【本の紹介】『監獄ビジネス - グローバリズムと産獄複合体』

【本の紹介】『監獄ビジネス - グローバリズムと産獄複合体』
      著者 アンジェラ・デイヴィス   訳者 上杉 忍
      発行 岩波書店 2008年9月26日 第1刷発行 2300円+税

<<「産獄複合体」という言葉>>
 「産獄複合体」という言葉は、初めて聞く言葉である。軍事費の増大と直接に結びついてきた「軍産複合体」は、軍拡競争と軍事産業、帝国主義的覇権の代名詞でもあったし、対テロ戦争の名の下にいまだにその影響力は衰えてはいないし、世界平和への最大の脅威の源ともなっている。ブッシュ政権は軍産複合体に奉仕し、チェイニー米副大統領は彼らの直接の代弁者でもあった。彼らのあくなき利益追求こそが、対イラク・アフガン戦争に世界を引きずり込み、イスラエルのガザ侵攻を鼓舞している。
 それでは「産獄複合体」とはいかなるものか?
 著者は、この著書の「第五章 産獄複合体」において、
 「株式会社による囚人労働の搾取は、株式会社と政府、監獄関係者、メディアを結びつけている一連の諸関係の一局面である。今日われわれが産獄複合体と呼んでいるものは、このような諸関係によって構成されている。この「産獄複合体」という言葉は、犯罪率の上昇が監獄人口増大の根本的原因だとする通俗的な考え方に異議を唱える活動家や研究者が使い始めた言葉である。この人たちは、犯罪率の上昇が監獄人口増大の根本的原因だとは考えず、人種差別主義と利潤追求のイデオロギーが監獄建設とその新しい建物に収監者を補充しようとする力を駆りたててきたのだと主張する。社会史家マイク・デイヴイスは、カリフォルニア州の懲罰制度に群がる経済的・政治的な勢力が、一九九〇年代にアグリビジネス(農業関連巨大産業)や土地開発に対する主要な競争相手として台頭しはじめたと考え、この勢力を支える体制のことを「産獄複合体」という言葉ではじめて表現した。」と述べている。

<<「産獄複合体の時代」>>
 しかもこの「産獄複合体」は、レーガン・ブッシュ時代の脱工業化とグローバリズム、自由競争原理主義時代の産物であり、社会保障・福祉・教育予算の削減、社会的セイフティネットの破壊、社会的分断と自己責任主義、厳罰化の流れと直接に結びついており、その意味では、今の時代は「産獄複合体の時代」なのである。
 著者はこうした時代の特徴について、以下のように述べている。
 「もしわれわれが、監獄の膨張をより大きな今日の経済構造と結び付けてとらえようと努力すれば、今まで見えなかった多くの重要なことが見えてくる。われわれは今、企業が移動し続ける時代に生きている。企業は、国内の労働組合や高賃金、福利厚生制度などを回避し、低賃金労働力を求めて世界中のどこにでも移動してしまう。企業は、地域社会全体を大混乱に陥れることなど気にもかけず出て行く。多くの人が職を失い、将来の雇用の展望も失う。地域社会の経済的基盤が壊されてしまうので、その地域の教育その他の社会サービスが厳しい打撃を受ける。こうした地域社会では、子どもを含む住民の多くが、おあつらえ向きの監獄行き候補者となるのだ。
 他方で、懲罰産業にかかわる企業は、囚人の管理で利益を上げ、監獄人口が増えれば増えるほど利益が上がると感じるようになる。端的に言って、今の時代は産獄複合体の時代なのである。監獄は、現代資本主義の有機廃棄物が処分されるブラックホールになっている。大量投獄は社会的富を食いつぶすと同時に、利益を生み出し、人々を監獄に追い込む条件を再生産している。一九八〇年代にその頂点を迎えた脱工業化の過程とレーガン・ブッシュ時代に始まった投獄人口の急増との間には、しばしば、非常に入り組んだ関係がある。しかし、監獄がもっと必要だとの議論は、いたって単純明快な言葉で世論を説得してきた。より多くの犯罪に対しては、より多くの監獄が必要だというのである。しかし、多くの研究者によれば、監獄建設ブームが始まったころには公的な統計でも犯罪発生件数は減少し始めていた。そして、この時期に一層厳格な麻薬取締法が立法化されつづけ、「スリーストライク制」の規定が多くの州で採用された。」
 ここにいう「スリーストライク制」とは、厳罰化の流れの中で、過去に2度の犯歴がある被告が3度目の犯罪を起こすと、犯罪の内容に関係なく重罰を課すものであり、カリフォルニア州では単純な万引きやピザ1切れを盗んで禁固25年とされたり、ビデオ3本を盗んで無期刑となるようなケースが続出し、刑務所があふれかえる事態となっているという。

