【投稿】不毛な地震「予知」と原発建設

【投稿】不毛な地震「予知」と原発建設
                             福井 杉本達也 

1 電力の圧力で大地震・津波の記録を消した文科省
 福島原発を襲った東日本大震災の直前、昨年3月3日に文部科学省地震調査委員会事務局は東電など電力3社と非公式会合を持ち、今回の大震災に匹敵する869年の貞観地震・津波の記録を消し去っていたことが情報公開請求で分かった(福井:2012.2.26)。東大理学部のロバート・ゲラー教授は『日本人は知らない「地震予知」の正体』(2011.8.31・双葉社)の中で、経産省の総合資源エネルギー調査会の耐震・構造設計小委員会・第32回会議(2009.6.24)において岡村行信産総研・地震研究センター長は津波が常磐海岸まで到達していたとし、原発の地震・津波対策の強化を求めていたにもかかわらず、「貞観津波」の論文を電力会社が黙殺していたことを批難していたが(参照『エコノミスト』2011.7.11)、今回の情報公開で明らかとなったことは、電力会社と官僚はグルであり、日本の地震・津波の調査研究は原発建設(耐震評価)の影響(圧力)を大きく受け成果がねじ曲げられてきたということである。

2 耐震性で出だしから躓いたコルダーホール型黒鉛炉の東海第一原発
 東海第一原発は英国から輸入した日本初の商業用原子炉だったが、黒鉛を積み上げただけの炉心構造を持つ原子炉は耐震強度が十分ではなく、物理学者などから安全性に対する厳しい批判が出され、大幅な設計変更を行って1960年1月に着工し、1965年5月に初臨界に到達した(武谷三男『原子力発電』)。しかし、数々のトラブルのため十分な能力を発揮することはできず、1998年3月に営業運転を終了し解体工事に着手している(吉岡斉『原子力の社会史』)。この経験に懲りた政府は原発建設を推進していくには何としても地震を調査研究する必要に迫られた。それにうまく乗っかろうとしたのが東大の坪井忠二氏らの「地震予知計画」である。氏らの主張はとりあえず仮説を立てて研究するから予算(カネ)を寄越せという当時としては“大胆な”(サギ的な)ものであった。地震予知計画は1965年から国家プロジェクトとしてスタートした。その後、原発建設を強力に推し進めようとする中曽根康弘氏(当時運輸大臣)の入れ知恵で「研究計画」から「実施計画」へと“昇格”し、「地震予知」に対し破格の予算が配分されることとなった(ゲラー・上記)。当初から「地震予知」と「原発建設」は“不純な動機”から出発したのである。

3 プレートテクトニクス革命から遅れをとった日本の地震学
 原子力発電所をつくるときの設計基準は1978年につくられ、1981年に一部改正されたまま現在まで変わっていない。この間の地震学の進歩は著しいが、その成果は指針には取り入れられていない。指針は1960年代前半までの古いものだといわれている(島村英紀―『災害論』:加藤尚武より)。地質学・地球科学の分野では1960年代にプレートテクトニクス説が登場しパラダイムの大転換が起こった。地球内部のマントルは固体として対流運動をしており、その上に乗っかる薄いプレート(地殻)が対流するマントルに乗って互いに動いている。対流には湧き出し口と沈み込み帯があり、プレート境界部では造山運動、火山、断層、地震等の種々の地殻変動が発生している。日本海溝はこの沈み込み帯であり、巨大な地震が発生する。ところが、日本の地質学会が全体としてこのプレートテクトニクス説を受容するようになったのは1980年代初頭である。戦後の地質学会における複雑な対立が大きく影響したといわれている(木村学「回顧 地球科学革命の世紀」『UP』2011.4)。したがって、1970年代末につくられた原発の耐震基準には、不幸なことに、このプレートテクトニクス説は全く反映されていないのである。

