【本の紹介】『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』
ナオミ・クライン著、幾島幸子・村上由見子訳 上下二巻
岩波書店 2011年9月8日発行、各巻2500円+税
<<フリードマンの「反革命」運動>>
必読の価値ある著作と言えよう。著者のナオミ・クラインはアメリカの独立系放送番組デモクラシー・ナウにしばしば登場し、快刀乱麻、舌鋒鋭く新自由主義や自由競争原理主義、グローバリゼーション問題、環境問題に切り込み、貧困と不正を生む資本主義批判の先頭に立ってきた作家、ジャーナリスト、活動家である。今発売中の岩波書店発行『世界』12月号に、「ウォール街を占拠せよ–世界で今いちばん重要なこと– 」と題して、先月の10月6日の夜、リバティープラザで開かれた「ウォール街を占拠せよ」の集会でナオミ・クラインが登場し、スピーチを行った、その内容が訳出されている。「危機を望んでいる1%」が企んでいることは、「教育や社会保障の民営化、公共サービスの削減、企業権力に対する最後の規制の撤廃」であること、しかも「このシステムがきわめて不公正で、しかも急速に制御不能の状態になりつつあること」を指摘し、これに対抗する「ウォール街占拠」運動、その闘いが、「水平的で、真に民主的であることは素晴らしいことです。もうひとつ、この運動の正しい点は非暴力に徹していることです」と大きく評価している。スピ-チの最後で彼女は「I care about you あなたのことを気づかっています。真の意味でラディカルなこの運動では、お互いを今後長い年月をかけてともに闘っていく同志と考えようではありませんか」と結んでいる。
さて本書の紹介であるが、訳者の幾島幸子氏が「訳者あとがき」で本書について次のように解説している。
「著者のナオミ・クラインが本書で徹底して批判するのは、シカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマン(一九七六年にノーベル経済学賞受賞)と彼の率いたシカゴ学派の影響のもと、一九七〇年代から三〇年以上にわたって南米を皮切りに世界各国で行なわれてきた「反革命」運動である。言い換えればそれは、社会福祉政策を重視し政府の介入を是認するケインズ主義に反対し、いっさいの規制や介入を排して自由市場のメカニズムに任せればおのずから均衡状態が生まれるという考えに基づく「改革」運動であり、その手法をクラインは「ショック・ドクトリン」と名づける。「現実の、あるいはそう受けとめられた危機のみが真の変革をもたらす」というフリードマン自身の言葉に象徴されるように、シカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの「危機」に見舞われ、人々が「ショック」状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信じる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え、それを世界各地で実践していたというのである。」
<<ハリケーン・カトリーナ>>
著者はこの惨事便乗型資本主義の正体、その全世界のいたるところで展開された行状を実に丹念に、具体的に暴いていく。ここではフリードマン自身が直接に関与した、そのうちの二つだけを取り上げてみよう。まず序章の冒頭で取り上げられているのが2005年のアメリカ南部ルイジアナ州を襲ったハリケーン・カトリーナの災害である。フリードマンはこのときすでに93歳、「ハリケーンはニューオーリンズのほとんどの学校、そして通学児童の家々を破壊し、今や児童生徒たちも散り散りになってしまった。これは教育システムを根本的に改良するには絶好の機会である」とウォールストリートジャーナル紙上で論陣を張り、現在の公立校システムの再建・改良に何十億ドルものカネを注ぎ込む代わりに、ニューオーリンズ市に教育バウチャー制度を導入し、義務教育の学校運営に市場競争原理を持ち込み、私立校にも公的援助金を支給して、競争を図れ、というものであった。州政府運営の学校システムは社会主義の臭いがする、州政府は治安維持のための警察と兵力を持つだけでいいし、無料公教育を含むそれ以外はすべて自由市場を妨害するというわけである。当時のブッシュ政権はこの提案を全面支援、1年7ヵ月後にはニューオーリンズ市の公教育システムは民間運営のチャーター・スクールへの移行をほぼ完了し、123あった公立校がたったの4校に激減、4700人の組合員教師は全員解雇されたのである。「ルイジアナ州の教育改革者が長年やろうとしてできなかったことを、ハリケーン・カトリーナは一日で成し遂げた」とアメリカン・エンタープライズ研究所は報告している。フリードマンは、この最後の論説掲載から1年後の2006年11月に死亡しているが、「現実の、あるいはそう受け止められた危機のほうが、真の変革をもたらす。大改変を成し遂げるには、断固とした行動をとる機会を逸すれば、チャンスは二度とやってこない」と強調している。
大阪維新の会・橋下徹氏の路線はまさにこの路線の焼き直しともいえよう。
<<中国指導部とフリードマン>>
もう一つの実例は、中国共産党指導部と天安門事件にかかわるショック療法である。中国は、1980年にフリードマンを招待し、トップ官僚や大学教授、党の経済学者など数百人を前に市場原理理論についての講演を北京と上海で行わせ、政治的自由は付随的なもの、あるいは不必要なもので、「規制のない、商活動の自由」「政府が経済に介入しない」ことこそが必要と説いたのである。このとき「聴衆は全員招待客で、招待状を見せなければ入れなかった」とフリードマンは述べている。
そして問題の天安門事件の前年、1988年9月に再び訪中し、趙紫陽総書記とは2時間以上にわたり会見、江沢民とも会談、このとき江沢民に「圧力に屈するな、動揺するな」「私は民営化と自由市場、そして自由化を一気に行うことの重要性を強調した」と振り返っている。趙紫陽に宛てた覚書の中で、ショック療法を削減するのではなく、もっと行うことが必要であり、「ますます自由な民間市場への依存を拡大することで、中国はさらに劇的な進歩を遂げることができるのです」と述べている。このとき、フリードマンは中国に12日間滞在していたことを明かし、「政府関係者に客として招待されることがほとんど」で、共産党の最高幹部とも会見したと書き、「ところで私はチリと中国にまったく同じ助言を与えたのです。これほど邪悪な政府に進んでアドバイスしたことで、私は嵐のような抗議を覚悟するべきなのでしょうか」と皮肉たっぷりな問いかけをしている。
フリードマンが最初にこのショック療法の劇的な有効性を学んだのは、かれがチリの独裁者ピノチェトの経済顧問を務めた1970年代半ばである。このとき、チリの民主的に選出されたアジェンデ政権を米軍の支援の下で打倒した暴力的軍事クーデターの直後、大混乱の中で、彼はピノチェトに対して減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育など社会支出の削減、規制緩和といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイス、この激烈な手法が「シカゴ学派」の改革と呼ばれるようになったのである。この同じ手法を天安門事件の暴力的弾圧にいたる中国指導に助言したのがフリードマンであった。
ナオミ・クラインは、中国を世界の「搾取工場」へと変貌させた淵源を、この「企業エリートと政治エリートが相互に乗り入れ、労働者を排除するという構図」、外国資本、共産党、双方にメリットがあった、市場原理主義にもとづいた「まさにこの改革の波によるものだった」と結論付けている。
新自由主義路線、自由競争原理主義の路線はいまだに世界中を闊歩しており、日本においても、とりわけ民主党幹部には根強くはびこっている路線である。これまでにない鋭い論点を提供してくれているこの著作が、北米のみならず世界的ベストセラーとなり、三十以上の言語に翻訳されているのも当然と言えよう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.408 2011年11月19日