【本の紹介】『マルクスへ帰れ RUBEL on KARL MARX』
著 者 マクシミリアン・リュペル
編訳者 ジョゼフ・オマリー キース・アルゴージン
訳 者 角田史幸
発 行 こぶし書房 2010年4月15日 3,200円+税
<<マルクスの思想的原像の復原>>
マルクス主義経済学、マルクス主義哲学、マルクス主義的歴史観、等々、常々、社会科学にはマルクス主義は不可欠であり、マルクス主義的立場に立脚せんとしてきた者にとって、ここに紹介する本書は、実に刺激的であり、かつこれまで抱えていた疑問や問題点、反省点に鋭く切り込む視点を与えてくれる格好の書である。
著者のリュペルは、1905年オーストリア=ハンガリー帝国領チェルノヴィッツ生まれ。ドイツ占領下のフランスでレジスタンスに身を投じて戦い、そのただなかでマルクス研究を開始。戦後、フランス国立科学研究センターで研究の傍ら、『マルクス学研究』の編集にあたる。すでに1996年パリにて死去している。
しかしこの著者についてはほとんど知られていない。それは、「訳者あとがき」によると、「マルクス研究において圧倒的な量と質を有するリュペルの行跡が、これまで紹介される機会があまりに少なかったからである。この事情は、フランス語圏以外の地域に当てはまる。原書の編者ジョゼフ・オマリーの言葉を借りるならば、「未公刊テキストを含めたマルクスの全テキストに関して、リュペルが約四十年間にわたって一貫して取り組んできた研究の蓄積や、しばしば先駆的な成果を生み出したその学識に匹敵できるような人物は、ほとんど誰もいない。(中略)英語圏においては、リュペルのマルクスに関する見解は、リュペルよりも質も畳もはるかに劣る学識に依拠しているだけのマルクス解釈学者たちほどには知られていない」という実情から来ている。「特筆すべきは、彼が生涯一貫して、いかなる党派からも独立した単独の研究者として、原資斜に基づくマルクスの思想的原像の復原に取り組んだことである。リュペルが生涯かけて目指したのは、未だに完全版が存在していない(それどころか、カール・コルシュの言葉によれば、「削除され、改竄され、偽造された」劣悪版しか存在しない)マルクスの全テキストに関して、歴史的批判版を編集・刊行することであった。一九七〇年代、この目標のためにリュペルは、世界中の独立研究者に呼びかけ、マルクス死後一〇〇年を期した記念碑版を編集・刊行するための準備を進めた。しかし折しも、モスクワと東ベルリンのマルクス主義・レーニン主義研究所は、新MEGA(新『マルクス・エンゲルス全集』)の刊行を予告していた。リュペルの試みは「アンチMEGA」として位置する否定的なものにすぎないという臆断の中、協力者の脱落という事態によって日の目を見ることなく終わったのである。」
<<「マルクス主義」と『資本論』>>
本書は、編者による序文、に続いて、
第1章 「マルクス伝説」、あるいはマルクス主義の創始者エンゲルス
第2章 社会主義と倫理
第3章 ロシアへの予言的遺言
から成る。
この第1章において著者は以下のように強調する。
「マルクスは、この〔マルクス主義という〕概念から自分自身を切り離そうと、不断の努力を払った。彼は、繰り返し、そして断固としてこう宣言した。「私が分っていることのすべては、ただ、私自身はマルキストではない、ということだ」。このような驚くべき警告を、彼らのセクト的な弟子たちと後世に伝えたのは確かにエンゲルスの功績ではあるが、しかしそれでもなお、そのことによって、「マルキスト」とか「マルクス主義」とかいう用語を自分の権威をもって最終的に認可した責任から、エンゲルスが免れるわけではない。自分以外の人物によって「発見され」洗練されたと自ら認める当の理論の守護者、継承者として、エンゲルスは、マルクスの名前を称揚することこそが誤りを正すことになる、と確信していた。しかしながら、まさにそうすることで、彼は、ある一つの神話の生育を促進していたのだ。その神話の破壊的な思想的結末を、彼自身、まったく予期しなかった。」
このエンゲルスとの関係で重要なのは、マルクスの主著『資本論』そのものの成り立ちである。「編者による序文」はこの点について以下のように述べている。
