【本の紹介】「粉飾資本主義–エンロンとライブドア–」
奥村宏著 東洋経済新報社2006年6月
今年に入って大きな事件と言えば、ライブドア事件であろう。大学生で起業し、数十億円の資産を築いた若者として、マスコミは持ち上げ、昨年には落選したとは言え、自民党の支援を受けて衆議院選挙にも立候補したホりエモンこと堀江貴文社長が、2006年1月証券取引法違反容疑で逮捕され、ライブドア株が暴落。大量の小口売買が殺到したため1月18日には東京証券取引所がコンピューター処理の限界を超えて全銘柄の取引を停止する事態となったことは記憶に新しい。
一方、1985年に合併によりエンロンはエネルギー会社としてスタート。レーガンの規制緩和政策にのって、1999年には世界ではじめてのエネルギー取引のインターネットサイトを立ち上げるなど多角化し企業買収を繰り返し2000年には全米7位の巨大株式会社となっていた。しかし、2001年には、損失隠しが発覚し、倒産に追い込まれていく。アメリカではエンロンに続いて巨大企業の粉飾決算が次々と発覚し、全米売上高第5位のワールドコムの巨額粉飾決算が発覚・倒産する。
<株式会社に内在する問題として>
著者は、エンロン事件とライブドア事件は、「金がすべてである」「金儲け万能主義」というアメリカと日本の社会のあり方を象徴する事件として取り上げる。そして、「金のためなら何でもする」と言う行動の背後に、現在の株式会社のあり方がそこにはあり、それが危機に陥っているからこそ、このような現象として現れているのであり、「株式会社」そのものの問題として解明することが、本書の目的であると述べている。
<高株価経営と粉飾決算>
エンロン・ライブドアに共通するのは、「高株価経営」であった。自社の株価が高くなれば、企業買収においても有利になる。また、ストックオプションによって得た自社株を高く売って儲けることができる。高株価を維持するためには、会社の業績が好調なように見せなければならない。粉飾決算は高い株価を維持するために行われた。エンロンでもライブドアでも同様の手法である。
本来会社経営を監査すべき会計監査法人も粉飾決算に積極的に関与した。
<機関投資家資本主義>
近代株式会社制度は、19世紀半ばのイギリスにおいて、法律に従っていれば誰でも株式会社を設立することができるようになったのが、始まりと言われる。金融や鉄道に限られていた株式会社はやがて製造業にも普及し、合併を重ねて巨大株式会社が生まれてくる。1901年のUSスチールはその象徴である。
株式会社は、元々個人が出資して設立され、個人が株主であるのが原則であった。個人の大株主が会社を支配していたのである。巨大化とともに株式が多数の個人投資家に所有されることとなり。大株主の持ち株比率が低下し、株式分散による「経営者支配」が一般的となる。こうして、個人株主が支配する第1期から、株式分散による「経営者支配」の第2期へと移行する。
1970年ごろから第3期に移行したと著者は述べる。機関投資家(年金基金・投資信託・生命保険など)が大株主となって登場し、個人への株主分散から機関投資家への集中が起こる。機関投資家は経営者に対して、株主重視の経営をせまり、株価を高くする経営を要求するのである。「・・他方で機関投資家の圧力による高株価経営が株式市場、さらに株式会社そのものを投機化させ、ギャンブル資本主義の様相を呈していく。これがエンロン事件となって現れたのであり、それは機関投資家資本主義、そして株式資本主義の矛盾のあらわれ以外の何者でのない。それは株式会社が第3期末においてその矛盾をさらけ出したものであり、株式会社の危機をあらわしている。経営者たちの金儲け主義、そのための不正会計やインサイダー取引、そしてさまざまな企業スキャンダルもこの危機のあらわれである」
<法人資本主義の顛末>
日本の場合は、戦後長らく法人同士の株式持ち合いによる安定株主政策が維持されてきた。企業買収や外資などからの乗っ取りを防止する目的であったが、株主は個人であるという株式会社の原則から逸脱したのが、日本の株式会社制度であった。しかしバブル崩壊とともに、「・・・法人資本主義が解体し、日本型株式会社の矛盾が爆発したあと、これからどちらの方向に向かうのか、その方向が見えないまま模索している段階で起こった事件(ライブドア)である。・・アメリカの株式会社と日本の株式会社は違ったコースを歩んできたが、その第3期末の段階で同じ到達点についたのである。これが、エンロン事件、そしてライブドア事件の意味するところである。」
<貯蓄から投資へ>
「勝ち組は投資をする」と小泉政権は株式投資を誘導してきた。ゼロ金利政策の中、個人責任で貯蓄から株式投資への転換を進めるため、株式配当等についても税率1割にしてきた。アメリカではエンロン事件の教訓から「サーベンス・オクスリー法(企業改革法)」ができたが、日本においては、株式会社制度の危機であるとの認識はまったくないと著者は述べる。ライブドア事件から6ヶ月、マスコミは裁判報道はあるものの、事件の本質を解明する動きは忘れ去られているようにも思える。本書は、エンロン、ライブドア、そして村上ファンド問題を考える上で貴重な問題提起の書である。(佐野秀夫)
【出典】 アサート No.344 2006年7月22日