【日々雑感】続:つくづく思う 語り部、記念館の重要性
前号414号でもお約束しておりましたが、記念館のことを書きます。少し古い記事で恐縮ですが、2011年10月8日(土)の毎日新聞夕刊の「引き揚げ風化防げ 記念館見学を必修化」という記事を紹介させていただきます。
内容は、戦後、旧満州(現中国東北部)やシベリアからの引き揚げ港となった京都府舞鶴市の市教委は今年度、小学校(全18校)の「舞鶴引揚記念館」(同市平)見学を初めて必修とした。引き揚げを知らない世代が増えて風化が危惧されるためで、バスのチャーター代など交通費を予算化した。水谷昭教育長は「(戦争を)評価するのは大きくなってから。ただ、自分の古里について学ぶ機会を準備しておく責任が教師にはある」と語る。最初の引き揚げ船「雲仙丸」が舞鶴に入港して10月7日で66年となった。
記念館は88年、市街地から離れた海を見下ろす丘陵に開館。引き揚げ資料約12000点を収蔵している。91年の入館者は約20万1000人だったが、ここ数年は約10万人と半減している。学校から気軽に歩いていけないため、社会科見学などに利用されず、逆にバスをチャーターした市外からの修学旅行生の方が多いという。
このため、市教委は社会科で近代史を学ぶ6年生に一度は見学してもらうことにし、今年度予算に交通費など729万円を計上した。今月6日までに5校が見学。5日、訪れた市立新舞鶴小の6年生112人は、シベリヤに抑留された舞鶴出身の男性がシラカバの樹皮に望郷の思いを綴った日記を目の当たりにした。語り部から「君たちのような年齢で、孤児として舞鶴に上陸した子が101人もいたんだよ」と聞くと、驚いた表情を見せた。
語り部のNPO法人「舞鶴・引揚語りの会」理事長の濱朗夫さん(70)は、「平和学習で広島や長崎に行くのに、目の前の教材をなぜ利用しないか、ずっと不思議だった」と話す。これまで語ってきた印象では、引き揚げを知らない児童が6、7割に上るといい、「親もしらないだろう。子どもに学んでもらうことで
一人ひとりに語り部になってもらい、逆に親の世代にも伝えていきたい」と考えている。
以上、私見が入ることを恐れ、全文紹介しましたが、何度読んでもウンウンと、うなずける内容だと思います。戦争を知らない親へ、学習を積んだ子どもから伝え続けてゆきたいものですね。そして私も18歳頃に暮らした舞鶴なので、その記念館に行ってみたいと思っております。(2012年6月15日 早瀬達吉)
【出典】 アサート No.415 2012年6月23日