【投稿】ミハイル・ゴルバチョフと米原万里

【投稿】ミハイル・ゴルバチョフと米原万里

                         福井 杉本達也

1 ロシア語を締め出すウクライナと日本

ウクライナでは2019年に「国家言語としてのウクライナ語の利用を保証する法律」が採択された。2021年には販売、飲食、運送でウクライナ語の使用が義務づけられた。…違反すると320ドルの罰金が科される。キエフの学校では政令で2022年9月以降、ロシア語による教育が禁止された。7月、ロシア人アーティストの曲の放送を禁止する法律が成立した(日経:2022.11.29)。昨年12月開催されたウクライナ国立歌劇場バレエ団の日本公演では、人気作品が上演されない事態となった。初日の17日は横浜市での公演は、近世のスペインを舞台にした演目「ドン・キホーテ」を上演した。大前仁氏は「チャイコフスキーを『排除』し、『白鳥の湖』も『くるみ割り人形』もないバレエ――。観客を納得させることはできるだろうか。」と書いている(毎日:2022.12.25)。

ヨーロッパにおいても「著名な指揮者でサンクトペテルブルク・マリインスキ劇場の芸術総監督であるワレリ・ゲルギエフは、侵攻が始まって以降の欧米での指揮が相次いでキャンセルになった。ミュンヘン・フィル首席指揮者などのポストも失った。プーチン政権と親密」だという理由である。また、英国の猷劇場ロイヤル・オペラハウスも、2022年夏のポリショイ・バレエの招へいを中止した(日経:2022.3.7)。

日本はどうであろうか。政府は2022年3月31日、ウクライナの首都「キエフ」の表記をウクライナ語の発音に近い「キーウ」に変更するとした。同時に、原発事故を起こした「チェルノブイリ」を「チョルノービリ」とするとしたが(日経:2022.2.1)、こちらは原発事故の記憶があまりにも大きく、浸透はしていないようである。

極めつけはNHKのEテレで長年放送されていたロシア語講座「ロシアゴスキー」(「テレビでロシア語」の後継番組)が2022年3月で終了したことである。ウクライナ侵攻以前から番組終了が決定していたとのことではあるが、ロシア文化・ロシア語教育にとっての「致命的な打撃」である。もちろんラジオでの「まいにちロシア語」は継続されているが、文化の理解という観点からはテレビという映像媒体の影響は計り知れない。ロシア各都市の美しい街並みや、おいしそうなロシア料理・音楽演奏など、紙媒体では得られないものが多々あった。今のNHKが「公共放送」という概念から、「政府のプロパガンダ機関」に成り下がっていることを如実に示すものである。

2 米原万里氏のこと

1979年末にソ連はアフガニスタンに侵攻する。それ以降、日本においてはソ連の評判は地に落ちた。1980年夏のモスクワオリンピックを西側諸国はボイコットした。そのような中で、1981年、たまたま暇な時期ができた。背広とネクタイではなくTシャツとジーパンで過ごした。もちろん、5時以降は全くのフリーであった。折角のチャンスに何かをしようという気になり、世田谷区の小田急線経堂の日ソ学院(現東京ロシア語学院)に通う。ロシア語の人気は最低で、受講者は、1年後にソ連に派遣されるという経団連職員の某氏と女性が2人、そして私のたった4人であった。その講師が故米原万里氏である。ある日、万里氏の父親が亡くなったので、今日は代理しますと男性の講師が入ってきた。そこで、万里氏の父親が元日本共産党の衆議院議員であった米原昶氏であることを知った。米原昶氏は日本共産党から1960年代にチェコにあった各国共産党の理論情報誌『平和と社会主義の諸問題』編集委員として赴任したため、家族でプラハに移り住み、外国共産党幹部子弟専用のソ連大使館付属学校に通い、ロシア語を学び、ネイティブのロシア語を身に着けた。イタリア料理研究家で作家井上ひさし氏の妻・井上ユリ氏は万里氏の妹であり、万里氏と一緒に付属学校に通った。

講義は欠席も多く、万里氏と私が1対1という日もあった。当時は私も暇だったが、通訳駆け出しの万里氏も、それほど忙しくはなかった。受講者たちとよく、経堂駅前の寿司屋などに立ち寄った。万里氏はよく熱燗を飲んだような気がする(井上ユリ氏の『姉・米原万里』(2016.5.15)によれば、「飲まない万里のまっ茶な真実」と書いているが)。動物のメスは良い子孫を残すために相手を選ぶが、オスは繁殖にためにともかくメスに種付けまわる、といった、後々のエッセー集のネタとなるような話題もあった。別の日に、六本木のディスコや新宿の四川料理店などにも出かけた。

