品性下劣な私は、この事情なるものが、この小説にどのように投影されているかを知ろうとした。それは文学作品をまともに読もうという姿勢ではなくて、どこかテレビのレポーターのような感覚に導かれていた★この出版延期の事情が、なるほどと思わせる特定人物への同定が至る所に出ていて、それを探るだけでも興味はつきないし、エンターテインメントとしては水準の高いものだった★しかし、この一年半の間に、この出版をめぐって、背後でどんな人々が活躍し、どんなつばぜり合いが繰り広げられたのかということを考えると、どうみても、同定されている側となんらかの阿吽の呼吸のやりとりがあったのではないかと思うのは私の偏見だろうか。「風流夢譚」や「セヴンティーン」がどのような「騒動」を引き起こしたかを知る作者や出版社が、この間に、そういう事態を避けるためにさまざまな手だてを駆使したと思うのが当然だろう。そして、それが一段落したので、新潮八月号に発表されたのだと推測する。もちろん、発表されてからまだ日が経っていないから、これからなにが起こるか余談を許さない。が、私は、多分、大事には至らないのではないかと思う★こう思う確たる根拠はないが、これは実に壮大な大河小説であり、その大道具として、皇室の過去、現在、未来が同定されているのであるが、そこに描かれた皇室の姿は、現在の皇室(特に皇太子夫妻)が許容できる、あるいは、望んでいる方向とさして齟齬をきたすものではないと推測されるからである。描かれている、自然神の象徴としての皇室という見方、真善美に通暁した人間的な皇太子と不二子こと皇太子妃の人柄、これらは、イギリスのダイアナのスキャンダルとくらべると、国民の規範になりうるほど立派で、それこそ、日本の象徴を担うに足るものである★ということになると、作者が目指した「歴史の記述から除外されているのは感情だが、その背景には当事者たちのやむにやまれぬ思いが重要な要因としてあり、歴史を作る原動力ともなる。とりわけ複雑に働くのが恋愛です」、「歴史は事後的に構成されるものだけど、出来事が起こった時には違うパースペクティブがあったはず。歴史を当事者のエモーションの側から眺めてみる試みです」という試みが、こうした皇室や原節子などと同定されるような人物を登場させることによって、首尾良く実現されたであろうか。断じて否である。こうした「スキャンダラス」な「同定」によって、読者の目はそこに集中してしまって、作者がこの小説にこめた真意をくみ取ろうとする熱意を冷えさせてしまうのではないか。そういう悪い効果しかもたらさないことに、作者はなぜこだわったのだろうか。まさか、島田が、皇室の大衆化の宣伝のお先棒を担ごうという殊勝な考えを抱いたとも思われない。これらについては、今後、明らかにされることを期待したい★まあ、ともかくも、今は、この「無限カノン」三部作が、無事、完結したことに拍手を送りたい。願わくば、これが、これから、文学の領域での活発な論議の対象にされる範囲にとどまって、けっして社会的事件の契機などにならぬことを切望する。作者の考えた、荒涼たるエトロフから緑深き皇居へ「安全なサーバー」を経由してメールが届くという発想は、それだけで、読者に夢を与えてくれる。私は、正直言って、こうした仕掛けの妙を十分楽しませてもらった。

【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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