【コラム】ひとりごと—南京大虐殺 ユネスコ記憶遺産登録問題—
〇2015年10月9日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は「南京大虐殺事件」を巡る資料を記憶遺産に登録することを決めた。中国は、昨年3月に「南京大虐殺文書」と「慰安婦関連資料」の記録遺産登録を申請しており、1年6か月の検討期間を経て、登録が決定されたことになる。○登録決定を受けて菅官房長官は、テレビ番組で、「南京で非戦闘員の殺害や略奪行為とかは否定できないと思っている。しかし、その人数にはいろんな議論がある。ユネスコが一方的に中国の言い分を受けて指定するのはおかしいということを、中国にも、ユネスコにも外交ルートを通じて抗議してきたものが、今回、このような形で指定されたのは残念で、抗議している」(産経)と発言した。二階総務会長も「分担金拠出の削減をするべき」と発言している。〇中国は、3つの文書を記録遺産文書として申請していたが、この内容は今後公表されるという。日本政府は、文書の公開後、その真実性等を問題にして「登録取り消し」を目指すと言われている。○政府外務省は、中国の申請が登録されないよう、政治的アプローチしてきたわけで、見事に敗北した形となった。「透明性や公平性が欠けている」との指摘は、登録決定前にこそ主張するべきであろう。その意味では、日本の外交的敗北であり、安倍外交の敗北である。〇菅官房長官も認めているように、日中の意見の相違の一つは、被害者の人数にある。中国側は、最大で30万人と主張している。日本の一部の歴史家は、2万人から3万人の捕虜を「処断」した事実は認めつつ(軍の報告書の中に記載されている数の合計)、中国の主張する人数については、反論する。○しかし、「ユネスコ拠出金の削減を行うべき」とまで主張する政治家の対応を見て、戦後70年を迎えても、侵略戦争の反省が何もできていない保守政治家の本音が露呈したと感じる人は多いと思う。○私の記憶では、1972年の日中共同声明では、日本の侵略戦争被害の賠償請求は、これを行わないことで合意された。しかし、賠償問題と戦争被害の実態解明は別の問題であろう。〇一部の論者は、1937年の盧溝橋事件の後、上海事変、そして南京攻略に伴う侵略戦争について、「双方とも宣戦布告を行っていないから、戦争法は摘要されない」などとして、「捕虜」の殺害も罪に問われない、などの主張をしているというが、情けない限りである。〇過去の過ちに謙虚に向き合うことなしに、「積極的平和主義」を訴えても、反省のない「侵略者」が再び息を吹き返したと思われるだけで、新たな平和的関係の構築は望めないだろう。〇上海攻略では「一撃で中国は屈服する」と現地軍が暴走し、それを参謀本部が追認。ドイツ・ソ連から軍事物資が供給され、増強された中国国民党軍の頑強な抵抗に、上海の攻防だけで、日本側の死傷者は4万人を超えた。事態が膠着する中、新たに派兵された3つの特設師団は、予備役中心で編成装備も不十分だったと言われている。さらに、杭州湾上陸作戦に向け、4個師団を増派し、上陸作戦の成功により、挟撃を受けることとなった国民党軍は総退却に転じ、首都を南京から重慶に移した。南京攻略については、参謀本部にも異論があったが、戦線拡大派が押切り戦端が開かれた。しかし兵站が十分ではなく、南京入城後日本軍による略奪、敗残兵・捕虜の殺害が相次ぐ。戦時記録では、第9師団が掃討戦で捕えた敗残兵6670人を刺殺・射殺したとの記録がある。これが、南京大虐殺と言われる事態である。数の問題に解消できる問題ではないのである。○今後、南京大虐殺の記憶遺産登録問題では、政府は「日本の見解」を訴えるとしているが、侵略の経過を明らかにした上での議論とすべきである。〇分担金削減の大合唱の中、先日アメリカのケリー国務長官は、パレスチナ問題を理由として2年間凍結してきた、ユネスコへの分担金拠出を再開すると表明した。安倍政権の対応と正反対の動きとなっており、削減を実施すればさらに日本は孤立することだろう。○戦後70年ということで、この夏は、歴史本をよく読んだ。「昭和陸軍全史」(1巻から3巻川田稔著 講談社現代新書)、「日米開戦の正体–なぜ真珠湾攻撃という道を選んだのか」(孫崎亨著)、「海軍の日中戦争 アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ」(笠原十九司著 平凡社)など。満州事変以後日米開戦に至る日本の中国侵略の歴史は、国民共有の認識として、しっかり語り継ぐ必要がある。(佐野秀夫)
【出典】 アサート No.455 2015年10月24日