【投稿】包囲網の拡がりと自公政権の動揺 統一戦線論(17)

【投稿】包囲網の拡がりと自公政権の動揺 統一戦線論(17)

<<慌てふためく安倍政権>>
 戦争立法強行採決(9/19)直後の9/24、安倍首相は局面の打開をはかるべく、自民党総裁再選を決めた両院議員総会後、自民党本部で記者会見を開いた。しかし、連日、国会・首相官邸を取り巻き、そして全国各地で急速に拡がりだした強大な集会とデモの波に不安と動揺を隠し切れなかったのであろう。首相にのしかかる暗雲を振り払うべく、「デフレ脱却は、もう目の前です。この3年で、日本を覆っていた、あの、暗く、重い、沈滞した空気は、一掃することができました。日本は、ようやく、新しい朝を迎えることができました」などと現実とまったくかけ離れた言辞を弄し、唐突に、「アベノミクスは第2ステージへ移る」と宣言したのである。これからは経済に専心し、「1億総活躍社会」を目指し、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の新たな「3本の矢」なるもの掲げ、今後の政権課題を「強い経済を作るために全力を挙げる」と表明した。この「3本の矢」、ことごとく自らが先頭に立って市場原理主義の旗の下に規制緩和と非正規雇用の拡大、社会保障予算の削減によって「第1ステージ」でぶち壊してきたものである。「第1ステージ」が「希望」を萎えさせ、「夢」をぶち壊し、「安心」を「不安」に置き換え、失敗したが故の「第2ステージ」であることを自ら認めてしまっていることに本人は気付いていない。安倍政権登場の3年前とは違って、こんな絵空事で支持率を獲得できる事態ではない、むしろアベノミクスのファイナルステージになりかねない事態である。
 しかしよほどの付け焼刃であったのであろう。身内であるはずの石破茂地方創生相からでさえ、肝心の「1億総活躍」について、「最近になって突如として登場した概念。国民の皆様方には『何のことでございましょうか?』みたいな戸惑いのようなものも、全くないとは思っていない」と茶化され、突き放される始末である。慌てふためき動揺したあげくの思い付き、口先だけ、小手先だけのパフォーマンスであることが周辺からでさえ見透かされてしまっているのである。

<<「出さないほうが良かった」>>
 こうした安倍政権の動揺は、すでに8/14の「戦後70年談話」にも見て取れる。
 安倍政権の当初の狙いとしては、過去の植民地支配と侵略を認めた20年前の村山談話を、事実上撤回することが、首相個人にとっても譲れないぎりぎりの線であった。ところが、8/14、発表の当日、6カ所も談話を読み間違え、お得意のどうだといわんばかりの高揚感がまったく見られない、覇気を失った味気のないものとなってしまった。安倍首相としては、本来は否定したかったし、そうすることを確言していた、村山談話にある「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」は次々とそのまま踏襲せざるをえず、極力あいまいに薄めたものの、本人自身が無念さをこめた談話にしかならなかったのである。村山談話からの脱却にあれほど意欲を示していたにもかかわらず、である。
 7月16日の安保法案衆院通過後、各社の世論調査ですべて内閣支持率が不支持を下回る逆転現象が起き出し、戦争立法反対の闘いの急速な盛り上がりの前に恐れをなし、後退せざるを得なかったのである。期待した保守派は失望、失笑し、出さないほうが良かったとまで酷評される始末である。
 とはいえもちろん、精一杯の「安倍カラー」を盛り込んではいる。「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」などと侵略と植民地支配を合理化したり、慰安婦問題に言葉さえ割かず、「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と謝罪外交の終わりを告げる。そういいながら、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはなりません。」と付け足す。そして反省やおわびに「私は」という主語を一切つけない。こうした無責任きわまる曖昧模糊とした談話の発表は、その意義をまったく台無しにしてしまった安倍政権の動揺振りを如実に示していると言えよう。

<<共産党の方針転換>>
 安倍政権がここまで追い込まれたのは、何ゆえなのか。
 年初以来、とりわけ5月から9月にかけての、戦争立法反対運動が、60年安保闘争以来ともいえる急速な盛り上がり、60年安保闘争を超えるともいえる草の根の運動の広がり、学生や高校生まで含めた若者の運動前面への登場、学者・文化人から子連れのママさん、そして市民一人ひとりが自由に参加できる運動形態の広がり(「女の平和」国会ヒューマンチェーンや「誰でも入れる市民の列」、全国40箇所以上で展開されたという無言のプラカード行動・スタンディング、等々)、各界各層、全国津図浦々、保守層にまで拡散した「安倍政治を許さない!」闘いを前にして、安倍・自公政権は顔色を失ったといえよう。その狼狽振りが、「戦後70年談話」と「1億総活躍社会」にも現れたのである。
 さらなる力強い追い込みが不可欠であるが、「安倍政治を許さない!」闘いの盛り上がりに比して、野党の不統一、そのふがいなさ、中途半端さは目を覆うばかりである。ようやく戦争立法反対では、大衆運動の強い後押しによってようやく足並みを揃えるに至ったが、まだまだ力強さと粘り強さに欠ける。
 そうした中で共産党の志位委員長が9/20、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現に向けて、「“戦争法廃止、立憲主義を取り戻す”――この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して」の選挙協力を呼びかけた。そして具体的には、来夏の参院選での野党選挙協力について「32の(改選数1の)1人区全部で自民を落として野党が勝つ構えで選挙協力をしたい」と述べたのである。
 志位氏が「私たちは党をつくって93年になりますが、これまでこういう全国的な規模での他党との選挙協力(の試み)というのは、実はやったことがないんです。」と言うとおり、共産党の画期的な方針転換である。
 志位氏は「どの選挙区にも擁立するこれまでと同じ対応では国民への責任は果たせなくなる。共産党も変わらなければいけない」と述べ、今回の構想について、「安倍政権が続くなかではすぐに降ろすものではなく、一貫して掲げたい」と述べ、中期的な構想であることも明らかにした。

