【投稿】「ストレステスト」という机上の空論で再稼働を目論む原発帝国主義
福井 杉本達也
1 「安全神話」崩壊後もなお事故は無かったかのように振る舞う“専門家”
山名元京大原子炉実験所教授は原発の今後事故が起こる確率について「この40年の日本の実績で計算すると確率は500分の1です。これだと、今後も10年に1回、福島級の事故が起こることになってしまう…だけど、これから安全を強化することを考えると、そんな確率はあり得ない。…これ以下をめざすべきだという標準値がある。国際原子力機関(IAEA)の要求、これが10万分の1。IAEAの標準値のように低くできる、ということを前提に。安全対策をきちっとやったうえで、…本来あるべき確率で考える」(朝日:2011.12.21)との奇妙な論理を展開する。山名氏のいう「500分の1」の確率は原子力委員会で原発のコストを試算する中で事務局より出されたもので、今回の福島第一原発において3基の原子炉が過酷事故を起こしたので、その発生確率を3炉÷1494稼動年≒0.002(炉/稼動年)≒1/500(炉/稼動年)と単純に割り返したものに過ぎず、一方「本来あるべき確率」というのは、事故がおこってしまった(確率=100%)ものをあたかもなかったように考える(都合の悪いことを無視する)という実に非科学的態度である。人間、未来を予測するには限界がある。ある事故が「起こるかもしれない」し「起こらないかもしれない」。確率とは「ある事象がおこることの可能性の程度、あるいは確からしさを数量的に表現したものである」(竹内啓:「確率的リスク評価をどう考えるか」『科学』2012.1)。数学・確率のイロハも分からない人を内閣府原子力安全委員会原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会委員に“専門家”として委嘱するというのはいかなる政府か。
2 ストレステストは現実を無視した机上の空論
フォールト・ツリー(故障の樹)解析(Fault Tree Analysis-FTA)は米国で1960年代に弾道ミサイルの事故解析のために開発されたが、その後、原発の危険性の数量化=事故が発生する確率あるいは発生しない確率を計算する客観的で定量的な方法はないかということで、特に1974年に米国原子力委員会が行った商業用原子炉プラントの災害危険性評価(WASH-1400 いわゆる『ラスムッセン報告』Rasmussen Report)に活用された。その後、日本の原発の評価にもこの確率論的安全評価(PSA)の方法が持ち込まれた。確かにFTAは①システムにどのような変化があった場合でも、その安全性への影響を評価しうる、②事故の兆しやその結果を解析することによって、特定の事故の位置を明らかにし確認に役立つ。しかし、システムの安全性(信頼性)を定量的に予測することはできない(『原発の安全性への疑問』憂慮する科学者同盟 1979.6.5)。数学的方法を使うには前提条件を明確にしなければならない。しかし、今回の地震や津波に対する原発の設計の不備からも明らかなように前提条件を明確にすることなど不可能である。また、GEマークⅠ型炉のように当初から設計者が格納容器の小ささを指摘されていたものもある。また、設計通りに施工されたかも不明である。FTAは具体的にはイベント・ツリー(Event Tree)で事故を個々の要素に分解―たとえば『主要故障』を①「補助給水ポンプによる蒸気発生器への給水」ができない故障として、②「電動補助給水ポンプ」と③「タービン動補助給水ポンプ」による要因に分け、③をさらに④「タービン動補助給水ポンプ自体が動かない」場合と⑤「主蒸気系配管の破断」に細分化し要因を追求していく。これを、フォールト・ツリーで①の故障がおきるのは②と③が同時に起こることによる(ANDゲート)、③の要因が起こるのは④又は⑤のどちらか一方が起こる場合(ORゲート)というように再構成し、それぞれのおこる確率から『主要故障』の起こる確率を求めて行こうとするものである(参照:『大飯発電所3号機の安全性に関する総合評価(一次評価)の結果について』添付資料5-(1)-11 2011.10.28 『FTA安全工学』1979.4.27)。その結果がたとえば山名氏のいう「10万分の1」である。
