【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(6)

【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(6)

▼ 2月の都知事選以来、4月初めの京都府知事選、4月末の鹿児島2区補選、那覇市長選と、安倍政権は自民・公明連合による徹底した争点隠しとまやかしのアベノミクスとバラマキ政策の選挙戦略で連勝してきたが、この7月13日・投開票の滋賀県知事選でついに敗北を喫する事態となった。嘉田前知事の「卒原発」を引き継いだ前民主党衆院議員・三日月氏に勝てなかったのである。この選挙で勝利し、集団的自衛権も原発再稼働も「国民の理解を得た」として、さらなる暴走を加速させようとしていた安倍政権にとっては手痛い敗北である。
告示前の自民党調査では、自民・公明候補が11ポイント差でリードし、内閣参事官として安倍政権の成長戦略の立案に携わり、原発の推進と再稼働に固執する資源エネルギー庁エリート官僚であった小鑓氏が、当初こそは楽勝・圧勝ムードであったが、明らかに潮目の変化が生じ、奢りおたけぶ安倍政権にとっては思わぬ逆風が吹き始めたのである。激戦必至の情勢にあわてて自民党は強力な支援態勢を敷き、安倍首相自身が外遊先のオーストラリアからも、直々に滋賀の業界団体などに電話を入れ、石破幹事長や菅官房長官、多くの閣僚や小泉進次郎氏ら、100人を超える国会議員を投入、猛烈な組織戦を展開、巨額の公共事業やバラマキをチラつかせ、地方選挙としては異例の態勢で臨んで巻き返しを図ったが、それでも敗北したのである。
▼ さらに、「常勝関西」と呼ばれる関西創価学会の最高幹部が「滋賀が大変だ。安倍政権凋落の分岐点になりかねない」と危機感を煽り、「小鑓さんには山口代表が自ら推薦証を渡した」「われわれもかつてないほど力を入れている」とかけずり回った。しかし、7/1の集団的自衛権の閣議決定に公明党が押し切られて以降、「こんなことは許されない」といった支持者の不満が噴出し始め、公明党・創価学会の動きは、幹部が総力戦を強調すれども、「平和の党」の看板が汚され、「お得意の期日前投票にも行ってくれない」事態に幹部が嘆き、すべてが平和憲法を骨抜きにしてしまったことへの釈明に追い込まれてしまったのである。
今次安倍政権の発足以来、与野党が対立する構図の国政・知事選で自民・公明の与党連合が敗北したのは初めてのことである。安倍首相自身がこの敗北について、「十分な反省に立って国民目線の政策を進めたい。政権与党には常に国民の厳しい目線が向けられる。要因の分析が大切だ。(敗北に)集団的自衛権の議論が影響していないと言うつもりは毛頭ない」と語り、自民党の石破幹事長が、今後の政権運営への影響について「我が党が全面支援した候補が敗れたことは重く受け止める。」と言わざるを得ない事態である。
原発政策が争点となる10月の福島県知事選、米軍普天間飛行場の移設・辺野古への新基地建設の是非が争われる11月の沖縄県知事選を控え、与党連合にとっては逃れられない暗雲が漂い始めたのである。
▼ 滋賀県知事選の投票率は当初は40%台とみられていたが、最終的には50%を超え(50・15%)、参院選と知事選とのダブル選であった前回の61・56%を下回りはしたが、前々回の44・94%を大きく押し上げた無党派層の票は、自公候補を拒否し、ほとんどが三日月陣営に流れたとみられている。選挙結果は以下の通りである。

三日月大造 前民主党衆院議員      253,728 票 得票率 46.3%
小鑓 隆史 元経産官僚、自民、公明推薦 240,652 票 得票率 43.9%
坪田五久男 共産党県常任委員、共産推薦 53,280 票 得票率  9.7%

