【投稿】天皇の「生前退位」を考える
福井 杉本達也
1 突然の「生前退位」報道
天皇の「生前退位」が7月13日に突然NHKで報道され、翌14日の各紙は一斉に「天皇陛下退位の意向」との「退位特集」を掲載した。当初は宮内庁側が事実を否定するなどしたが、8月8日には、天皇の直接国民に向けて生前退位への思いを表明した11分間にわたるビデオメッセージが公表された。各放送局もこれを一斉に放送。記者会見など以外で、天皇が国民に直接話しかける放送は異例であり、1945年の天皇裕仁による「玉音放送」と今天皇明仁の2011年東日本大震災の発生直後に国民に向けたビデオメッセージとの2回しかない。
天皇は2010年夏ごろから退位の意向を示し、それを受けて官邸は水面下の特別チームで検討を始めたが、結論は「退位ではなく摂政で対応すべきだ」だった。天皇の意向が公になった7月13日の報道も寝耳に水だったという。ビデオメッセージは官邸と宮内庁で原稿案のやりとりを数回したが、摂政に否定的な表現は最後まで残った。皇室典範は退位を想定しておらず、官邸関係者は「宮内庁から官邸に陛下の本気度が伝わっていなかった」と証言。「だからおことばに踏み切らざるを得なかったのだろう」。それでも安倍政権は、退位の条件などを制度化するのは議論に時間がかかるとして、特別立法を軸に検討している(毎日:2016.9.7)。一方、世論調査では生前退位に91%が賛成している。反対は4%しかない。同時に「女性も天皇に」は74%、「そうは思わない」は21%という結果となっている(朝日:2016.9.13)。
2 安倍政権・日本会議は「生前退位」に反対
日本会議の「大原康男・国学院大名誉教授は、退位の前例を作れば皇位継承の安定性が失われると懸念。『国の根幹に関わる天皇の基本的地位について、時限立法によって例外を設けるのは、立法形式としても重大な問題がある』と特措法にも反対する。」また、「日本会議代表委員の一人で外交評論家の加瀬英明氏は『畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか』と話し、こうクギを刺す。『天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない』と主張する(朝日:2016.9.10)。「国家」・「民族」・「万世一系」・「男系」など「血統原理」を全面に出して天皇の生前退位に反対する。
自民党改憲草案第1条は「天皇は日本国の元首であり」として、旧大日本帝国憲法第4条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」との「統治権」までには触れないものの同様の規定を設けている。「国民主権」から「天皇主権」に戻そうとする意図がある。国民も議会も無視して専制的な支配体制=官僚独裁の無責任体制を目論むものである。官僚それ自身は選挙で選ばれたものでも、神から選ばれたものでもなく、天皇の威光によってのみ「権威」(=支配の正当性)を得る。ところが「生前退位」はこの「権威」に空白を生じさせる恐れがある。退位した天皇をどう扱うか(「権威」の二重状態が生ずる)ということである。官僚独裁(国家無答責=官僚とは天皇制にのみ責任を持つ機構であり、国民の為に存在するものでなく、その結果国民に被害を与えても責任を持たない。)を維持する為「血の論理」を持ち出しているのである。
3 「皇室典範」を改正しなければ天皇制の存続が難しいと考える天皇
天皇明仁は8月8日のビデオメッセージにおいて、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」とし、その対処方法として「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには無理」があるとし、生身の人間として、高齢により、代わりの利かない象徴としての公務を十分に果たせなくなってきていると述べる。その上で「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」るとして、憲法に定める象徴としての天皇制を今後も安定的に維持しようとすれば、現在の皇室典範に定める「皇位継承」規定には不備があると、あくまでも天皇制=「国体護持」の観点から述べている。
4 命乞いと「国体護持」のため全てを米国に売り渡した天皇裕仁
そもそも現皇室典範の皇位継規定に「退位」規定がないのは、天皇裕仁が自らの戦争責任の追及を恐れていたからに他ならない。1945年の敗戦直後の緊迫した情勢の下、米国では昭和天皇に処刑や国外追放など何らかの処置をとるべきというとの声が70%にも達していたこともあり、天皇裕仁は東京裁判での追訴を恐れ、憲法の早期の改正と表裏の関係で皇室典範には「退位」規定を置かなかったのである。さらには、共産主義の脅威に対抗するため、「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益にもなり、また日本を保護することにもなる」(『昭和天皇実録』1947.9.19)として、沖縄を米国に売り渡したのである(豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』 「沖縄メッセージ」)。