4 プレートテクトニクス説に沿った「アスペリティモデル」が完全に崩壊した大震災
 プレートの境界面はべったりとくっついているのではなく、特に強く固着しているところ(「アスペリティ」)と、固着することなくスルスルと海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んで行くところがあるというのが「アスペリティモデル」である。宮城県沖のアスペリティは約40年間間隔でエネルギーを解放する。当然ながら、固着する部分が小さければ地震の規模は小さいと想定された。今回の地震まで、政府が想定した地震の規模は最大でもマグニチュード(M)8.2でしかなく、東北地方太平洋沖地震のM9.0には遠く及ばないものであった。気象庁は地震当日の記者会見で「三陸沖でこれほどの地震が起こるとは想定していなかった」と述べている(纐纈一起・大木聖子『超巨大地震に迫る』)。

5 気象庁の“犯罪”で19,000人が犠牲に
 地震発生後、気象庁から発表された地震規模は明らかな過小評価だった。気象庁が推定する地震マグニチュードは8以上では低く算定されることは当初から分かっていた(ゲラー:上記、河田恵昭「津波災害・減災社会を築く」2011.8.25)。巨大地震に対応できるモーメントマグニチュード(Mw)は15分後に得られるはずだったが、日本中の広帯域地震計は振りきれていた。そのため、9,000キロも離れたロンドンの地震計から地震規模を計算するのに54分もかかった。気象庁は当初の過小評価した地震規模で14時49分に津波警報を出した。高さは「3m」であった。その後、気象庁は15時14分に津波規模を「6m(宮城県は:10m)」、15.30分に「10m」へと3回に亘り訂正したが(「中央防災会議報告書」2011.9.28)、当初の「3m」の津波という情報以外は多くの人に伝わらなかった。こうして、地震から津波到達までの20~40分の時間を空費し、多くの人が津波の犠牲となった(青野由利「地震学に懸ける橋」毎日:2012.2.28)。輪をかけて気象庁は今回の大震災では、4月2日に気象学会を使い会長名で放射性物質予測、公表の自粛を会員に通知したこと、事故直後の浜通りの気象情報をいっさい流さなかったことなど数々の犯罪を重ねている。官僚ありて国民なし、学会栄えて学滅ぶ状況である。

6 「地震予知」は幻想である
 地震予知計画では巨大地震の数時間から数日前にプレート境界がゆっくり動く「前兆すべり」が起こると仮定され、この「前兆すべり」を捉えるために全国にくまなく観測網が敷かれ24時間体制で警戒する(日経:2011.8.7)。地震が集中する場所には原発は建設できない。「地震予知」ができると仮定すれば、地震が起きる場所を特定でき、建設適地を選定できる。「地震の規模」が推定できれば耐震設計を確定できる。「周期」が分かればその前に停止すればよい。「前兆すべり」が分かれば「地震の起こる時間を特定でき」緊急停止などの対策を打つこともできる。原発を建設するには都合のよい説である。しかし、東北地方太平洋沖地震は「予知」できなかった。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)も「予知」できなかった。新潟県中越沖地震(2007年)、新潟県中越地震(2004年)も岩手・宮城内陸地震(2008年)も「予知」できなかった。東海地震も「予知」できないであろう。「地震を予知できるのは、愚か者とウソつきと、イカサマ師」だけである(ゲラー:上記)。しかも、プレートテクトニクス説では日本海溝に太平洋プレートが沈み込んで地震を引き起こす。太平洋プレートは年間8㎝で東から西へ動いているので、これに期間をかければ蓄積される「すべり量」を求めることができ、これに断層面積をかければ想定される地震の規模がおおよそ算定できる。今回の東北地方太平洋沖地震は南北断層長さ480㎞、東西150㎞、すべり量10mという巨大な岩盤のずれであった。現存するものに理論の方を合わせてはならない。これまで、現存するもの(原発)が壊れないように地震理論を合わせてきた。「アスペリティモデル」しかり、「周期説」しかり、「地震空白域説」しかりである。しかし、M9クラスの地震に耐えうる原発はない。事実(自然)を直視するならば原発は存在してはならない。自然を欺くことはできない(ファインマン)。) 

 【出典】 アサート No.412 2012年3月24日

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