【書評】黒川祥子『「心の除染」という虚構──除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』
(集英社インターナショナル、2017.2.28.発行、1,800円+税)
アサート No.482 2018年1月
本書の舞台は、福島県伊達市。福島第一原発から北西に約50キロで、原発まで南東方向に、飯館村、浪江町、二葉町と続く。ここには原発から風に乗って多量の放射能が降り注いだ。一瞬にして原発災厄の被害者となってしまった住民、とりわけ小学校の子どもを持つ母親たちの恐怖、不安と、この事態に対処する行政の施策・姿勢への不信、批判が本書のテーマである。
本書は、「第1部 分断」「第2部 不信」「第3部 心の除染」からなるが、その前の「序章」では、原発事故直後の様々な出来事が紹介されている。(【・・】は評者による註である。)
「【2011年】3月16日、この日、福島県は予定通り、県立高校の合格発表を行うという。(中略)実際、前日の15日、すでに福島市では原発爆発後、最大の空間線量を記録していた。その要因は3月15日の夕方、福島第一原発周辺から東南東及び南東の風が吹いたことで、この日北西方向に高濃度汚染地帯が作られたのだ。もっとも顕著なのが飯館村で、18時20分に44・70マイクロシーベルト/時を記録。この時飯館村に隣接する【伊達市】霊山町小国にも放射性物質が降り注いだ。(中略)しかもこの日、中通り【福島県中部地域】では雨が降っていた。山深い小国では、それが雪になった。この雨によって放射性物質が降下、中通り一帯に放射性物質が沈着するという不幸が起きた。(中略)【この翌日】中学校を卒業したばかりの生徒たちが幾人も、屋外の掲示板で、自分の合否を確認するために県内各地を歩き回った。放射性物質を警戒するアナウンスは何もなされずに、無防備なままで」。
「隣の飯館村では『計画的避難区域』というよくわからない名称ののもと、全村避難の動きが始まっていた。なのに、小国では子どもたちは『普通に』学校へ通っている。みな、長袖・長ズボン、マスクを着用するという出で立ち」。【小国小学校・校庭の測定値、4月10日、5・78,11日、5・77マイクロシーベルト等々。ただし教育委員会からは校庭での活動は控えるという通達は来ていた。】
この状況の中、伊達市は子どもへの対策を次々に発表したが、5月26日の「だて市政だより」には市長・仁志田昇司の姿勢が、こう示されている。
「放射能の健康被害の恐れと外で遊べないことによるストレスを心身の健康という観点から考えた時、私は後者の心配が大きいのではないかと考えておりますので」
この放射能被害を軽視する転倒した姿勢が、この後伊達市の住民に対する基本的姿勢として随所に現れてくる。
原発災害からの避難に関して伊達市は、避難地域の指定ではなく、「特定避難勧奨地点」という避難制度を要望、実施する。「地点」とは世帯、家のことで、伊達市の南部に追加被曝線量が年間20ミリシーベルトを超える「地点」(住居単位、家)に対して「避難」が「勧奨」される。【各住居の測定方法にも問題があることが住民から指摘されているが】「同じ集落、同じ小学校、同じ中学校に、避難していい家と避難しなくてもいい家が存在する。『勧奨』だから、避難はしなくてもいい。年寄りが今まで通り自宅農作業しながら暮らしても、東電から毎月慰謝料が支払われる。一方、『地点』にならなかったら、子どもが何の保障もなくこの土地に括り付けられる」。この制度が、2011年6月から12年12月まで適用された。ちなみに「地点」の優遇措置は、市県民税・固定資産税・健康保険料・年金保険料・電気料金・医療費等の全額免除、避難費用・生業保障・通学支援・検査費用の支給等々である。これが地域社会を崩壊させ、住民の間に深刻な亀裂を生んだことは想像に難くない。
また放射能除染では、伊達市は全国的に知られるように、2011年、「除染先進都市」としてデビューした。これは市内を汚染の度合いによってA(特定避難勧奨地点の存在する地域)、B(A以外で比較的線量の高い地域)、C(1マイクロシーベルト/時間=年間5ミリシーベルト以下の地域)の3エリアに区分し、Aは大手ゼネコンによる面的除染、Bは地元業者による地区別除染、Cは地元業者と市民によるミニホットスポット除染というものである。しかしこの「区分け」は市から唐突に出されたものであり、実際には、未だに市内の7割を占める地域では、汚染が低いとして除染が行われていない。しかしこの取り組みは国やIAEA(国際原子力機関)で評価され、同市の除染担当職員・半澤隆弘は、一部から「除染の神様」とさえ呼ばれるまでになった。
さらに個人線量計(ガラスバッジ)の問題がある。「伊達市は、全世界で初めて壮大な【人体】実験を行った自治体である」。約5万3000人もの全市民に1年間装着させ、実測値を得たのである。しかしそもそもこの線量計は放射線関係の労働者向けのものであり、ましてや子どもに装着させるにはモデルもデータも何もないものであるが、伊達市はこの実測値の平均から放射能の危険は山を越えたと宣言した。
2013年9月、これを受けて伊達市の市政アドバイザー多田順一郎は、「無駄な除染は全国の納税者、電気料金負担者に申し訳ない」と公言し、「除染からは、何一つ新しい価値が生まれませんので、除染作業は一日も速く終えて、将来に役立つ町づくりに努めようではありませんか」と呼びかける。しかしこの時期、周辺の市町村ではこれから本格的に除染を進めて行こうとしていたのである。
同様に仁志田市長も、市民の「安心できない」という声に対して、「Cエリアのフォローアップ除染」を提唱し、「安心してもらうための除染、いわば『心の除染』というものを目指して納得のいく除染を志向する」決意を述べる。本書はこれを、「放射性物質が降った生活圏を除染するのではなく、安心とは思えない『心』を除染するのだと、市長は意気揚々と訴える。それが『フォローアップ除染』なのだと」とその筋違いを批判する。
この他、除染に関わる交付金の奇妙な変更(申請時より大幅減となり、異例ではあるが県に返還を申し出た)など不可解な問題は残されたままであり、放射線災害について、費用対効果を問題とする姿勢は続いている。
以上の経過に対して本書は、「この伊達市の『実験』は今後、原子力災害が起きた時の貴重な『前例』となるだろう。不必要な除染はしないことで損害賠償費用を削減し、全市民が着用したという前提のもとでのガラスバッジデータから追加被曝規準も引き上げられていく。原子力を推進する勢力にとって都合よく、使い勝手のいい『前例』が福島第一原発事故後にこうして作られたのだ」と将来への不安と危険性を指摘する。
そして伊達市アドバイザー多田順一郎の発言「被災地の人に、被災者の立場を卒業していただくことがゴールだと思います」に対して、こう締めくくる。
「なんと恐ろしい『ゴール』だろう。仁志田市長でさえ、市報で公言していたではないか。伊達市から放射能物質が完全に無くなるのは、300年後になると」。
近未来の原発災害が生じた後、打ち続く住民の苦闘に満ちた経緯を予測させる書である。(R)
【出典】 アサート No.482 2018年1月