さらに天皇裕仁は講和条約に向けて米ダレス国務長官との間で、当時の吉田茂内閣の外交チャンネルとは別の「非公式チャンネル」を展開し、明らかな日本国の「主権侵害」であるはずの米軍駐留を「日本側の要請に基づいて米軍が日本とその周辺に駐留すること」に「同意」と「十分なる了解」を与え、これが日米安保条約の基となったのである。さらには1953年4月、朝鮮戦争の休戦で国際的な緊張緩和が進む中、マーフィー駐日大使の離任に当たり、「日本の一部からは、日本の領土から米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは絶対に必要なものと確信している」と述べ、天皇制維持のために、象徴としての振る舞い以上の「政治的行為」を続けたのである(豊下:同上)。
豊下楢彦は『昭和天皇実録』について「そこにおける徹底したリアリズムは『実録』の行間に溢れ、率直なところ”感嘆“の声をあげることもしばしばであったが、しかしそのリアリズムは『皇統』を維持するという至上の目的に他の一切を従属させるものであり、従って危機の突破は『象徴天皇』という憲法規定を逸脱する重大な政治的行為を伴い、それが戦後日本のあり方に深刻な影響を及ぼすこととなった。」(豊下:同上「あとがき」)と総括している。
5「皇室典範」は憲法の規定に合わせて改正するしかない
政府は、憲法と法律との整合性をチェックする内閣法制局などは、生前退位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘しているという。一方、生前退位を今の天皇にだけに限定するのであれば、特例法の制定で対応が可能だと説明している(「日本テレビ」2016,8.22)。日本国憲法第2条は、皇位継承について「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と定めている。これをうけ皇室典範第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」としており、皇位継承の原因は天皇の死去のみであり、生前退位は認められていない。生前退位を制度化するには、憲法の下にある法律としての皇室典範を改正すればよく、日本国憲法を改正する必要はない。皇室典範は通常の法律と同じ手続で改正することができる。
皇室典範は「男系」・「長子」・「嫡出子」規定を含め、日本国憲法の基本的人権規定と齟齬がある。戦前の旧皇室典範を「万世一系歴代継承シ…」などの国家神道につながる神話的部分を削り、無理やり現憲法に辻褄合わせしたもので、通常の法律である以上、憲法の規定に合わせるべきである。現皇室典範の規定では、誰がどう考えても天皇制はここ数十年で行き詰る。天皇明仁が政府とは別のチャンネルでメッセージを公表したのはそこにある。
6 「万世一系」ではない天皇制
526年(?)出自不明の第26代・継体天皇がヤマト王権を武力制圧して王位を簒奪したとする継体新王朝説がある。「継体」とは死後の漢風諡号(しごう・おくり名)でありヲホド(『日本書記』では男大迹王(をほどのおおきみ))の生前の事績への評価に基づいて奈良時代・淡海三船によって贈られた名であり、明らかに前王朝を「引き継いだ」=系統が断絶していることを表している。また672年の壬申の乱は大海人皇子(天武天皇)が前近江朝(天智天皇―大友皇子)を武力で滅ぼしたもので、現天皇王朝は天武からと見るべきである。663年、朝鮮半島・白村江での唐・新羅連合軍に対する倭の決定的敗北後、中華帝国に対抗するため、『日本書記』は天武以前の王朝を全て否定し、その歴史を簒奪・粉飾・焚書して天武―持統期以降に作られたものである。
小林節は天皇・皇族にも「人権」はあるとし、「そこまで認めたら天皇制が不安定になる……という指摘があることは前述の通りである。しかし、世界一長く続いた王家としての天皇制も当然に永久不滅であると考えるべきではない。あらゆる制度は、それを支える社会的事実が変わった場合には、その条件の変更を直視して対応を考えていくべきである。そして、人権概念と民主制が確立した現代にあっては、天皇制といえども、人権と民意とを無視してその存続と内容を語るべきものではないはずである。」(小林節:『日刊ゲンダイDIGITAL』 2016.9.13)と述べているが、天皇裕仁も天皇明仁もその時々の情勢を天皇という「職業」に徹する形で冷徹に分析し、天皇制維持=国体護持のリアリズムに沿って発言し・行動している。柄谷行人は「戦後憲法の9条は、本来1条を作るために必要なものであり、二次的なものであった」とし、その後「1条と9条の地位が逆転した…その理由は1条(象徴天皇制)が定着したことにある」と述べ、その定着は天皇明仁の時代に入ってからであるとする(柄谷『憲法の無意識』)。象徴天皇制の定着は上記朝日新聞の世論調査でも表れている。しかし、歴史的に作られた制度は永久不変なものではない。我々は基本的人権と民主主義により、しかも天皇を上回る冷徹なリアリズムをもって「象徴天皇制」の今後を考えねばならない。
【出典】 アサート No.466 2016年9月24日