<<民営監獄会社>>
 このような時代的潮流を背景として、これまで政府や国家の懲罰政策や業務とはほとんど関係ないと思われていた株式会社、民間資本が、監獄制度の強化と恒久化に強い利害関係をもつようになり、懲罰産業がもはや、経済構造の周縁的存在ではない事態が生み出されている。
 著者によれば、「二一世紀初頭の今日、合衆国で経営している数多くの民営監獄会社は、連邦および州の収監者合計九万一八二八人を抱える施設を所有し、運営を任されている。実数では、テキサスとオクラホマが一番多くの民営監獄収監者を抱えている。民営監獄収監人口の全収監者に占める比率で言えば、ニューメキシコ州が四四%で最も高く、モンタナ州、アラスカ州、ワイオミング州で二五%を超えている。連邦、州、郡の各政府が各収監者あたりの手数料を民間監獄会社に支払っているそのやり方は、囚人貸出制度を思い起こさせる。当然、これらの株式会社は、収監者をできるだけ長く留め置き、施設を一杯にしておくことに強い関心を抱いている。
 テキサス州には三四カ所の政府所有・民間経営監獄があり、五五〇〇人の州外の囚人が収監さている。これらの監獄は、テキサス州に年間八〇〇〇万ドルの収入をもたらしている。」という実態である。
 さらにこれに人種差別的大量逮捕が加わる。
 「二〇〇一年九月一一日の攻撃直後、中東諸国からの移民の人種差別的大量逮捕と、それに引き続く移民帰化局拘留センター(そのいくつかは民間企業が所有し運営している)への拘留に関する情報秘匿は、民主主義の将来に暗い影を落としている。ますます増える南の世界からの不法移民の無制限の拘留は、産獄複合体と結びついた構造とイデオロギーによって少なからず支えられている。もしわれわれが、この産獄複合体が人種差別主義や外国人嫌いを強化するうえで大きな役割を果たしていることをきちんと理解しないならば、われわれはニ一世紀における正義と平等の方向に向かって進むことは決してできない。」

<<グローバル化する「監獄民営化」>>
 さらにこの「監獄民営化」がグローバル化しているという。
 「二〇〇〇年には、合衆国の二八州でおよそ一五○の施設を運営している利潤目的の監獄ビジネス株式会社が二六社あった。この会社のうち最大のCCAとワッケンハットは、世界の民営監獄市場の七六・四%を占めている。テネシー州ナッシュヴィルに本部を置いているCCAの二〇〇一年までの最大株主は、パリに本部を置く多国籍大手給食会社ソデクソ・アライアンスだった。このソデクソは、合衆国の子会社ソデクソ・マリオット社を通じて合衆国の九〇〇大学で給食事業を行っている。若者中心の団体「監獄モラトリアム運動」は、全国の大学でソデクソ・マリオット社に抗議する運動を行った。ソデクソ社との契約を解除した大学には、ニューヨーク州立大学オールバニー校のほかガウチャ大学、ジェイムズ・マディソン大学などがあった。学生たちは五〇以上のキャンパスで座り込みや集会を行い、二〇〇一年秋ソデクソは、CCAの株を売却することに同意した。」
 「監獄の民営化は、多くの国々で急激に懲罰施設設立の主流になろうとしている。民営監獄会社は合衆国だけでなく世界中で女性収監者が増えていることに便乗しようとしてきた。一九九六年にオーストラリアのメルボルンに最初の民営女性監獄がCCAによって建設された。ヴィクトリア州政府は、「民営化の合衆国モデルを採用し、ひとつの業者に、監獄の財務、設計、建設、所有を任せ、政府が、その後二〇年以上監獄建設に対して払い戻すことにしている。これは、その業者が監獄を所有しているので、もはや事実上、その業者を排除することは出来ないことを意味している。」
 メルボルンの反監獄活動家集団の運動の直接的結果として、ヴィクトリア州政府は二〇〇一年CCAとの契約から手を引いた。しかし、オーストラリアの監獄制度のかなりの部分はなお民営である。二〇〇二年秋、クイーンズランド州政府は、七一〇のベッドを備えたブリズベーンの監獄経営の契約更新をワッケンハットとの間で交わした。五年契約の価格は、六六五〇万ドルである。ワッケンハットは、ブリズベーンの監獄のほかに、オーストラリアとニュージーランドの一一の監獄を経営し、ヴィクトリア州の一一の州立刑務所に予防医療サービスを提供している。」