その差は軽視できないが、13,000票余りの僅差である。
三日月氏は民主党の推薦を断り、草の根選挙をアピールした。三日月氏と嘉田由紀子前知事が共同代表となり、選挙母体となった「チームしが」は、民主党から嘉田支持者までの幅広い勢力を結集する受け皿として、せっけん運動から続く湖国の草の根自治の理念を受け継ぐとしている。琵琶湖を抱え福井に密集する原発銀座に直面している滋賀県を念頭に、三日月氏は当選後の記者会見で「県民がエネルギー政策に意思表示した。3・11を教訓にした『卒原発』の取り組みをしっかり推進したい。」と決意を表明している。公約を反故にすればたちまち逆転されかねない僅差である。
▼ ここで問題なのは、このような僅差の中での共産党推薦候補の存在である。選挙結果について初めて報道した7/15付しんぶん「赤旗」の記事は、その重要性からは程遠いまったく小さな扱いでしかなく、共産推薦候補について「善戦しました。前回知事選の得票(36,126票)を約1.5倍と伸ばしました」とし、「滋賀知事選 自公敗れる」と題して「当選には至りませんでしたが、日本共産党と県民の共同が安倍政権を追い込みました。」と、内容はたったこれだけである。都合の悪いことには一切触れない、「県民の共同」の中身もなければ、与党連合を敗北に追い込んだ知事選の意義も、分析も、総括も反省もない。それにしてもまったく白々しい、恥ずかしいものである。良識ある党員・支持者は嘆き悲しみ、落胆しているであろう。
同じ7/15付しんぶん「赤旗」の主張「日本共産党92周年」は「自民党と日本共産党の対決―『自共対決』の構図はいよいよ鮮明です。」と述べている。共産候補のこの得票でどこが「自共対決」なのか、どこが鮮明なのか。「自共対決」どころか、客観的には「自共共闘」であり、自民・公明候補を間接的に応援・支援し、利する立候補なのである。今に始まったことではないが、一体何のために立候補したのかその見識が根底から疑われるものである。
そこにあるのは、「我が党」こそが一貫して正しく、「我が党」以外は全て本来の政党ではなく、「我が党」の勢力拡大をこそ全てに優先させるべきであるという、長年患い、身から滲み出しているセクト主義という業病である。
▼ 4/21付しんぶん「赤旗」は、「『一点共闘」を日本の政治を変える統一戦線に」と題して、全国革新懇懇談会での志位委員長の報告を全文掲載し、これが今の党の統一戦線に関する指針となっている。
そこでは、「一点共闘」の広がりの第一は、無党派の新しい市民運動、第二は、保守との共同、第三に、労働運動でナショナルセンターの違いをこえた共同行動、第四に、地方の「オール○○」という形での「一点共闘」が各地で起こっていることは、きわめて重要です。「大阪では独特の形態での「一点共闘」の発展があります。維新の会の暴走ストップという「一点共闘」です。」と述べて、締めくくりとして「私は、一致する要求実現のために、政党・団体・個人が対等・平等で共同し、お互いに気持ちよく存分の力を発揮するというのは、統一戦線の大道を歩むものだし、そこに踏み切ってこそ国民的な力が一番深いところから発揮されるのではないかと感じています。ぜひ、こうした共同のあり方を発展させたいと願っています。」と述べている。
共闘の広がりを評価していることは前進といえようが、この最後の「対等・平等で共同し、お互いに気持ちよく」にその本音とその裏に潜む含意がよく現れている。つまりは、「我が党」の視点から見て、対等・平等ではなく、気持ちよくなければ、一緒に闘うことも、統一戦線に加わることもありません、「我が党」を批判するような、「我が党」の意に沿わないような方々とは「一点共闘」もありえませんというわけである。
ただし、維新の会の暴走ストップという「一点共闘のようなもの」は、共産党が独自候補を立てれば、あまりにも浮いた存在となり、敵を利すること鮮明であり、猛烈な批判を招きかねないという客観情勢に押されてやむなく立候補を断念したに過ぎないものである。沖縄県知事選についても同様である。独自候補を立てる余地がなかったのである。
それは、その場限りの「一点共闘」はありえても、広範で多様な人々を結集した本来の統一戦線に踏み切れない、「我が党」の立場と違う異見を許さない、異見が出てくるとそれを封じ込める共産党の体質であると同時に、異見を柔軟に取り入れ、あるいは折り合いをつけ、新しい質と豊かさを獲得していく、自信のなさの表れでもある。
▼ この志位委員長の報告後の5/25付しんぶん「赤旗」は、「力点を党勢拡大にシフトしよう」と題して、「党員、日刊紙、日曜版ともに後退する危険が大きい現状に鑑み、躊躇なく党勢拡大に力点をシフトすることを呼びかけます。」という「躍進月間」推進本部の呼びかけを大きく掲載している。「力点を党勢拡大にシフト」すること、共闘、統一戦線の拡大やその発展よりも、躊躇なく「我が党」の党員に取り込んでいくことが優先されるセクト主義がここでも如実に示されている。「一点共闘」もそのための手段、道具でしかなくなるのである。

この7月6日、大阪弁護士会主催による野外集会「平和主義が危ない! 秘密保護法廃止!!」が開かれ、雨の中約6000人が集会に結集し、3コースのデモ行進が行われた。大阪では久方ぶりに、大阪平和人権センターに結集する諸団体や市民運動が主体となってきた集会に、写真(筆者撮影)にあるようにそれほど多くはないが共産党系の人々も参加する集会、デモとなった。集会では、民主党、共産党、社会民主党、生活の党、大阪平和人権センター、全日本おばちゃん党、大阪憲法会議等々の代表がそれぞれ挨拶と決意表明を行い、共産党からは山下芳生・書記局長が「弁護士会に敬意を評します」と述べた上で、「たたかいはこれからです。法案の一つ一つをみんなの力で葬り去りましょう。」と訴えた。7/8付「しんぶん赤旗」も1面に写真入りで報道している。
弁護士会が党派を超えた結集の軸になり、共産党が「一点共闘」としてこれに参加したことは確かに一歩前進ではある。しかし、弁護士会という仲立ちがなければ、「一点共闘」すら成立させることができ得ない、今の「統一戦線」は、足し算としての「和」にはなったかもしれないが、本来獲得すべき掛け算としての「積」にはほど遠く、安倍内閣の暴走に比して、なんとも歯がゆい遅々たるものである。こうした現状を打破する統一戦線の構築こそが望まれている。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬, 統一戦線論 パーマリンク