【投稿】オバマ大統領の広島訪問と「核ありきの世界」
福井 杉本達也
1 オバマ大統領の広島訪問
5月25、26日の伊勢志摩サミット後の27日、オバマ氏は米大統領として初めて広島市を訪問する。日経新聞は「米国の広島と長崎への原爆投下は『日米間の奥深く突き刺さったトゲ』と評される。オバマ氏の広島訪問にそのトゲが抜かれる心理的な効果も期待される。日米の同盟関係が強化され、新たな段階を迎えることになる」(2016.5.11)と解説する。しかし、今回のオバマ氏の広島訪問は原爆投下を謝罪するものではない。米側はオバマ氏は「道義的責任」に言及するものの、「謝罪は不要」と表明している。また、日本政府も「謝罪は不要」との立場を度々表明してきている。原爆という非戦闘員を対象とした大量虐殺兵器の使用に対し「謝罪は不要」とは「トゲが抜かれる」どころか原爆で亡くなった死者への冒涜以外の何物でもない。米国は核兵器を放棄しないということであるし、日本政府は核の傘に入り、米軍の核攻撃の踏み台を提供するということである。「核なき世界」ではなく「核ありきの世界」を今後とも踏襲するという意思表示である。
2 核エネルギーの実戦使用から70年・いまだにはびこる「楽観論」
核兵器は純粋に物理学理論のみに基づいて生みだされたものである。「これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったのと異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導きだされた」(山本義隆:『福島の原発事故をめぐって』)のである。核物理学者で後に反原発運動の理論的支柱となる武谷三男は原爆投下直後の印象を、原爆への恐怖心を伴いながらも「ついに人類が原子力を解放したということであった。新しい時代が始まったのである。科学者として率直にこの喜びとほこりを感じた。しかし、われわれ日本の科学者はこのすばらしい時代から取り残されねばならないという悲しみも私をとらえたのである。」と書き、「科学が主導した技術」が生まれたことに、科学者としての率直な「喜びとほこり」を感じていた。武谷の「感銘」は当時の多くの科学者の共通認識でもあった(武谷三男:「素粒子論グループの形成」『素粒子の探求』湯川秀樹・坂田昌一・武谷三男著)。
福島原発事故から5年が経過した今日、福島第一原発の敷地内では、原子炉建屋に流入する地下水が1日に300~400トンに上り、炉心から溶け落ちた燃料と混じり合って生じる汚染水の処理に追われており、非常に危機的な状況にある。すでにタンクに保管されている汚染水の総量は80万トンに達しており、東電では「このままではタンクを造ることができるゾーンは数年でなくなる」としている。つまり、敷地内は汚染水タンクで埋め尽くされているのである。4月19日に経済産業省は汚染水の処分方法について、濃度を薄めて海中に放流する「海洋放出」が最も短期間に低コストで処分できるとの試算結果を発表した。ようするに水で薄めて太平洋に流してしまうということである。原発の事故処理は「凍土壁」や「浄化装置」、「調査ロボット」の投入などにより、あたかも順調に進んでいるような印象を与え、「楽観論」がはびこっているが、上空から第一原発敷地内を見渡せば汚染水タンクで埋め尽くされていることからも分かるように、ほぼ崩壊したといえる。
原爆の開発当初は放射線の影響はさほど重視されず、また、放射性廃棄物は数万年にわたって管理を要するが、科学技術の発展で何とかなるものと“期待”されていた。この「何とかなる」という「楽観論」は核エネルギーをめぐって今もはびこっている。にっちもさっちもいかないにもかかわらず、見てみぬふりをしているだけである。
3 日本を降伏させたのは原爆ではなく、ソ連軍への恐怖だった
「警告もせずに真珠湾を攻撃した者たちに、原爆を使用した。つらい戦争を早く終え大勢の若い国民の命を救うためだ」というのが、70年前からの米国の公式見解である。しかし、「軍事的には日本への原爆投下はまったく不要だった」。「もう誰が見ても原爆が無用であり、われわれ自身がそのことを承知しており、われわれがそう承知している相手もわかっているにもかかわらず、そのような人々相手に原子爆弾二個の実験をしたのだ」(米軍:カーター・クラーク准将)と述べている。一方日本側では内閣総合計画局長官の池田純久中将は「ソ連参戦を耳にしたとき、われわれの運も尽きたと知ったと語り、また、連合国総司令部からの問いに日本の陸軍省は「日本の降伏決定に最も顕著な影響を与えたのはソ連参戦であった」と答えている(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1・二つの世界大戦と原爆投下』)。
