【本の紹介】「ヒトラーに抵抗した人々」
(對馬達雄著 中公新書 2015/11/25)
世界一民主的な憲法と言われた「ワイマール憲法」の下で、独裁政権ナチス・ドイツがどのように成立したのか。本書は、ナチス・ドイツが成立する過程を明らかにしつつ、それに抵抗した人々の闘いと結末を丁寧に描き出している。
<不景気からの転換、財政出動と雇用創出>
「大恐慌から立ち直れないまま失業率は40%、失業者数は600万人を優に超えていた。安定と秩序を欠いた社会には絶望感が溢れていた。なかでも若者たちは将来の希望を絶たれた犠牲者だった。」ナチスが合法的に政権を奪取したドイツの状況だ。政権に就いたナチスは、財政出動による雇用創出、アウトバーン計画などの公共事業、自動車産業への助成策によって失業問題を改善し、社会を安定させた。しかし、それはナチス思想の実践のための施策であった。1933年の「全権委任法」の成立を受け、ヒトラーは、共産党・社会民主党など反対者の一斉拘束・ユダヤ人の抹殺と東欧の植民地化に着手することになる。ナチス抵抗者となる人々の多くも、全権委任法の成立と強行策の実施までは、ヒトラー政権の支持者であったという。それほど、ナチス・ドイツは国民の支持を集めていた。
<ユダヤ人絶滅政策と抵抗の開始>
ヒトラーは、「我が闘争」(第1巻は1925年発行)において、反ユダヤ主義を自らの信念として語っている。「特に顕著なのは人種主義の観点であり、世界は人種同士が覇権を競っているというナチズム的世界観である。さらに、あらゆる反ドイツ的なものの創造者であると定義されたユダヤ人に対する反ユダヤ主義も重要な位置を占めている」(ウィキペディア)
特に金融・経済界の重要な位置を占めるユダヤ系ドイツ人に対して、ヒトラーは、「ユダヤ富裕層に対する反感と敵愾心」を煽っている。政権奪取後ナチス突撃隊によるユダヤ暴行や逮捕は容認されていたが、全面的なものではなかった。経済の好転と失業解消を受けて、1935年徴兵制の復活、再軍備宣言以降、ナチズムの体現者としてヒトラーの神格化が始まると、反ユダヤ政策が強化されていく。
著者によると、反ユダヤ政策の強化と戦争計画は連動しているという。1936年の「第2次4カ年計画」(戦争準備)と、1935年のニュールンベルグ人種法によるユダヤ人からの市民権はく奪である。「祖父母の4人ないし3人をユダヤ人に持つ人々は『完全ユダヤ人』とされ、その数77万5千人(1937年)は、市民権を奪われ公的扶助の資格もはく奪されていく。」そしてユダヤ人資産家からの財産没収による財源は、戦争準備に使われてゆく。
1938年11月、ドイツ全土・オーストリアでユダヤ人への暴行・殺害、略奪行動が行われる。ボクロムである。略奪された資産は、国内低所得者施策の財源と軍備拡張に使われた。この時期、反ユダヤ政策に反対した政府・行政関係者は、公職を辞し、反ナチスの抵抗者となってゆく。ただ、密告社会となったドイツでは、反ナチス運動は公然たる国民運動になることはなかった。
<国民の圧倒的なヒトラー支持と反ナチス抵抗者>
侵略した国々からの簒奪資産(資金も食料も)とユダヤ人からの没収資産は、ドイツ国内政策に充てられ、ロシア戦以後敗戦が色濃くなっても、多くのドイツ国民は依然ナチスを支持していたという。
しかし、危険を冒しても人間でありつづけたいと考える人々、本来のドイツ国家に戻るべきと考える人々は、ユダヤ人の救援や救済活動を密かに実行し始める。小さなサークルであったり、個人の結びつきを通じて。戦後の調査では、こうしたグループは全国に数百存在したと言われている。それらの人々も、戦争末期までには多くが拘束され、強制収容所で命を落としている。
遺族を含め、戦後も多くを語らなかったため、これらの活動が評価されはじめるのは、1950年以降と言われる。抵抗運動の中でも、1944年のヒトラー暗殺事件と1942年ミュンヘン大学の学生による反ナチス組織「白ばら」グループの活動は、戦時中に公開裁判が開かれたため広く知られることとなった。
「ワルキューレ」(2008年)という映画が公開されたが、トム・クルーズ演じる「シュタウフェンベルク大佐」が、時限爆弾によるヒトラー暗殺を計画し、実行した実話である。事件後大佐は死刑となった。徹底した捜査により、暗殺事件に関連して逮捕された人々は7000人に上った。
「白バラ」事件は、ミュンヘン大学の学生が反ナチスのビラ<白バラ通信>を配布した事件である。第6のビラまで発行されたが、逮捕後中心人物の3名は、直ちに斬首刑とされた。影響を受けて活動したハンブルグ大学の学生も極刑となっている。
<ロシア戦で失速した略奪戦争>
ナチス・ドイツの勢いは、レニングラード攻防戦を境に急速に失速することになる。ソ連は1000万人を超える軍人・市民が犠牲になりつつ、モスクワ直前でナチス・ドイツを撃退した。また、侵略した国々のユダヤ人達もナチスの抹殺対象であり、略奪の上、強制収容所へ送られ、帰ることはなかった。侵略した国の富と食料をドイツ国内へ運びだし植民地化された地域では飢餓が蔓延する。そしてロシア戦線の膠着、アメリカの参戦によりドイツの敗色は決定的となったが、ヒトラーは戦争遂行を続けた。略奪資産により国内では飢餓が起きなかったことも一因と言われる。
<「もう一つのドイツ」否定政策>
ドイツ占領期、戦勝国は草の根のような反ヒトラー抵抗者の存在を隠蔽する。アメリカ・ソ連共にナチス・ドイツ一色のドイツが戦争を犯罪を起こしたと宣伝するため、反対勢力の活動を隠したためである。そのため、抵抗者の再評価が遅れることとなる。そのため敗戦後も抵抗者の遺族たちには「迫害」と貧困の2重の苦難が続いた。その後、民間の救済機関が設立されるなど徐々に変化が起き始め、再評価に繋がることになる。
ユダヤ民族絶滅計画はじめとするナチス・ドイツの戦争犯罪について、ドイツは風花させず、後にEUに結実していく。「侵略戦争ではなかった」と歴史を否定する日本の極右勢力とは対象的であろう。
本書では、具体的な抵抗者達の活動が描かれている。死をも覚悟しての反ヒトラー抵抗者、市民の抵抗運動について、本書を通じて学ぶことは重要である。(2016-03-21佐野)
【出典】 アサート No.460 2016年3月26日