「マルクスが意図したのは、六部からなる政治経済学批判の叙述である。しかし、自らの「経済学」であると彼自身が言明したこの著作は、彼の死によって、大部分が書かれないままに残された。この著作は、マルクスが一八五七-九年の時期に定式化し公表したプラン、その後彼が決して放棄せず、重要な変更もしなかったそのプランに従って、仕上げられ完成されるはずであった。構想された六部のうち、マルクス自身が完成し出版できたのは、第一部のそのまた一部分、すなわち、今日われわれに『資本論』第一巻として知られているものだけであった。彼の死のあとには、程度の差こそあれ、未完成な草稿の山と生の研究データが残された。エンゲルス、そしてその後はカール・カウツキーが、これらの材料から『資本論』の残りの部分を創作した。エンゲルスが第二巻と第三巻を編集し、カウツキーが第四巻(『剰余価値学説史』)を編集した。世間一般の見解、それは同時に、正統派マルクス主義のプロパガンダによって広められている見解であるが、『資本論』がマルクスの政治経済学の教義全体を表わしているという見解は、次の二点において誤りである。第一に、『資本論』は、たとえその四巻すべてを合わせたとして、マルクスが自身の「経済学」として構想したものと同じものではなく、ただ単に、後者の一部をなすものに過ぎない。第二に、エンゲルスの編集による形でわれわれの手もとにある『資本論』第二巻・第三巻は、完成された論稿と見なされるように編集されているにもかかわらず、実際には決して完成されたものではない。むしろそれは、程度の差こそあれ、マルクスの生原稿の集積であり、それも、エンゲルスによって時として恣意的に選択されアレンジされたものである。従って、これらの二点から次の事柄が導かれる。政治経済学におけるマルクスの理論的著作の性格に関して、それは、通常考えられているよりも、あるいは、正統派マルクス主義のふれ込みよりもはるかに未完成である、と。
リュペルの見解によれば、『資本論』は未完成な作品であり、しかも、ただ未完成であるだけではなく、修正し得るものである。未完成の第二巻・第三巻に当てられたマルクスの草稿は、厳密、且つ確定的を構築物であるよりは、むしろ往々にして、批判的推論や予備的仮説への試みとしてある。さらに、自身の「経済学」のために立てられたマルクスの幅広いプランが示すものは、硬直した体系であるよりはむしろ、修正や拡大へと開かれた思考のパターンである。総じて、リュペルが提示するのは、閉じられ、完結し、公理的な体系をもった単一体としてのマルクスではなく、生きたマルクスであり、その教義が、常に開かれてあり、未完であり、まさにその作者の批判的精神に忠実である、そのようなマルクスなのである。」
以上の指摘は非常に重要であり、含蓄のあるものといえよう。
<<「偉大な社会的ユートピアンの系列」>>
第2章「社会主義と倫理」は、マルクスを「普遍的な人類共同体についてのユートピア、最も多数且つ最も貧しい人々によって構成される階級と、その階級によって意志され実現される普遍的な人間共同体についてのユートピア」に合理的な基盤を与えた「偉大な社会的ユートピアンの系列」に位置づける。著者は次のように述べている。
「マルクス文献の歴史的-批判的テキスト・クリティークにかかわっている研究者にとっては、マルクスの歴史の理論を、エンゲルスが定めたような、いわゆるプロレタリア的世界観と同一視することは、もはやまったく正当化され得ない。また同様に、彼の理論を、いかにそれが弁証法的であろうとも、思弁的な「唯物論」と定義することもできない。まして、マルクス主義というレッテルが貼られているか否かにかかわりなく、マルクスの理論を何らかの党派の戦略的、戦術的教義へと還元することなど、まったく正当化され得ないのだ。さらにわれわれは、マルクスの社会的ユートピアが、彼の後期の経済理論と矛盾しないばかりか、むしろ、全生涯にわたる仕事の中心的動機をなすと見なすべきものであることを発見する。人間性の全面的な回復への展望を提唱する人間として、マルクスは、偉大な社会的ユートピアンの系列のうちに位置する。しかし、社会主義へ到達するために彼らユートピアンたちが提唱したものが幻想的手段に過ぎなかったのと異なって、マルクスは、社会主義の実現という倫理的要請を、資本主義崩壊の科学的法則へと結び付け、さらに、人間の行為に関する内在的帰結へと結び付けることによって、社会主義のユートピアに合理的な基盤を与えたのである。」
