【書評】『家事労働ハラスメント–生きづらさの根にあるもの』

【書評】『家事労働ハラスメント–生きづらさの根にあるもの』
            (竹信三恵子、2013年10月発行、岩波新書) 

 「私たちの社会には、家事労働を見えなくし、なかったものとして排除する装置が、いたるところに張りめぐらされている。(略)/家事・育児・介護が世の中には存在しないかのように設計された極端に長い労働時間の職場。そんな働き方によって、健康を損ね、ときには死にまで追いやられた人たちがどれだけ多いかは、過労死について書かれた多くの資料をひとつでものぞいてみれば、すぐにわかる。一方で、家事や育児や介護を担うべきものとされた人たちは、職場でハラスメントを受け、低賃金と不安定な労働に追いやられていく」。
 本書は、一方で、現実に存在する家事労働をないものと見なし、他方で、「『家事はお金では測れないほど大事な価値』であって労働ではない(だから待遇や労働条件のことなどあれこれ言わずに奉仕しろ)」として、その働きを低コストに抑え込もうとする動きに対して、家事労働が生活にとって不可欠であればこそ、きちんと評価される労働として社会的に位置づけられねばならないと主張する。そして家事労働が日本の社会によって正当に評価され、位置づけられていない結果が、どのような貧困の図式をもたらしたかを検証する。
 「序章 被災地の百物語」では、「女性が家庭に抱える見えない労働」が、震災と原発と失業の三重苦の中で、極端な形で現われた事例がいくつも出される。–高齢者の介護や子どもたちの食事の世話などの日常の負担に加えて、安全な水や食べ物を求めて店を駆け回る、避難してきた県内の親戚の世話、避難所によってはプライバシーを確保する間仕切りがない問題、女性被災者だけが避難所の食事作りを任されていた例、雇用対策面での女性に対する配慮の欠落、「災害弔慰金」や「被災者自立支援金」での「世帯主被災要件」(世帯主である夫が被災者の主で、妻は夫に扶養されている必要がある)等々–これらは、「労働は男性が行うものと言う平時の軌範」=「やって当たり前の無償の家事労働」が被災地域でも女性の役割として当然視された例であろう。
 本書は、こうした状況を生み出した経緯を解明し、1985年を「女性の貧困元年」とする説を紹介する。それによれば女性の貧困化を制度化したとされる85年の変化とは、「①男女雇用機会均等法、②労働者派遣法の制定、③第三号被保険者制度の導入」であるとされる。
 ①男女雇用機会均等法は、女性の深夜労働・休日勤務を禁じた労働基準法の女性保護の段階的撤廃と引き換えに制定されたが、同時期には「変形労働時間制」(1日8時間超労働でも一定期間の平均で1日当たり8時間労働を可とする)や「裁量労働制」(一定の職種では労働時間の規制を受けずに働かせることが可)が導入されている。この結果、条件のある女性(母親や親族の助けがある、夫が家事を支える、家事労働者を雇える収入がある等)は男性の分野であった職種に進出していったが、「だが、家事や育児を抱えてそれができない圧倒的多数の女性たちは、出産などを機に退職に追い込まれ、パートなどの非正規労働者として再就職することになった」。②労働者派遣法の制定は、こうした正社員からこぼれていく女性たちの受け皿として産声を上げた。「家事の担い手というレッテルの下にパートや派遣などへ追いやられた女性たちの増加で、非正規労働は均等法制定後の1980年代以降、激増し、2004年前後には働く女性の多数派に転化する」。③第三号被保険者制度は、「主婦年金」とも呼ばれ、これまで主婦優遇の制度と言われてきた。しかし「扶養下」認定の条件である年収130万円未満範囲内で働こうとするパート主婦の増加が、「第三号」の賃下げ圧力となり、パートの賃金を上げようとする動きを封じ込める作用を果たした。
 かくして「夫が家族を養い、妻が家事をする→夫の稼ぎがあるから家事労働を本業とす
る女性の仕事は不安定で安い賃金の非正規でも構わない→不況になって会社も大変なので、男性も非正規で雇うしかない、という流れの中で、女性の低賃金の前提となっていたはずの男性の安定雇用も掘り崩されていった。これによって、『夫がいるから安くていい』という水準で設定されたはずの経済的自立の難しい非正規の働き方が、急速に男性にも広がった」という結果となった。
 「ワーキングプア」、「派遣切り」、さらには「貧困主婦」の存在–貧困ライン以下の世帯での専業主婦=夫が低収入なのに外で働けない女性たち–といった問題は、上の制度と密接な関係を有している。
 本書では、産業構造の転換の中で専業主婦を扶養しきれない男性労働者が増加しているにもかかわらず、女性の経済的自立が阻まれ、これが貧困の温床となり、男性もまた家事労働ハラスメントに苦しんでいる現状が、そしてこのような状況に合わせて家事労働の再分配を政策的に実践してきた海外の取り組みについても報告される。
 「景気回復の切り札とはやされたアベノミクスは、『女性の活躍が成長を生む』と謳い上げた。だが、ここでも家事をしながら賃金を稼げるような労働時間の規制や、短時間労働でも賃金を買いたたかれない正社員とパートの均等待遇は無視され、むしろ、『活用』の名の下に家事労働と仕事の二重負担は過酷さを増しつつある」現在、本書は「見えない働きの公正な分配なしに、私たちは直面する困難から抜け出すことはできないという事実」をわれわれに指摘する。ともすれば男性正規雇用社員の夫としての眼しか持つことのできない「労働者」の眼を覚まさせてくれる書である。(R)

 【出典】 アサート No.440 2014年7月26日

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