しかし、原発のような巨大システムではこうした要素分解とその相互関連をとことんまでやることは不可能である。さらには地震・津波・台風といった自然現象との相互作用もある。また、今回の福島第一のように地震で送電線が倒壊し、ディーゼル発電機も津波で故障、配管も破断するという要素の共倒れ現象もある。一方、故障の基となる要素部品の故障率は充分にはデータ把握ができない。このため、アメリカ航空宇宙局(NASA)ではFTAはアポロ宇宙船には使えないとして放棄してしまった。アポロ計画のロケットの故障が着実に減り出したのは、テストを重ね、起こった事故原因を徹底調査し、その対策を立て弱点を一つ一つなくしてゆく方法に方針を切り替えてからである(参照:武谷三男『原子力発電』1976.2.20)。今回の大飯原発3、4号のストレステストはこうしたこれまでのコンピューター上だけの机上の空論の積み重ねの上に計算されたものであり、全くあてにならない。
3 原発災害は“ブラック・スワン”か?-統計の「正規分布」と「ベキ分布」の違い
明治大学客員教授の高安秀樹氏は福島第一原発のような災害はこれまで我々が馴染んできた統計学の「正規分布」ではなく、「ベキ分布」で捉えるべきだという。正規分布とは、ある標本集団のばらつきが、その平均値を境として前後同じ程度にばらついている状態を示し、平均値を線対称軸とした左右対称の釣鐘型でなだらかな曲線を描く。一方、ベキ分布とは、極端な値をとるサンプルの数が正規分布より多く、そのため大きな値の方向に向かって曲線は長くなだらかに裾野を伸ばしていく。ベキ分布に従う災害では、過去のデータから平均的にリスクを推定する常識的方法には限界がある。過去に例のない規模の災害が発生すると保険のような仕組みでは災害を担保できない(日経:2011.4.7 2012.1.16)。同様の声明を日本数学会理事会も出している。宮岡洋一理事長は「絶対安全なんていうことはあり得ない…確率は低いかもしれないけれども、低いのとゼロは違います…災害の規模と災害が起こる確率の関係が『べき指数』法則に従うとしたら、災害の規模の期待値なんて存在しない…まずないんだから無視するという考え方は通用しない。」(「日本数学会理事会声明について」『科学』2011.9)と述べている。
原発災害が巨大になるということは、1958年、日本の最初の原子炉(コールダーホール型)をイギリスから導入しようとした時、イギリスは「イギリスが製造し、イギリスの原子燃料を使う原子炉で事故が起こっても、イギリス政府は一切責任をとらない」という『免責条項』を無理矢理契約に入れたこと、製造者が製造物の責任を引き受けない無責任体制となったことを受けて民法学者の我妻栄が中心となり1961年に作った「原子力損害賠償法」で事業者の賠償責任は50億円(当時)までとし、それ以上は実質的に国が補償するという規定を設けたことからも明らかである(有馬哲夫『原発・正力・CIA』2008.2.20)。原発の巨大災害は正規分布によって保険料を算定する民間保険では保障できない・国家しか補償できない(国家でさえ補償不可能の場合もある)ということは当初から明らかであった。
4 軍事的に重大な影響があるにもかかわらずスペースシャトルを捨てたNASAに学べ
