【書評】『日本海軍はなぜ過ったか──海軍反省会四〇〇時間の証言より』

【書評】澤地久枝、半藤一利、戸髙一成
『日本海軍はなぜ過ったか──海軍反省会四〇〇時間の証言より』
            (岩波書店、2011.12.6.発行、1,600円+税)

 本書は、2009年NHKスペシャル「日本海軍四〇〇時間の証言」の放映後、これを基にした鼎談の記録である。澤地久江はノンフィクション作家(『妻たちの二・二六事件』『滄海よ眠れ』等)、半藤一利は編集者を経て作家(『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』等)、戸髙一成は呉市の大和ミュージアム館長である。
 番組とこれら3名の鼎談の視点・集約点を、番組のチーフ・プロデューサー藤木達弘が次のようにまとめている。
 「反省会(「海軍反省会」、昭和52(1977)年から平成3(1991)年まで存続した–評者注)のテープは、次々と新しい歴史的事実を私たちに提供してくれた。それと同時に私たちが注目したのは、当時の海軍士官の多くは『実は戦争には反対であり』『戦えば必ず負ける』と考えていたにもかかわらず、組織の中に入るとそれが大きな声とはならずに戦争が始まり、間違っていると分かっている作戦も、誰も反対せずに終戦まで続けられていった、という実態である。/そこには日本海軍という組織が持っていた体質、『縦割りのセクショナリズム』『問題を隠蔽する体質』『ムードに流され意見を言えない空気』『責任の曖昧さ』があった。それは、現在危機が進行中の、東京電力福島第一原子力発電所事故への関係機関の対応に見られるように、そのまま現代日本の組織が抱える問題や犯している罪でもあった」。
 至言である。本書はこの視点から、戦争当時海軍内で少将・大佐クラスであったトップエリート士官たちの「海軍反省会」での発言を分析する。そしてそこでは、海軍の国際情勢の分析と作戦構想の偏り、長期展望の欠如、参謀教育の欠陥、組織における排除の論理、日露戦争以来の大国意識等々の実態が曝け出される。その詳細は本書を一読願いたいが、注目すべき諸点について紹介しよう。
 例えば、海軍の作戦構想については、こう語られる。
「(司会)反省会でも言われていた、ロングスタンディングがなかったという軍令部ですが、なぜこの組織のなかで、そうした失敗や躓きが起きるのでしょうか。
(中略)
半藤:いまでも通じてるんですよ。軍人というのは、過去の戦を戦うんですよ。
澤地:日露戦争の教訓でいいのですね。レーダーと飛行機の時代なのに。
半藤:そいうふうに思ったほうがいいんです。それは、軍人さんというのはどうも、教育からしてそうなんです。過去の戦を戦う。アメリカと戦っても、遠くから来攻してくるアメリカの艦隊を迎え撃って、日本近海まで呼び寄せて艦隊決戦をやって、戦艦『大和』以下の、大巨砲を装備した四隻が乗り出していって撃ち沈める、と。これね、遠くからやってきたバルチック艦隊を迎え撃った日本海海戦なんですよ。
澤地:自分たちはぜんぜん傷つかない。相手だけが沈んでね。そんな戦争ないでしょう?
半藤:明治以来、と言ってもいいと思いますが、そういった形でしか戦闘の型を決めていないんです。
澤地:戦訓がないんですね。
半藤:ない、というか。大勝利のそれはあるんですけどね」。
ではこのような作戦を立てるエリート参謀たちは、どのように教育されたのか。
「半藤:(前略)陸軍大学校は明治15年、海軍大学校は21年と、早めに創設されるんですが、これは何を教えたかったかというと、参謀教育なんです。参謀教育とは何かというと、授業の中身をみればわかりますが、戦術とか、本当に戦いに勝つことばかり勉強する項目が多くて、国際法とか、いわゆる一般常識、日本の歴史とか世界史、そんな授業なんて本当に少ないんです。海軍大学校のほうが少し多いですが、それにしても健全な良識のある人間をつくるといった授業がとくに少ない。文学なんてまったくない。本当に戦術のお化けみたいな軍人ばっかりを養成しました。/それが、この反省会に出てくる非常に優秀な人たちなんです」。
 そしてこの養成された士官たちで構成される海軍の組織では「排除の論理」がまかり通ることになる。
「半藤:あの当時のことをよく調べますと、組織というのは不思議なくらいに、飛び抜けて一歩進んだ人はいらないんです。邪魔なんですね。排除の論理というか、阻害の論理というか、『俺たち仲良くやってんだから、おまえ、そんなつまんない変なこと言うな』というような、排除の精神が動くんです。どこの会社や組織でもそうだと思います。/)なかには盆暗でも偉いことを言う奴もいるけど、そういうのではなくて、きちんとした勉強をして素質的にも優れた人がいたにもかかわらず、海軍としての組織は排除するんです」。
 その結果は、戸髙の発言にあるように、「自分の組織が第一なんですね。海軍もそうですけれど、もっと小さな部署部署でそれを守って大きくしていくわけで、自分の部署が大事」、「海軍あって国家なし」ということになる。
このような組織が戦争を遂行していったことに愕然とするが、次の澤地の言葉には、もっと暗澹たる思いがする。
 「この海軍反省会に出席している、軍令部のいい地位にいた参謀の人が戦後、自衛隊の幕僚長とかになっていますね。この人たちがもっている体質というようなものが、戦中と戦後にずっと、人から人へつながっていっている。つまり人間的につながっている。そういう形で、自衛隊という軍があるわけです。いまは、旧軍隊の関係者はいなくなったそうですけれど、組織ができていくというときは、ゼロからではない。何か精神的構造みたいなものを、どこかから受け継ぐんです。/それと、自衛隊のエリートたちはみな、アメリカに留学しています。(中略)不思議に思えるような話ですが、アメリカの軍隊の教育を受けた人たち、そして、戦前の軍隊の体質を受け継いでいる人たちが、いまの自衛隊の土台をつくっているということを、ちゃんと目を開いて見ていなくてはいけないと思います」。
 まさしく本書は、過去の経験の重要な教訓から、現今の緊急の課題をも示唆する。「戦争を知らないのは半分子供だ」という大岡昇平の言葉を引く澤地の視点を、本書によって今一度噛みしめてみる必要があると思う。(R) 

 【出典】 アサート No.410 2012年1月28日

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