<<日本の「民営刑務所」>>
 こうした事態は日本でも進行しつつあると言えよう。とりわけ2001年に小泉政権が誕生して以降、「官から民へ」「民にできることは民に」といった自由競争原理主義に便乗した刑務所民営化路線が、犯罪厳罰化・刑務所過剰収容の流れと呼応して、具体的な姿をすでに現してきている。
 2007年5月13日に開所した山口県美祢市の「美祢社会復帰促進センター」は、全国初の「民間」刑務所として報道されている。そもそもこのセンターが建てられた場所は地域振興整備公団(現・都市再生機構)が造成し、美祢市が整備した工業団地「美祢テクノパーク」であったが、バブル崩壊後、1997年の分譲開始以来、一社も進出せず、2001年から刑務所の誘致活動に転換したものであった。05年4月22日に事業者選定の競争入札が行われ、セコム、清水建設、小学館プロダクションを中心とした「美祢セコムグループ」が落札し、セコム・新日本製鐵などが中心となりSPC(特定目的会社)である「社会復帰サポート美祢株式会社」を設立し、この株式会社と国が20年間で約517億円の事業契約を結び、整備・運営にあたっている。職員は法務省の刑務官が約120人、民間職員がパートを含め140人以上である。
 07年10月13日に開所された栃木県さくら市の「喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センター」は「半官半民刑務所」「民活(「PFI=民間資金活用による社会資本整備」を略した)刑務所」と報道されている。さらに08年10月新設の島根県浜田市旭町の島根あさひ社会復帰促進センターは、収容人員2000人(初犯)、職員と家族合わせて1500人になるという。この民営刑務所は、06年に入札、大林組・ALSOKグループ が約878億円で落札している。このグループは、大林組が代表企業で、総合警備保障、日本電気、丸紅、グリーンハウス、合人社計画研究所、イオンディライト、コクヨ中国販売、PHP研究所の9社で構成されている。

<<監獄のない世界へ>>
 それでは懲罰が株式会社の利潤の源泉となることを許さない、「監獄のない世界」はどのように展望できるのであろうか?
 著者の主張は一貫している。
 「もし留置所や刑務所が廃止されるなら、では、何がそれにとって代わるのか? この問いは、監獄廃止の展望について考える際に、われわれをしばしば思考停止状態に陥れてしまう厄介な問いである。どうして現行の収監制度にとって代わるものを想定することがそんなに難しいのか?これまでとは全く異なった、そしてたぶんより平等な司法制度を最終的にもたらすと思われる理念の前でわれわれが尻込みしてしまいがちなのには、いくつもの理由がある。第一に、われわれは、過度に収監に依拠している現行制度を無条件の前提として意識しており、そのため今日、留置所や刑務所、少年院、移民拘留センターなどに収監されている二〇〇万以上の人々を、それとは異なったやり方で扱うことを想像すること自体が極めて難しいのである。皮肉なことに死刑反対運動でさえ、終身刑が死刑に対する最も合理的な対案だとの前提に立っていることが多い。
 懲罰が株式会社の利潤の源泉となることを許さない制度が想定出来るとすれば、それはどんなものなのだろうか? 人種や階級が懲罰の第一の決定要因とならない社会というのはいったいどんなものなのか? あるいは、正義実現の中心的手段が懲罰でないような社会とはどんなものなのか?
 このような疑問に対して答えねばならないわれわれ廃止主義者は、われわれの社会そのものおよびイデオロギーから監獄をなくしてしまう最終目標に向かう戦略や諸制度を頭に思い浮かべねばなるまい。われわれは電子監視手錠によって管理する自宅軟禁といった監獄の代用を探し求めたりはしない。包括的戦略として監獄人口を解消することを前提に据え、われわれは例えば、学校の非軍事化、すべてのレベルでの教育の再活性化、精神病を含めた無料医療の全対象者への提供、懲罰や復讐ではなく補償と和解に基づく裁判制度など、収監制度に対する一連の対案を検討すべきであろう。」
 さらに当面する具体的提案として、収監者の多数を占める麻薬使用と売春、飲酒の非犯罪化の提案を、各地域の無料麻薬・売春・飲酒対策プログラムと結合させる必要、必要書類を持たない移民の非犯罪化、等を提起している。
 「産獄複合体」、「監獄のない世界」、いずれもこれまで問題にもされてこなかった課題について鋭く切り込んだ問題提起の書といえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.374 2009年1月24日

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