【投稿】能登半島地震と原発臨界事故隠し
<<不幸中の幸い>>
まったくの偶然とはいえ、金沢地方裁判所が「北陸電力は、志賀原子力発電所2号原子炉を運転してはならない。」という画期的な判決を出したのが、ちょうど一年前の3月24日であった。今回の能登半島地震がその一年後の3月25日である。金沢地裁判決は、「電力会社の想定を超える地震動が原子炉の敷地で発生する具体的な可能性があるというべきだ」と認定して、運転差し止め判決を出したのであるが、その際、判決は、石川県能登半島の原子炉施設立地についても詳細に言及し、「我が国において、過去の地震活動性が低いと考えられていた地域で大地震が起こった例が珍しくはない上、むしろ従前地震が起こっていない空白域こそ大地震が起こる危険があるとの考え方も存在する。・・・原子炉敷地周辺で、歴史時代に記録されている大地震が少ないからといって、将来の大地震の発生の可能性を過小評価することはできない。そうすると、被告が設計用限界地震として想定した直下地震の規模であるマグニチュード6.5は、小規模にすぎるのではないかとの強い疑問を払拭できない。」と述べていた、その強い疑問がまさに的中したのである。
そして問題の志賀原発は、今回の地震の震源から18キロしか離れていなかった。しかも、9時42分の発生当初、マグニチュード(M)は7.1と推定され、現在はM6.9に訂正されたとはいえ、改めて日本に大規模地震の空白域などどこにも存在しないことを見せつけるものであった。これも偶然とはいえ、地震発生時、4月末に再起動を目指していた志賀原発2号機は低圧タービンの羽根の損傷など相次ぐトラブルのため、昨年7月以来運転停止中であり、1号機は99年の定期検査中の制御棒脱落事故で約15分間も臨界状態が継続していたという前代未聞の事故隠しが明らかになり、危険極まりない国内初の臨界事故を隠したのは極めて悪質と判断され、この3月15日に経済産業省原子力安全・保安院から運転停止を指示されて、これも運転停止中であった。地震発生時に北陸電力の2基の原発が動いていなかったというのは、不幸中の幸いと言えようか。
<<データ消失>>
それでも、たとえ運転停止中とはいえ、地震の影響を過小評価し得ない事象がこの志賀原発を襲っている。1号機原子炉建屋4階において、使用済燃料貯蔵プールが大きく揺さぶられ、プール周辺に放射能を帯びた水が約45リットル飛散(放射能量は約750万ベクレル)している。さらに1号機タービン建屋運転階の水銀灯7個、2号機原子炉建屋運転階の水銀灯2個が落下し、使用済燃料貯蔵プール及び原子炉ウェル内に破片が落下した可能性を否定できない事態が発生している。2号機タービン建屋床底面コンクリートが剥がれ、1号機原子炉建屋、タービン建屋の配管穴仕舞モルタルの剥がれ等も発生。北陸電力は「外部への放射能漏れはなかった」、「強度上問題になるとは考えていない」としているが、疑問である。
さらに問題なのは、地震発生後、取得した地震観測データについて、1号機建屋の地震観測用強震計による本震及び一部の余震の時刻歴波形記録(30分程度)が消失していることが判明したという。データ消失の原因は、今回の地震では短時間に多くの余震が連続して発生したこと、収録装置内のICメモリーカードの容量が少なかった(48MB)ことから、保存した本震記録等をサーバーに転送する前に、新たな余震記録により上書きされたためだという。1GBのメモリ数千円という時代に、よくもこんな程度の安全管理体制で済ませてきたものである。
北陸電力によると今回の地震で、1号機の原子炉建屋地下2階の地震計で震度4.8を記録、揺れは226ガル(ガルは加速度の単位)で、想定最大の490ガルを下回るものであったというが、それでも原子炉を緊急自動停止しなければならない190ガルは上回っていた。原子炉稼動中であれば不測の事態が発生していたともいえよう。
北陸電力が、志賀原発1号機の設置許可を88年に得る前に、周辺海域を調査し、今回の震源周辺で、活断層4本を見つけており、M6.1~6.6の地震を起こすと想定していたが、これは最大設計震度M6.6に合わせたものに過ぎず、これらの活断層と今回の地震との関係は不明であるが、現実にはM6.9の地震が発生した。今回の地震では、石川県七尾市と輪島市、穴水町では震度6強、原発のある志賀町、中能登町、能登町では震度6弱を記録し、住民に甚大な被害を出している。気象庁の発表によると、今回の地震の北東側では1729年にM6.6~7、1993年にM6.6の地震が発生しており、さらに2000年10月6日の鳥取西部地震では活断層が未確認の地域でマグニチュード7.3が観測されている。保安院は「今回の地震は発生しうる地震の想定の範囲内とみられる」としているが、その想定自身、そして耐震強度設計自身がいかにずさんで非科学的、実にいい加減なものであるかということを浮き彫りにしたと言えよう。
