【書評】『シベリア抑留とは何だったのか──詩人・石原吉郎のみちのり』

【書評】『シベリア抑留とは何だったのか──詩人・石原吉郎のみちのり』
                (畑谷史代、岩波ジュニア新書、740円)

 本書は、中高生向けのシリーズ本の一冊ではあるが、内容的には十分な重さを持っている。対象となる人物は、詩人・石原吉郎(1915~77)。かつてシベリア抑留の体験を秘めた魂からの深い声を発した詩人として知られていた。本書はこの石原を取り上げて、その足跡をたどる。「いまごろなぜ石原吉郎の話を?」という問いに対して本書は、沖縄の作家・目取真俊との対談において、目取真が触れた石原の言葉、「人間とは、加害者であることにおいて人間となる」(=自らの加害者性を自覚して、そのことを深く考えたとき、人間は真の人間となるのだ)に注目し、この意味するところを解明しようとする。
 石原は、1945年から53年までシベリアに8年間抑留されるが、抑留体験をエッセーで発表し始めるのは60年代の終わり、そして主要なエッセーが世に出るには復員から16年間の時間が必要であった。この間石原は、「内なるシベリア」について問い返し続ける。視点は二つある。
 その視点の一つは、石原の『ある〈共生〉の経験から』に書かれている極度の飢餓状態に置かれた収容者たちに間に生まれた〈慣習〉である。本書から引用する。
 「軍属や民間人が主に収容された第三分所では、兵士用の飯盒を所持していた人が少なく、食事は二人分が一つの飯盒で配られた。収容者は二人ずつの〈食罐組〉を組み、一人が飯盒に入った食事を同じ大きさの空き缶二つに分ける。その間、もう一人は瞬きもせず相手の手元をにらみつけている。豆が沈んだ薄いスープも、雑穀の三分がゆも、完全に『公平』に分けなければならない。互いの生死がそれにかかっていた。/食事を分け終わると、途端に食罐組は解消する」。
 「眠るときにも、二人一組の〈共生〉と〈連帯〉の関係は生まれた。真冬の外気が氷点下三〇度に達するこの地で、収容者たちは一人に一枚支給されるだけの毛布を、二人が、一枚を床に敷き一枚を体にかけて、体をくっつけあって眠った。〈いま私に、骨ばった背を押しつけているこの男は、たぶん明日、私の生命のなにがしかをくいちぎろうとするだろう。だが、すくなくともいまは、暗黙の了解の中で、お互いの生命をあたためあわなければならないのだ〉と石原は書く」。
 この〈共生〉と〈連帯〉の関係—-「それは、助け合って生きる、というような甘いものではなく、不信と憎悪を向け合う人間同士が、自分が生き延びるために結ぶぎりぎりの関係にほかならなかった」—-が、石原の社会に対する姿勢を形成する。そしてこの収容所での状況が、戦後日本の日常—-反目と競争と孤独の状況—-につながっていることを自覚する。
 この石原の視点に関して、哲学者・鶴見俊輔は、かつてこう述べた。
 「このように、身近の協力者の中に敵を見る眼は、敵という概念を新しいものにした。/自分からはなれて特別に悪い個人がいて、それが敵であるというわけではない。自分とある関係にたつ時、その人は敵になる。ということは、ある人は加害者で、ある人は被害者というふうに切りはなすことをやめることであり、加害者–被害者という自分の輪から一歩はなれることである。/被害者として自分を規定して、その立場から加害者を告発するという方法をとらない見方である。この決断は、政治に対する石原吉郎の独自のかかわりかたへのいとぐちとなる」(鶴見『私の地平線の上に』)。
 「石原は、スターリンの牢獄については証言はしても、告発をしないように自分を抑制する。それは告発する自分の行動の中にもう一つの専制国家への芽を見ているからではないか」(同)。
 もう一つの視点は、石原が次の文章に書いている違和感である。
 『私は、広島告発の背後に、「一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに」という発想があることに、つよい反発と危惧をもつ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだ者はかまわないというのか。戦争が私たちをすこしでも真実へ近づけたのは、このような計量的発想から私たちがかろうじて抜け出したことにおいてではなかったのか』(石原『アイヒマンの告発』)。
 これについて、本書はこう語る。
 「一九四五年八月六日、広島に投下された原爆によって、この年の末までに、推計で約十四万人が亡くなった。その膨大な犠牲者数が、ヒロシマを反核平和運動の象徴の地にした。/しかし、犠牲者の数で〈大量殺戮〉の恐怖を語ることが、一方で〈一人の死を置きざりにしたこと。いまなお置きざりにしつづけていること〉を、石原は〈戦後へ生きのびた私たちの最大の罪である〉と書く。〈私たちがいましなければならないただひとつのこと、それは大量殺戮のなかのひとりの死者を堀りおこすことである〉/石原が投げかけたこの問いは、ヒロシマに限らず、戦争の死者が語られるとき、どれだけ顧みられてきただろうか」。
 今日、イラクで、パレスチナで、アフガニスタンで命を奪われてる人々、あるいは日本社会において孤独や貧困に迫られて命を絶つ人々、そのような人々を集団にくくって、数字として扱ってしまうことに暴力性や頽廃を感じた石原の視点の意義が、いま問われていると言えよう。
 石原の視点は、地味ではあるが、シベリア抑留者の終わらざる「痛み」を伝えると共に、その状況が現代日本社会と通底していること、そしてその克服への道が「量としての人類に対してうったえる政治思想ではなく、一人の人からもう一人の人に呼びかける政治思想」(鶴見)にあること再確認させる視点である。(R)

 【出典】 アサート No.380 2009年7月25日

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