数年後、万里氏が突然テレビの画面に現れた。1985年ジュネーブで米ソ首脳会談が開催されるが、万里氏はソ連のゴルバチョフ書記長の会見の同時通訳を務めていた。ゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」を打ち出したことで、万里氏の通訳の仕事は急激に増え、「過労死するほど働いた」という。

3 ミハイル・ゴルバチョフ自伝『我が人生』について

ミハイル・ゴルバチョフソ連書記長(ソ連大統領)は2022年8月30日に死亡した。1985年11月、レーガン米大統領とゴルバチョフ書記長はジュネーブで会談した。既にソ連は全面的核実験停止の交渉を再開することを表明し、一方的にすべての核実験を停止していた。会談では2人は「核戦争は許されない。核戦争は決して起こしてはならず、そこに勝者はいない、という認識」を持った(ゴルバチョフ:『我が人生』2022.8.10)。それまで、レーガン政権は、ソ連の脅威を強調すると共に、「アメリカや同盟国に届く前にミサイルを迎撃」し、「核兵器を時代遅れにする」手段の開発を呼びかける、いわゆる「スター・ウオーズ計画」を提唱した。これは、それまでの核の均衡は相互確証破壊(MAD)を根本から修正すもので、核兵器が実際に使われる恐れが非常に高まっていた時期であり、特にヨーロッパにおいて使

われることが危惧されており、会談での合意は世界中で新しい時代が到来すると歓迎された。

1986年10月のレイキャビック会談では「核実験を完全かつ最終的に禁止する本格的な条約締結への道を提案しよう…私たちは解決への枠組みをほぼ見つけるところまで来ていた」と書いた(ゴルバチョフ:同上)。しかし、その後の展開はゴルバチョフの楽観論を打ち砕いた。

4 相互確証破壊(MAD)とウクライナ戦争

ランド研究所の軍事歴史家、バーナード・プロディは広島への原爆投下を受けて次のように書いた。「従来は軍事体制が掲げる最大の目的は戦争に勝つことだった。これからは戦争を回避することが最大の目的となる。これ以外に有益な目的はほとんど見当たらない」・「報復を恐れなければならないとすれば、先制攻撃を仕掛ける意味はない」と(『ランド世界を支配した研究所』アレックス・アベラ著:2008.10.30)。「核兵器の使用を考慮に入れなければならない戦争は、もはやいずれか一方の勝利という結果をもたらさず、戦争当事国(同盟国を含む。)すべての破滅を招致するということ、つまり勝者はなく全員が敗者となること、したがって戦争はもはや『政治の継続・延長』としての手段(選択しうる政策の一つという位置づけ)ではあり得なくなったことが認識されるに至った」(浅井基文2011,7.3)。

これを、1965年、「相互確証破壊」(Mutual Assured Destruction, MAD)として打ち出したのが、ロバート・マクナマラ米国防長官である。核兵器を保有して対立する2か国のどちらか一方が、相手に対し先制的に核兵器を使用した場合、もう一方の国家は破壊を免れた核戦力によって確実に報復することを保証する。これにより、先に核攻撃を行った国も相手の核兵器によって甚大な被害を受けることになる。

しかし、その後も米国は先制攻撃への誘惑にかられ続け、ソ連もそれに対抗し、膨大な核兵器が米ソ両国に蓄積された。ゴルバチョフは上記『我が人生』において、「その水準は驚愕すべきものだった。ソ連も米国も、互いに何度も全滅させられるだけの力を持ったのである」と。そして、ジュネーブ会談が行われる。「核の世紀には新しい思考が必要だ。そして何よりもそれは、米国とソ連にとって必要だった」と書いている(ゴルバチョフ:同上)。

2019年2月トランプ政権は中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄を通告した。ロシアと米国の間で唯一効力を持っている新戦略兵器削減条約(新START)は2026年2月4日に失効する予定である。「ロシア外務省のセルゲイ・リャブコフ次官は、露米間の新戦略兵器削減条約(新START)の失敗には無念さを覚えるものの、条約に米国を『無理に』とどめようとは思わないとの声明を表した」(Sputnik:2023.1.27)。

ウクライナ戦争において、ロシアが戦術兵器を使う可能性について、米国は絶対に回避しなければならない大惨事として捉えるより、ロシアを国際的無法者に仕立て上げるチャンスだと見なしている。核兵器が使われるとしても、ウクライナ限り、せいぜい欧州までという誤った前提に立っている(ロシアの世界経済国際関係研究所主席研究員:トレーニン:浅井基文訳:2022.10.20)。ウクライナ軍によるザボロジェ原発への執拗な攻撃も同様の誤った前提に立っている。ゴルバチョフ書記長とレーガン大統領とのジュネーブ会談から37年、我々はまた核戦争の危機に直面している。

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