【書評】『リンゴが腐るまで──原発30km圏からの報告(記者ノートから)』
(笹子美奈子著、2016年2月、角川新書、800円+税)
本書は、「最後の最後まで、もうこれしか選択肢がないですねという段階になるまで物事が決まらない。日本の政治って、何でもそうよね」という先輩記者の言葉を聞き、2013年から15年まで読売新聞福島支局に赴任、東京電力担当であった記者の記録である。書名の『リンゴが腐るまで』とは、これも先輩記者の話から来ている。義父から福島県産のリンゴが送られてくる、安全だという福島県知事のメッセージが添えられていたが、当時まだ子供が小さく食べるのはためらわれた、といって捨てるのもためらわれる。リンゴは結局、段ボールに入れたまま放置され、3月の終わりになって、一つ二つ腐り始めたリンゴを処分することになってしまった、と。
福島の原発事故の収束・復興作業が進んでいないのはなぜか。著者は、この問いを抱いて現地に赴任する。そして現地で改めて目にしたのが、「その約10年前、2004年の新潟県中越地震の被災地の取材で見聞きしたことと酷似していました。/同じことが繰り返されていました。/お年寄りの孤独死、アルコール依存症。家庭の崩壊。国などから受けられる補助金の額が異なることによって生じる地域住民間の不和。帰る、帰らないの問題。災害の規模も性質も異なるのに、起きている現象と問題の構造は、中越地震とほとんど変わらないものでした」という事実である。
例えば、賠償金をめぐる住民間の軋轢と矛盾である。帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域のそれぞれに支払われる賠償金が、道路一本を隔てただけで異なる。
「中でも複雑なのが南相馬市」である。南相馬市は、2006年、小高町、鹿島町、原町市の3市町村が合併して誕生したが、「市南部の小高区(旧小高町)は、福島第一原発から20キロメートル圏内にあり、避難指示指定区域に指定されている。住民の多くは、原発から離れた市北部の鹿島区(旧鹿島町)にある仮設住宅に避難している。そして小高区と鹿島区の間にあり、市中心部の原町区(旧原町市)は原発から30キロメートル圏内に位置している。/原発から20キロメートル圏内、30キロメートル圏内、30キロメートル圏外の境界線が、小高区、原町区、鹿島区の三つの行政エリアの境界とほぼ一致するような形できれいに重なっているのだ。/そこで生じてくるのが、原発事故の賠償金の差をめぐる問題だ」。
同じ仮設住宅で暮していても、東電からの賠償金が支払われる地区(小高区)、一部の住民に支払われる地区(原町区)、原則支払われない地区(鹿島区)がある。さらに受け取る金額の差がある。この結果賠償金の支払いが始まった当初、住民間の確執があからさまに表面化し、数年経った現在でも消えずに残っている。
これに加えて事態を複雑にしているのが、「津波被災者と原発被災者との混在」である。南相馬市では津波による死者・行方不明者が600人以上に上る。「津波被災者にとってみれば」、親しい人の命を奪われ、家を建てる資金もない。「それに比べて原発被災者」は、命を落としたわけではなく、賠償金も受け取っている、待遇の差がやりきれない。一方「原発被災者にしてみれば」、自分たちは死ななかったが、放射線を浴び、一生健康に不安を抱えて生きていかなければならない、生きている間に自宅に帰れるかどうかも分からない。「津波被災者」は、土地は残されている、家を建て直せばまた元の生活を取り戻せる、と。
このような状況に対して、では行政はどう対応しているのか。本書は、「三流官庁」環境省の責任が大であるとする。「原発事故直後、除染の所管省庁をどこにするか、政府で検討された際、名乗りを上げたのが環境省だった。『三流官庁』と揶揄されてきた環境省にとって、膨大な予算を扱う除染作業実績を作ることにより、脱三流官庁を果たすチャンスだった。/ところが、実績を作るどころか、除染作業は霞ヶ関のお荷物となった。宮城県、岩手県でインフラの復旧が着々と進む一方で、福島県は除染作業が進まないため、復興事業全体が足止めを食らった」のである。これまで規制官庁であった環境省の対応は、「ホッチキスで書類を留めているばっかりで何もしていない」と批判される始末である。
次に現場と直接対応している自治体はどうか。ここでは業務量が膨大に増えたことが指摘される。復興業務自体がマニュアルのない作業であるため、例えば、避難指示区域の住宅は数年以上人が住まないまま放置されているため、ネズミに荒らされ傷んでいる。これを駆除して欲しいという要望が多く寄せられるが、ネズミの駆除のために使える交付金など、過去に前例がない。そしてこの対策を実施しようとすれば、これまた膨大な説明書類(事業の適正さ、費用算出、費用対効果の見通し等)の作成と陳情が必要となる。「被災地にいれば、ネズミの被害なんて一目瞭然なのに、(東京とは)温度差があり、なかなか状況をくんでくれない。福島復興再生総局は結局、霞ヶ関に説明しなければならない立場上、細かい説明を求める。こちらとしては必要だから要求しているのに」。これに自治体側の政策立案能力の不足が加わる。
これらの間に立つ福島県でも、業務が増え、マンパワーが足りないという上に、「原発事故直後の国とのやり取りなどをめぐって、福島県は原発被災自治体やマスコミから多くの批判を受け、県幹部は及び腰になった」。この結果、「どうしても県がやらなければならない案件なのか」という基準でスクーリニングされるようになり、職員のモチベーションも下がっているという。
かくして本書は言う。「自宅への帰還を待ちわびながら、仮設住宅の畳の上で息を引き取る人。中間貯蔵施設の建設をめぐる一連の動き。原発事故後の福島県での取材で私の目に映った復興の過程は、リンゴが腐るまで待っている政治・行政の姿だった」と。
原発事故発生から5年、国策としての原発推進の方向は未だ変更されず、これに対するマスコミの批判も腰砕けになっている現在、本書は、現場からの小さな告発であり、立場上表現を控えている部分もあるが、わが国の政治・行政制度の陥っている大きな問題を暴いている。(R)
【出典】 アサート No.461 2016年4月23日