【投稿】福島第一原発とオリンピック
福井 杉本達也
1 聖火リレー
2013年9月、アルゼンチン・ブエノスアイレスにおいて、安倍首相は,2020東京オリンピックの招致のために,福島第一原発事故は “アンダーコントロール” されていると,「大ウソ」をついた。これで福島原発の「不都合な事実」は国際的にも隠蔽されることが決定された。結果、オリンピックの「聖火リレー」の出発地点を福島原発事故対応拠点だったサッカー競技場Jヴィレッジにし、聖火ランナーは放射能汚染地域をくまなく走り抜けることとなる。とりわけ葛尾村→浪江町→南相馬市を抜けるルートは、人の住めない放射能汚染地域を走るもので、聖火ランナーの被ばくは確実である。東京都に匹敵する広大な国土を放射能汚染地にし、いまなお5万人が避難し続け、今後10万年管理し続けなければならないにもかかわらず、東京オリンピックを「福島復興」・「復興五輪」としてでっち上げ、福島原発事故を無かったものとして、完全に消し去る「大キャンペーン」を繰り広げている。
2 国道6号・常磐線・大野駅(大熊町)
「特別通過交通制度」が適応されている国道6号では放射能の影響での浪江町-富岡町北部間は四輪車を除く二輪車、軽車両や歩行者が通行禁止となっている。車も窓を締め切り、エアコンを使用する場合には車内循環にするように求められている。ロードサイドの店舗という店舗は営業していないだけでなく、入口には頑丈なバリケ ードが設置されており、侵入ができないようになっている。大熊町郵便局前付近の民家にも全てバリケードが設置されている。そのような道路を聖火ランナーは走るのであろうか。
JR東日本は原発事故で不通区間になっているJR常磐線富岡―浪江間(20・8キロ)で復旧工事を進めている。大野駅(大熊町中心地駅)近くの地点は2016年3月から本格除染が始まり、新たに鉄路が敷設された。毎時20~30マイクロシーベルトだった空間線量は1・35マイクロシーベルトに下がった。(朝日:2019.3.8)しかし、これは大野駅だけの除染である。一歩敷地を踏み出せば、毎時20~30マイクロシーベルトの超汚染空間が広がっている。もちろん、走る列車の窓を開けて外の空気を吸うなどという行為は禁止となる。そのような大野駅に降りる乗客など1人もいない。被ばくを顧みず、とにかく常磐線を全通させ、「福島復興」をアピールするためだけにある。
3 避難者の帰還率
2019年3月7日付けの日本経済新聞によると「福島県の9市町村で、解除地域に住民票がある4万7721人のうち、実際に居住しているのは23.0%の1万1003人にとどまる」。「事故後の8年間で避難先に住まいを構え、古里に戻るきっかけを失った人が多いとみられる。避難解除が遅い地域で居住率が低い傾向があり、買い物や病院、交通などの生活環境の整備が重要課題となっている」とする。避難解除が早かった田村市都路地区は81.3%、南相馬市は41.4%、楢葉町は52.2%である。一方、解除の時期が17年春と遅かった浪江町は6.1%、富岡町は9.2%、飯舘村は18.4%となっている。今年4月10日に避難指示が一部で解除された大熊町の帰還者は8月1日時点で、対象10,317人中84人(0.8%)である。また。住民票の有無にかかわらず大熊町に住んでいる人は715人であり、主に東電や廃炉関係者である。事故後8年以上が経過し、強度の放射能汚染地域にもかかわらず、無理やり避難解除がなされた地方自治体では住民は戻れず、事実上地域は解体してしまったといえる。にもかかわらず、復興予算で役場や学校などを整備する全く無駄な投資が行われている。飯館村ではスポーツ公園が整備されたが、住民のいないスポーツ公園で何をするのか。2018年4月、0歳~15歳までの一環教育を開始するために、村内に幼保一体型「認定こども園」を新設、収容人数は139人。しかし、入園した27人は、全員が、村の外からスクールバスなどで通園。地方自治体は国のいいなりになり、住民の意向を全く無視した行政運営のみがなされている。しかし、住民のいない地方自治体とは何か。その存続意義はあるのか。根本的な問いに正面切った回答はない。
4 除染廃棄物・放射能汚染水・デブリ
福島県内の除染では汚染土などの除染廃棄物が約1,400百万㎥が発生しており、復興拠点の整備に伴い搬入量がさらに増えることになる。(東京:2019.5.13)「除染」により生じた、放射能が付着した土などを入れたフレコンバッグは各地の仮置き場に山のように積み上げられている。環境省は、中間貯蔵施設に搬入した汚染土のうち、放射性セシウム濃度が1キログラム当たり8,000ベクレル以下のものについては道路整備などで再利用する方針を掲げ、福島をはじめ全国にばらまこうとたくらんでいる。聖火リレーのため、この黒のフレコンバックを「特別通過交通制度」で車が通過する国道6号や常磐自動車道などの道路から見渡せる区域から見えにくい区域への移動を考えている。どこまで隠ぺいを重ねるのであろうか。
8月8日、東電は福島第一のトリチウムや他の放射性核種を含む汚染処理水が110万トンに達し、2022年には原発敷地内がタンクで満杯になるとの試算を出した。(福井:2019.8.9)政府や東電はこの汚染処理水を海洋放出することを考えてきたが、漁業者の反対や韓国などの批判もあり、長期保管の方法も検討することとなったが、海洋への放出をあきらめてはいない。もし、海洋放出すれば、北太平洋は重大な放射能汚染区域と化す。目黒のサンマや大間のマグロなども食えたものではない。