<<「憤りすら感じる」>>
「不幸中の幸い」と言ったが、地震直前の3月15日に、北陸電力の志賀原発1号機で、99年の定期検査中の6月18日に、挿入されていた制御棒3本が想定外に外れ、停止していた原子炉が一時、核分裂が続く臨界状態になり、すぐ緊急停止信号が出たが制御棒は元に戻らず、原子炉圧力容器の蓋も格納容器の蓋も開いたままで、制御棒を緊急挿入する別の安全装置も働かず、原子炉の制御ができない状態に突入、臨界状態は制御棒が戻るまで15分ほど続いていたことが明らかになった。試験中の操作ミスなどで原子炉が暴走し、原子炉の爆発・崩壊に至った86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を想起させる、きわめて重大で危険極まりない臨界事故であった。
ところが、北陸電力は現常務を筆頭に、発電所長ら幹部が協議して事実を運転日誌にも残さず、国などへも報告しないことを決め、記録を破棄し、データを改ざんし、発電所ぐるみ、会社ぐるみで事故をもみ消し、隠蔽し続けてきたのであった。北陸電力がこの臨界事故を徹底して隠蔽してきた最大の理由は、原発の本質的な危険性を隠し通したいということと同時に、この事故が起きたのが、2号機増設の是非が問題になり、同電力が地元自治体の了承を得る直前であったことにあることは間違いない。もしこの臨界事故が明らかになっていれば、県や町が北陸電力の要請どおりにこの増設を了承することは不可能となり、2号機建設計画が頓挫しかねない、その危機感から、この臨界事故を隠し通そうしたと言えよう。
今になって、甘利経産相は「憤りすら感じる。今までのデータ改ざんとは質が違う。厳正に対処しなければならない」と述べ、安倍首相は15日夜、北陸電力の臨界事故隠しについて「こうした隠蔽(いんぺい)は許すことはできない」と批判し、塩崎官房長官は同日の記者会見で「原子力に携わる人たちの倫理観をきちっとしてもらわなければいけない」と、モラルの徹底を求め、その結果として同1号機の運転停止を命じたのであった。
<<制御棒34本が一気に>>
ここでも明らかになったことは、モラルの徹底以前に、国の安全審査の想定がまったく不十分かつ、いかに現実に合わないものであったかということである。国の設計基準事故としては、あくまでも制御棒1本が抜け落ちる制御棒落下事故としてしか想定しておらず、北陸電力のように、制御棒3本が抜け落ちる事故など、想定外であったのである。
その後明らかになった制御棒脱落事故は、東電、東北電力や中部電力など計10基の原発で起きていたことが判明し、東京電力福島第一原発4号機(沸騰水型、出力78.4万キロワット)では、98年の定期検査中、一時的で、臨界には至らなかったというが、原子炉の核分裂を抑える制御棒34本が一気に15センチほど抜ける事故が発生、さらに同じく東京電力福島第二原発3号機では、78年に臨界状態が七時間半も続いたことを、約三十年間ひた隠しにしてきたという。柏崎刈羽原発6号機でも、96年に電気的な操作ミスで、制御棒が4本抜けた例があったという。
さらに見過ごしえないことは、志賀原発の制御棒落下の原因の一つとして、落下防止のツメが外れたままになっていた可能性があると指摘されていることである。原発を地震が襲来した際に、もし落下防止のツメが外れるような可能性があるとすれば、これは重大な欠陥といえよう。地震によってたとえ緊急停止装置が働いたとしても、制御棒落下によって再臨界、核暴走へと突っ走ってしまう可能性が大きくなるからである。空恐ろしい事態である。電力各社は全てのデータを公表すべきである。
しかし、この際とばかりに続々と出てきた電力各社のデータ改ざん・隠蔽問題で、4/5、電気事業連合会が国に報告した不適切な事例は12社で計1万646件に上り、このうち原発に関するものは455件にまで上っているが、これまでの例からして事故隠しがこれにとどまる保証はなく、信頼性に欠けるものである。
悪質な事故隠しと、データの捏造、隠蔽、不正を続けてきた電力会社がとるべき再発防止策は、「原発からの撤退」以外にはないし、原子力安全・保安院は、志賀原発1号機だけではなく、すべての悪質な事故隠しを行ってきた原発に即刻、運転停止命令を出すべきであろう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.353 2007年4月14日