この指摘と関連して、「労働者階級の党に関してマルクスが抱いた概念を通じて、われわれには、プロレタリアの自己解放という彼の公準の倫理的本質を明確に証明することが可能となる。自身の存命中に存在したプロレタリア党に関して、自分が関与したか否かにかかわらず、いかなるものも自らの理想に一致しないとマルクスが考えていた事実は周知である。さらに、より知られておらず、まず驚きをもって迎えられるのは、共産主義者同盟の解体からインターナショナル創出までのあいだでさえ、マルクスは、あたかも現存する実体であるかのように、「党」について語り続けていたという事実である。」という指摘も実に含蓄に富んでいるといえよう。
<<「偽造してミイラ化」>>
第3章「ロシアへの予言的遺言」も示唆に富む。ここでは、スターリンによるマルクス思想の改竄・神話化が、レーニンに遡ってその淵源を抉り出している。著者は、レーニンについて次のように述べる。
「〔レーニンの〕再三にわたる政治的適応能力の高さを保証したものは、恒常的、且つほとんど強迫的なまでの自己批判、自己反省だった。彼ほどに、ロシアの経済的、文化的後進性-これは、史的唯物論(科学的社会主義の基本原理)の視点からすると決定的な要因であった-に気付いている者は、他のボルシェビキ政治家には誰もいなかった。また、彼ほどに、バクーニン、ネチャーエフ、あるいはトカチョフらによって提示された「思想や方法」に対するマルクスとエンゲルスの批判と、そこから導き出される警告に注意をとめている者は、ロシア・マルキストの中には誰もいなかった。その警告こそ、ボルシェビキ党の政策に対しても、依然として妥当だったのである。」
「従って、レーニンによって提案された革命のプログラムは、その開始時点から、私的資本主義を弱体化させ、国家資本主義の発展を加速する方向へと設定されていたことになる。それは、「あらゆる土地と農地の国有化-すなわち、国内のあらゆる土地と農地の、中央国家権力所有への移行」を、そしてさらに、「全銀行と資本主義シンジケートの国有化、あるいは少なくとも、それらに対するソヴィエトによる直接的統制の導入…」を要求する。レーニンが強調したのは、これらの革命的政策は、確かに、「社会主義の導入」を意味するものではないが、しかし、にもかかわらずそれは「社会主義へと向かうステップ」である、ということだった。資本に関するマルクスの理論の基本にきわめて精通していたがゆえに、社会主義に向かう最重要ステップは資本の最高度の集中と蓄積とともに達成されることを、彼が知らないはずはなかった。」
「最初はコミューン弁護論として開始されたレーニンのスピーチは、次第に、スペシャリスト・オルガナイザーとしての、すなわち、私的資本のシステムを国家資本のそれによって置き換える野望を待ったきわめて有能な産業マネージャーとしての思考ラインに沿って進むようになる。実際に彼は、マルクスが「資本家的関係」と定義したような社会構造のヒエラルキーを、手つかずのまま残した。その際彼は、不可分の権力-ラッサールの言葉を使えば、「知見による独裁」を求める党の要求を正当化するために、「弁証法」を名人芸的に使用する。「社会主義と、は、全人民の利益のために採用され、その結果、資本主義的独占であることをやめたような、国家資本主義的独占以外の何ものでもない」。レーニンは、「国家社会主義」という概念より以上に、「国家資本主義」という言葉を使うのをためらわなかった。しかしこのようなやり方は、マルクスの理論の視点からすれば、まったく維持され得ない。」
このロシア革命の過程での、最初は「付随事項」であった〔スターリニズム〕が、「マルクスの思想を政治目的のために悪用」する一方で、それを「偽造してミイラ化」させた。すなわち、マルクスのテキストの一部を「神聖化」する一方で、他のテキストを、混迷と恐怖を植え付けられた人たちの手による劣悪版に貶めた。スターリニズムはかくして「あらゆる文化の絶対的な否定」という自身の正体を暴露した、と著者は結論付ける。
以上、著者の主要な論点のごく一部を紹介しただけであるが、一読の価値ありといえよう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.391 2010年6月26日