4 ジェノサイド・倫理の否定―神の否定
原爆投下直後、統合参謀本部議長のウイリアム・リーヒ提督は「キリスト教的倫理にもとづくあらゆる道徳律や戦争をめぐるあらゆる規律」に反する兵器として、原子爆弾を化学兵器や生物兵器と同類と見なすことにきわめて前向きだった。「広島と長崎に野蛮な兵器を使用したことは日本に対するわが国の戦争になんらの貢献もしていない。はじめてこの兵器を使用した国家となったことで、われわれの道徳水準は暗黒時代の野蛮人レベルに堕した」と述べている。また、ローマ教皇庁は原爆使用を「残虐非道で…キリスト教文明と道徳律に対する前例を見ぬ打撃である」と非難した(オリバー・ストーン:同上)。
にもかかわらず、核エネルギーへの信仰は今も続いている。それは、ガリレオからベーコン・デカルトに至る自然にたいして人間が上位に立つという19世紀の幻想=「科学万能主義」=「神の否定」との裏腹な関係にある。西欧近代科学は自然をいくつかの最も単純な要素に分解し、要素の性質を確定し、要素間の関係として自然法則を捉える。その限りで合理的な説得力の高い理論を作り上げた。その最も典型的な“成功事例”が原爆を作り出したマンハッタン計画であり、ばらばらで無計画に行われていた課程の全体を、一貫した指導のもとに目的意識的に遂行するものであった。科学的「理論」こそ唯一者であり、そこでは、「倫理」も「神」の住む場所もない。
しかし、この「要素還元主義」の手法は大事なものを切り捨ててきた。原理論は環境との相互作用を極限的に制限して作られるため、核エネルギーが発現した後の核分裂生成物=セシウム137やヨウ素131といった放射能の存在は当初は問題にもならなかった。また、核エネルギー反応は我々が通常扱う化学エネルギー反応の1億倍もの大きなエネルギーを出し、その制御に失敗すれば環境にどのような影響を及ぼすかも「理論」の対象外であった。また、発生する中性子線が金属などを著しく劣化・損傷させることなども課題の外にあった。その結果が福島第一原発事故を引き起こしたのであり、首都圏の3千万人が避難の瀬戸際まで追い詰められたのである。
5 敗戦の否認と官僚機構の存続
原爆の投下のもう一つの側面はいわゆる「国体護持」=天皇制の存続をめぐってであった。「ソ連赤軍がいまにも日本本土に押し寄せようとするなか、日本の指導者たちは天皇制の存続により理解を示すと思われるアメリカに降伏することを決定した…赤軍の進軍によって国内に親共産主義の暴動が起きることを恐れていた」のである(オリバー・ストーン:同上)。天皇制の存続とは、昭和天皇にとっては、「皇統をつないでいくという強靭なる意志」・「職業倫理」(白井聡:『戦後政治を終わらせる』)であるが、天皇制国家官僚にとっても、軍隊を除く国家官僚機構の存続という強靭な意志が働いていたといえる。両者は「原爆投下」をチャンスとしてソ連に国土の一部を占領され天皇制が廃止され、官僚機構も解体され「国体護持」が出来なくなる前に、米国への降伏を申し出たのである。
したがって、米軍の単独占領により共産主義化をまぬかれた日本の官僚機構が原爆の使用に対しオバマ氏の「謝罪は不要」と繰り返すことはある意味当然の成り行きである。日本の官僚機構は米国に従属しており、「天皇の官吏」から「米国の官吏」へと鞍替えしたものであり、国民の意思を代弁するものではない。300万人の国民を殺し、旧満州での敗走を含め国民を見捨て何の責任も取らず、その後も岸信介のように首相にまで上り詰めた官僚も多数いるが、そのような官僚機構になんらの正当性はない。
また、米国に降伏したのであり、「ソ連」や、まして「中国」・「韓国」等に謝罪するつもりはさらさらないのである。
「国家があって国民がある」とする国家官僚機構にとって、核は消耗品扱いの国民に対して使用されたのであり、官僚機構の存続に影響はなかった。かつて「天皇の官吏」は天皇に対し忠誠を誓った。現在の国家公務員は採用時に日本国憲法を順守する誓約書を出すが、実際は「米国の官吏」として「日米地位協定」を墨守し、核の傘の下、中東であれ南シナ海であれ米軍と一体となって行動することこそが職業倫理となっている。当然、福島の土地が放射能に占領され、住民を棄民することも関心の外にある。
【出典】 アサート No.462 2016年5月28日