竹内啓氏は別の角度から原発事故のような絶対起こってはならない現象に対しては、「大数の法則」や「期待値」にもとづく管理とは別の考え方が必要であると説く。大数の法則は多くの偶然現象が積み重なれば、偶然的な影響はお互いに打ち消しあって一定の傾向が現れ、釣鐘型の正規分布となる。自動車などの大量生産において重要なのは製品の平均品質であり、規格を満たさない不良品の率が低いことであり、部品が一定の規格を満たし、つねに取り替え可能なこと、労働者は平均的な能力を持っていることである。そこでは大数の法則が支配し、統計的方法と確率論の対象となる。しかし、原発やジャンボ機・人工衛星・スペースシャトルのような数百万の部品からなる超複雑なシステムは、たとえ一カ所の欠陥でも、全体の機能を失わせてしまう危険が含まれている。そこでは統計的抜き取り検査で検出できるような「不良率」が出現することは許されない。もし、事故が起こったら「おしまい」である。すべての部品が十分は性能をもたなければならない。大数の法則によって補正されるような偶然誤差が許容される余地はない。したがって技術に課される目標は「期待リスク」を小さくすることではなく、危険が生ずる確率を事実上ゼロとすることである(竹内啓『偶然とは何か』2010.9.17 参照:加藤尚武『災害論―安全性工学への疑問』2011.11.10)。
宇宙飛行士の古川聡氏は宇宙船に乗るに当たり遺書を書いた。スペースシャトル・ディスカバリー号に乗船した山崎直子氏は2度も遺書を書いたという。100分の1程度の事故確率があるからである。1986年・スペースシャトル・チャレンジャー号事故の調査を行った物理学者のファインマンはNASAの幹部が失敗の確率を10万分の1(山名氏と同様の)と主張したことに対し、「いったいぜんたいこの数字はどこからひねり出したのだろうか。」「パイプが破裂する確率は10のマイナス7乗などと書いてあるが、そんなことが簡単に計算できるはずがあるものか!1千万に1つなどという確率を概算するのはほとんど不可能に近いはずだ。エンジンの一つ一つの部分につけた確率の数字は、あとで全部足せば10万分の1の確率になるように、はじめから細工してあるのは見えすいていた。」(『困ります、ファインマンさん』2001.1.16)、「『成熟』してからのロケットについては…部品の選択と検査に細心の注意を払えば、100分の1以下の信頼度も可能ではあるけれども、今日のテクノロジーでは1000分の1の信頼度はおそらくは期待できまい」「もし失敗の確率がほんとうに10万分の1程度の低さであるというなら、その判断には実際問題として膨大な回数のテストを重ねなくてはならない…NASA幹部たちは…自らの製品の信頼度をそれこそ夢か幻の域にまで拡げて誇張しているように見受けられる…ロシアンルーレットで、一発目が無事だったからといって、二発目も無事と安心してはいられまい」(「チャレンジャー号事故少数派報告書」『ファインマンさんのベストエッセイ』2001.3.15)と分析している。工学的には1000分の1程度が限界である。この指摘は不幸にも2003年のコロンビア号の空中分解事故となって証明される。結果、昨年、米国は最終的にスペースシャトルから撤退した。
電力中央研究所による1979~1997年の16年間における国内49基の「原子力発電所の確率論的安全評価用の機器故障率の算出」(2001.2)では即炉心溶融につながる非常用のディーゼル発電機の「起動失敗」が14件報告されている。電力からの任意の報告というバイアスがかかっており、そのうち5件は継続運転時間さえ不明である。報告書は故障率を10のマイナス4乗台と推計しているが、いずれにしても電源系統が大きな弱点であることは2001年以前から明らかであった。原発はこれまで1979年のスリーマイル島事故・1986年のチェルノブイリ事故・そして今回の福島原発事故と大規模な事故を繰り返してきた。信頼度はそれほど高くはない。「500分の1」という数字は当たらざるとも遠からずである。原発事故は極めて希な現象ではない。1月14日に保安院が関電のストレステスト評価結果を妥当とした大飯原発3、4号は関西圏に極めて近い。京都市の一部もヨウ素剤の配布区域に含まれる。もし事故が起きれば関西の水瓶・琵琶湖も放射能で汚染される。北西の季節風が吹けば名古屋も危ない。日本列島は壊滅である。ストレステストといった机上の空論をしている場合ではない。早急に廃止すべきである。
【出典】 アサート No.410 2012年1月28日