【書評】新藤 謙『体感する戦争文学』
(2016年、彩流社、1,800円+税)
庶民的視点からのユニークな文芸評論家、新藤謙の最後の著作である。その視点を特徴づける、高木俊朗の『陸軍特別攻撃隊』(1975年)からの引用文を紹介しよう(本書「第五章 軍部告発の文学──五味川純平・高木俊明」)。
高木は敗戦間近の時期、報道班員としてフィリピンにあり、ここに配属された特攻隊、万朶(ばんだ)隊と富嶽(ふがく)隊を題材にして、この作品を書いた。新藤は、高木の書にある「特攻隊が主力化したのは、その根本は、日本の軍需生産力が底をついたためであった」という指摘と、特攻を導入した日本軍の構造的矛盾と欠陥およびその中での兵士の心情の的確な捉え方を高く評価する。そしてより重要な点は次の文章であると強調する。孫引きで恐縮だがこうである。
『日本の国内でも、軍国主義の傾向を警戒する論議が多くなった。だが果たして、日本に軍国主義が復活したのだろうか。私が戦記を書くために取材をつづけてきた立場からいえば、軍国主義は復活したとは思えなかった。それは、むしろ、軍国主義が残っていたといえるようであった。/軍国主義を考えるために、密接な関係があるのは、戦争責任の問題である。戦後に戦争責任を追及しなかったから、軍国主義が生残ったともいえる。しかし、それよりも、軍国主義が生残っていたからこそ、戦争責任を追及しなかったのではないか』。
この視点から、この文章のすぐ前にある五味川純平の『ノモンハン』(1975年)を扱った個所でも、新藤は、ノモンハン事件—-1939年に起った満蒙国境を舞台とする日本関東軍とソ連・外蒙軍との戦闘—-を通して「日本軍の構造的宿痾と、高級軍人たちの異常な精神構造」を解明し、告発するこの作品を評価する。そして戦闘の敗因をソ連の戦力に対する過小評価と、それと一対をなす自軍への過大評価=「高級軍人たちの独善的で空疎な精神主義、増上慢(おごり高ぶること)」にあると見る。「それが野心(冒険主義)と功名心、人命無視思想と結びつくと、計り知れない犠牲をもたらす。それを不幸にも実証したのが、ノモンハン戦闘であり、アジア・太平洋戦争であった」と喝破する。
『ガダルカナル』(1980年)についても日本軍の人命軽視の思想は同様で、戦死よりも餓死・戦病死がはるかに上回る異常な状況(かつて小田実はこの状況を題材に『ガ島』(1973年)という小説を書いたが)に対して、五味川の『兵隊は、戦争の善悪を問わないとすれば戦士であるから、戦って死ぬのは仕方がない。だが、何十日も飢える義務など、国家に対しても、天皇に対しても、ましてや将軍や参謀などに対して、負ってはいないのである』と引用し批判する。
しかも、こうした戦いを指導した高級参謀たちに対する責任が全く問われぬままに、次の作戦に移っていくという無責任体制が日本軍には付きまとっていた。
新藤は、こう述べる。
「許せないのはノモンハン戦闘の参謀だった辻政信や服部卓四郎が、ノモンハンの失敗を反省することなく、同じ愚劣な野心によって三年後、ガダルカナルやニューギニアで、ノモンハン以上の犠牲を将兵に強いたことである。そこから五味川は、次のように痛烈に結論する。/『不思議なことに、有能な参謀は概して戦闘惨烈の極所を担当しない。惨烈の極所から身をかわす可能性を持った者が、前線将兵に惨烈の極所を与える如く作戦する。しかも名声を傷つけない。想像するに、彼は、その上級者としてよほど凡庸な将軍たちに恵まれたのである』」。
その高級参謀の一人であった辻政信は、戦後、国会議員にまで当選した(最後はラオスで暗躍し、行方不明になったが)。新藤は皮肉で言う。「おそらく、彼の冷酷な人命無視の過去を知らない国民に支持されたのである。国民は戦争中と同じようにまた騙されたのである。愚劣な人間を選良とする国民もまた、愚劣というほかない」と。
このように本書は、小冊子ながら文学作品に表れた戦争をテーマに、妹尾河童『少年H』、学童疎開の文学、大岡昇平『俘虜記』、石川達三『生きている兵隊』、水上勉『日本の戦争』、徳川無声と古川ロッパの戦中日記等々多様な文学が俎上に載せられる。そしてその視点は戦前~戦後と続いている人命無視の日本国家の体質批判へと向けられる。現在の状況と重なるところも多々ありながら、いまだ十分に検討されたとは言いがたい問題が提出されており、本書に眼を通すことでこれらの問題を今一度意識に上らせることが必要であろう。
(なお著者の新藤謙氏はこの二月に逝去された。心よりご冥福をお祈りする。)(R)
【出典】 アサート No.475 2017年6月24日