同日、廃炉支援機構は2021年に福島第一2号機から溶け落ちた核燃料と原子炉の内部構造物が混然一体となった「デブリ」を取り出す「技術戦略プラン」を公表した。そもそも、高レベルの放射線を発するデブリをまともに扱えるのか。どこからどうやって取り出すのか。原子炉格納容器は底は抜け落ちているが、上蓋は閉まったままである。全く、先を見通せない「プラン」であり、何年にもわたり「アンダーコントロール」という「期待」だけを国民に植え付けている。オリンピックが終われば、現場もろとも放棄されてしまうのではないのか。
5 汚染された住宅を壊すと固定資産税が6倍に
東京新聞によると「東日本大震災や東京電力福島第一原発事故で住宅を解体した後の更地について、2022年度から 固定資産税が大幅に増額される。住宅の立つ土地並みに減額する特例が21年度末で終わるため、額は6倍程度まで上がる恐れがある。とりわけ原発事故で避難し、帰還できないでいる福島県の被災者は、避難生活での収入減に税の増額が重なり、影響は大きい。しかし、国はどの程度の人が減額を受けているか把握しておらず、特例の延長も議論していない。」と報道されている。(東京:2019.7.7)固定資産税は地方税で、地価公示価格などを踏まえた「評価額」に税率を掛けて算出する。例えば、平成31年度地価公示価格で、浪江町大字権現堂字町頭2番は25,400円/㎡の評価がされているが、町役場近くの同地区は2017年3月末で、空間線量率で推定された年間積算線量が20ミリシーベルト以下になるとして「避難指示解除準備区域」が解除されている。また、7月には直近地にイオン浪江店も開店している。しかし、浪江町の住民登録者は17,346人であるが、。町内に居住しているのは(帰還者と新規転入者の合計)1,056人と、全体のわずか6%でしかない。近い将来「浪江町」がなくなることは確実である。人が住めない場所の資産価値は0である。国交省が地価公示価格を調査する意味はない。固定資産税は永久に0であるべきである。資産価値の下落した差額は事故当事者である東電が補償すべきである。
6 損害賠償時効の10年が迫る
ところが、その損害賠償請求の消滅時効が10年であり、期限が迫っている。河北新報は「東京電力福島第1原発事故に伴い生じた損害賠償請求権が、事故から10年となる2021年3月を境に順次時効を迎える。さまざまな事情で請求権を行使していない被害者は多く、関係自治体は「このままでは多くの人が救済されない」と懸念。時効延長を求める動きも出ている。」(河北新報:2019.8.5)と記す。さらに問題は時効だけではない。事故の賠償を求め住民が申し立てた裁判外紛争解決手続(ADR)において、国の原子力損害賠償紛争解決センターの和解案を東電が拒否し、センターが手続きを打ち切る事例が2018年以降急増している(福井:2019.8.12)というのである。この中には浪江町( 約1万5千人)や飯舘村(約3千人)、川俣町(約5,600人)など住民が集団で申し立てたADRが少なくとも18件ある。センターは事故の被害者が原子力事業者へ損害賠償を請求する際の、円滑、迅速、公正な紛争解決を目的に設置される公的機関であり、裁判を経ずに当事者間の和解交渉を仲介するものであり、仕事や全財産を奪われた被害者への、裁判という面倒な手続きを経ない迅速な賠償が期待されたが、全く機能していない。
7 国家エリートは責任を回避し、避難者は抹殺される
7月12日、参院選対策もあり安倍首相はハンセン病患者家族訴訟の熊本地裁判決めぐって、国の責任を認める「お詫び」の談話を発表した。しかし、この「談話」と同時に発表された「政府声明」は極めて異例なものであった。らい予防法は1996年に廃止されたが、熊本地裁判決では、それ以降も厚相、法相らは偏見差別をなくする義務を怠ったなどとし「国の責任」を認めたが、「熊本地裁判決には法律上の問題点がある」、「厚相、法相、文相の責任は時期が受け入れられない」、「消滅時効の解釈はゆるがせにできない」等々をあげ、菅官房長官は「法的拘束力はないが、政府としての大変重い意志表明」であると述べている。ようするに、「お詫び」はするが、国の責任は断固として認めないという決意表明である。遅くても1960年は、ハンセン病の治療法が確立しており、患者の隔離収容が必要ないにもかかわらず、「らい予防法」という「患者の物理的絶滅」の犯罪行為を延々と続けてきた国家エリートは「国家の犯罪行為」はいっさい認めないという「無責任」極まりない「声明」を行ったのである。「はて面妖な…反省やおわびの『情』を色濃く漂わせつつ『理』は別にありというダブルスタンダードではないか」。(日経「春秋」2019.7.13)ハンセン病家族訴訟では、たまたま、参院選ということで政治的配慮が働いたものの、国家の責任は一切認めないという我が国の国家エリートの基本方針は一貫している。福島第一の事故原因がどうであろうが、現場がどうなろうが、事故避難者がどうなろうが我が国の国家エリートは一切を顧みることはしないであろうというのが現段階の結論である。