【投稿】ウォール街占拠運動とコンセンサス
以下は、2011年10月29日に発表された、ウォール街占拠運動の刊行物である「ウォール街占拠ジャーナル」に掲載されたデヴィッド・グレーバーの署名記事(全文)と、それに関連した「ドラム演奏と占拠」(10月24日発表、一部省略)と題する無署名記事である。ウォール街占拠運動を始めるに際しての最初の重要な合意として、そしてその後の全米での占拠運動の基本的な運営方針として注目される。それは同時に、上位下達式の、あるいは動員方式や、セクト的・党派的な運動形態を排したものとして、日本のこれまでの運動、これからの運動にとっても、大いに示唆に富んでおり、参考になると思われる。(紹介・訳 生駒敬)
<<(コンセンサスに基づく意思決定)不可能なことを可能に>>
2011年8月2日、ボ-リング・グリーンでおよそ12人が、円形に座ってウォール街占拠の運動となる一番最初の会合が持たれた。われわれは、そのような社会運動の存在を期待して、自らを「プロセス委員会」と名づけ、熟慮の結果、重要な決定を行った。われわれの夢は、アメリカの全域で実現されることが期待される、そのような民主主義的な集会のモデルとしてのニューヨーク州での集会を創造することにあった。しかしそれは実際にはどのように運営されるものであろうか。
その場で、無政府主義の人たちが、正気とは思えないような大胆な提案を行った。この委員会のように、コンセンサス(意見の一致、総意)によってしっかりと運営されないものだろうか、と。
それは少なくとも大胆な賭けであった。なぜならわれわれの知る限り、これまでにそのような事態を一度も見出したことがなかったのである。コンセンサスの過程は、個々の意識を共有するグループや、単一の課題にもとづいて組織された活動家のグループではうまく機能してきたとしても、ニューヨーク市に対応するような大規模なレベルではかつて一度もなかったことである。ギリシャやスペインにおける集会でもそうした試みはなされていない。しかしコンセンサスがわれわれの活動の諸原則と最も一致したものである以上、このコンセンサスの路線に飛躍することとしたのである。
3ヵ月後には、アメリカ中の大小さまざまな何百もの集会が、このコンセンサスによって運営されている。決定は、投票によることなく、全体の同意によって行われている。これまでの常識から言えば、可能なはずがないが、それは、愛や革命、あるいは生命それ自身(いわば素粒子物理学から展望される)といった不可解な現象と多くの点で共通した現象として、現実に生じているのである。
ウォール街占拠運動が採用した直接民主主義のプロセスは、アメリカの根本的な歴史に深く根ざしており、それは、市民権運動においても、民主社会をめざす学生連合においても広く用いられてきたものである。しかし、その現在の形態は、フェミニズム運動や精神的な伝統(クエーカー教徒やとアメリカ先住民に共通な)運動と同様に、無政府主義そのものからも、発展してきたものである。直接的な、コンセンサス・ベースの民主主義が無政府主義によって確固として受容され、同一化した理由は、それがおそらく無政府主義の最も基本的な原則を具体化したことにあり、それは、子どものように扱われる人間は子どものようなふりをする傾向があるのと同様に、今現在自らがすでに、成熟した、責任を持った大人として行動することを促進する道なのである。
コンセンサスは、満場一致の投票システムではない。「ブロック」(論議の中断・停止)は、「ノー」の投票ではなく、拒否権である。それは、基本的な倫理的原則に背反するものであるという提起を行う最高裁の干渉に類するもので、そうした場合には、誰もが勇気を持って裁判官の法服を羽織って異議を唱えることができる。参加者は、それがめったになされることではなくても、それが原則的問題であると感じる場合には、討議を直ちに中止することができるということを承知しているのである。そのことは同時に、マイナーな点での妥協がより容易になることを意味しており、創造的に纏め上げていく過程こそが、本当の大切なことなのである。つまりは、最終的な決定がどのようになされるか、一部か多数かの挙手によるものかは、それほど重要ではなく、誰もがその過程を形成し、また再形成する役割を果たすことができる、そのような場をもたらすことである。