<<「『我見』ではあかん。まとまってやらんと」>>
 なぜこうした方針転換がもっと早くからできなかったのか、せめて前回の都知事選や、衆院選でもできなかったのか悔やまれるところであるが、遅きに失したとはいえ、前向きな転換と言えよう。
 共産党が統一戦線成功のために本来一貫して追及すべき、なすべき方針転換が、ようやくのことで大衆運動の盛り上がりとその力強い要求に押されてなされた、「これまでと同じ対応では国民への責任は果たせなくなる」、またそうしなければ見放される現実に直面してなされた転換だとも言えよう。
 逆に言えば、これまでの共産党の全選挙区、地方選でもほぼすべての首長選で独自候補を立ててきたセクト主義的な独自路線、排他的な分断・分裂路線が、いかに自公政権に喜ばれ、彼らを助け、彼らに歓迎されてきたかの証左でもある。そして安倍政権と闘う側からは、いかに苦々しく情けなく見られて来たかの証左でもある。
 歓迎すべき方針転換ではあるが、共産党のセクト主義はなかなか克服できない一種の業病でもある。9/30付赤旗8面トップ見出しは、「大反響の『国民連合政府』提案」「党勢拡大は『統一戦線の発展のための決定的条件』」と逆立ちした論理を掲げている。統一戦線に先立つ「党勢拡大」なのである。本来は、統一戦線を成功させてこその「党勢拡大」である。ところが現実の共産党においては、「決定的条件」が「党勢拡大」となってしまっている。10/2付赤旗は、この間の「党勢拡大大運動」の中で5000人入党と誇らしげに報じている。何が何でも党員獲得なのである。共に闘うよりも、「わが党」への入党を優先する囲い込み運動なのである。それがいかに排他的分裂主義的であっても問われるものではない。同じ10/2付赤旗1面では、「国民連合政府」実現へ 「我見」排し団結を、という見出しで、有馬臨済宗相国寺派管長と市田副委員長・穀田国対委員長が懇談内容が掲載され、有馬管長は「仏教では、自分の立場に固執することを『我見(がけん)』といいます。『我見』ではあかん。まとまってやらんと」と応じている。まさに「我見」ではダメなのである。
 統一戦線は、本来一貫してそうあるべき基本戦略であって、党勢拡大のための戦術であってはならないものである。

<<致命的な弱点の存在>>
 この共産党の方針転換には、さらに指摘しなければならない、まだ顕在化してはいないが、致命的な弱点が存在している。それは、尖閣列島問題での共産党の立場である。
 10/16の外国特派員協会で志位委員長が講演をしたのであるが、記者が質問をして、「国民連合政府が政権運営している時に有事が起きたら、自衛隊と在日米軍の出動を要請するのか」と突っ込まれると、志位委員長は以下のように答えている。
 「(政府としては)『凍結する』と言っているのですから、自衛隊法がある以上、有事の時に自衛隊を活用するのは当然のことです。現行の日米安保条約の第5条で日本が武力攻撃を受けた際は共同で対処すると述べられています。」
 つまり、有事の際には、「日米安保条約の枠組みで対応する」、「急迫不正の時には自衛隊を活用する」「在日米軍を活用する」と明言したのである。
 共産党は、尖閣列島、竹島とも日本領土論を展開しているが、とりわけ尖閣列島問題では、右派も「正論」だと絶賛したニコニコ動画の中で志位委員長が登場して、「日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪った、という中国側の主張ですが、日清戦争によって日本が不当に奪ったのは「台湾とその付属島嶼(とうしょ)」および「澎湖(ほうこ)列島」で、尖閣諸島は含まれていません。中国側の主張は成り立たないのです。」と詭弁を弄して、あまつさえ、尖閣諸島を巡って「領土問題は存在しない」と繰り返すだけの日本政府の姿勢を「だらしない」と一蹴してみせたのである。民族主義への媚び、民族主義での反中・反韓路線への同調・激励路線である。この点に関しては、安倍政権を共に民族主義で叱咤激励する立場である。
 ここに明らかなことは、共産党の路線は、徹底した善隣友好・平和外交路線ではなく、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした憲法9条を堅持する路線ではないのである。
 この点に関して、『絶望という抵抗 佐高信×辺見庸』(㈱金曜日2014/12発行)のなかで、「あの党(共産党)の領土問題についてのスタンスに共感できません。尖閣列島は日本の領土であるという。この点は自民党と殆ど代わらない。・・・日中戦争、そのとき共産党はどうするか、起きるのは「祖国防衛戦争」です。」(辺見庸)「戦争を生み出す最大のエネルギーはナショナリズムです。戦争に反対するということは、ナショナリズムに反対すると言うことです。その意味で、いまの共産党にその資格があるとは私には思えない。」(佐高信)という指摘が現実化しだそうとしているのである。
 もちろん、直面する課題は、安倍政権打倒のための統一戦線である。しかし、その成功はこうした懸念を払拭するものとしなければならない、と言えよう。
(生駒 敬) 

【出典】 アサート No.455 2015年10月24日

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