論理によっては、直接民主主義や自由、人間的連帯の原則に基づいた社会が可能であるということは決して証明できるものではない。われわれは、行動を通してのみそれを示すことができる。アメリカ中の公園や広場で、人々がこの行動に参加し始めて、人々はそのことに気付き始めた。アメリカの人々は、自由と民主主義がわれわれの決定的な価値であり、そして、自由と民主主義に対するわれわれの愛情が、それがたとえ捉えがたくても日常的なものとして、人々を規定付けるものであることを学び、成長し、純粋の自由や民主主義などは実際には決して存在し得ないことを教えられている。
これまでの誤解を認識したときに、その他の「不可能」だと思われていた多くのことをどれだけ解き放すことができるのか、われわれは問い始めている。そうした問いはここかしこにあり、不可能なことを可能にし始めているのである。
<<ドラム演奏と占拠>>
リバティスクエアの占拠は、新自由主義とウォール街の犯罪行為に対する闘いであり、経済危機の渦中で人々を所得格差の拡大と失業、抑圧に追い込んだものに対する国際的な闘いの高揚を象徴するものである。先週、われわれはこの占拠運動を追い払おうとする攻撃をうまく跳ね返したのであるが、その際、われわれが近隣住民と打ち立てた関係が重要であり、その文脈において、この広場におけるわれわれの活動について互いに意見を交換しなければならない問題が生じている。
ここ何週間か、占拠者たち、ワーキンググループ、地区理事会や住民の人たちは、リバティ広場西側でドラマーたちと、彼らが常駐していることをめぐって何度も会話を重ね、接触をしてきた。ドラマーたちは、静かな時間の間はドラム演奏を止めること、開会前の他の音楽は別として、全体集会開催の間はドラムを鳴らさないことを要請された。ドラマーたちは、この革命にリズムをもたらしているのであり、彼らには彼らの意見があり、それが無視され、軽視されていると感じ、状況は緊迫するものとなった。近隣住民ばかりか、広場内部でも、彼らとの壁が高くなり、10月13日に、リバティ広場の全体集会は、近隣住民とのよき関係のために、ドラム演奏の時間を一日2時間、11時から5時の間に制限する決議を行った。多くのドラマーは、これを拒絶した。調停者のグループが動き始め、ドラマーたちとの間で、一日4時間、午後12時から2時の間と、午後4時から6時の間とする合意に達した。ウォール街占拠運動のコミュニティ関係チーム、調停者、ドラマー、地元地区住民の人たちは何週間かを費やして話し合い、信頼関係を打ち立て、ドラマーたちがこの占拠運動と連帯して活動する方途を見出したのであった。その結果、ドラム演奏は一日10時間以上に及んでいたものが、全体集会では2時間に、その後ドラマーたちとの合意によって4時間に圧縮されたのである。
コンセンサスとコミュニティの精神において、調停はまだ進行中である。ワーキンググループ・パルスがドラマーたちによって作られ、リバティ広場の全体集会への前向きな提案を検討しているところである。この問題は何週にもわたって、公園内でも、全体会合でも、フォーラムでもメールでも話し合われている。これは、コミュニティとしてのわれわれが、この広場をどのように共有し、すべての参加者の間の会話においてどのようにしてコンセンサスを打ち立て、ともに努力をしていくかの一例である。ドラム演奏、そしてパルスはわれわれの運動の重要な構成部分であり、デモ行進や士気、われわれが創り出してきた運動のエネルギーの全般的なムードに不可欠なものである。
われわれは、この広場を通じて、小さいが、力強くて、多様なコミュニティを構築してきており、そのなかではいくつかの問題が生じており、今後も生じるのは当然なことである。しかしわれわれは、この場所とこの世界で、共に活動し、積極的な変化に影響を及ぼし続けることを望んでいるのである。
【出典】 アサート No.408 2011年11月19日