【雑感】 大木 透
この数日、イラクでの死者の報道がなくて、小泉首相以下の和製・ネオコングループはほっと胸をなで下ろしていることであろう。薄氷を踏む思いで、八百万の神に、ことの大安成就を祈願している、こうした人々のご心労に対して、身から出た錆という献辞は失礼であろうか。ともかくも、かくして、日の丸部隊が、商社マンか建設作業員のような安全な復興支援に踏み出そうとしている。本当に、私心なく、自己犠牲的に頑張ってもらうことは、まことに結構なことでご同慶の至りである。しかし、覚えておいて欲しいのは、サマワの失業者の救済も結構だが、この地元のことも真剣に考えてもらわないと困るということである。一事が万事である★こんな穏やかな、やや諦念のこもった気持ちで、いつも訪れるサイトを見ていたら、「首都警備を5月までに移譲 駐留米軍、イラク人に (共同通信)」という報道に出くわした。それによると、「イラク駐留米軍は4日までに、バグダッドの警備に当たる部隊を大幅に縮小し、治安維持の主要な任務を5月までにイラク人の警察と保安隊に移譲する方針を明らかにした。『イラク人の治安部隊の養成が進み、独自の警備活動を遂行できる水準に達したため』と説明している。米軍当局は、厳重すぎるとして市民の反発を招いていた米軍主体の警備を見直し、首都の事情に精通した部隊に委任することで効率的な警備が可能になるとしている。しかし、イラク人警察官が自爆テロに巻き込まれたり、反米武装勢力から『米国の協力者』とみなされて攻撃対象となる事件が頻発しているだけに、治安任務の移譲は時期尚早とする見方も出ている。駐留米軍は、バグダッドに最大時、計60カ所あった警備担当部隊の拠点を24カ所に縮小。5月までに中心部の米軍管理区域『グリーンゾーン』内の拠点2カ所を含む計8カ所だけにする。」というのだ★これを読んで、額面通りには受け取れないぞと、誰でも思うだろう。戦争の大義がなかったことが、さまざまな関係者の証言によって次々に明らかにされ、米軍の死者が犬死にではなかったかという批判の声が強まり、ネオコンと国務省の対立も深まる中で、これ以上、死者を出すことが、確実に、ブッシュの再選を不可能にする★ここまで、ブッシュは追い込まれたのである。その意味では、イラク人のテロを含む抵抗闘争は大きな成果をあげたと言うべきであろう。さて、問題はこれからである。シーア派対スンニ派、クルド人対イラク人、こういった深刻な宗教的民族的対立をどのようにして克服し、しかるべき政治体制を作っていくべきかが問われている★このように、今や、ブッシュは、体裁を付けて、逃げだそうとしている。結局、イラクの民主主義など、どっちでもよかったのである。今後、さまざまな紆余曲折はあるであろうが、ブッシュは賭に破れたりということになるであろう。もうこれ以上、死者を出すことなく、一歩前へ進むことができれば万々歳と言うべきであろう★こういう時期になって、日本は意気揚々と出て行こうとしているのである。治安維持に関わらぬというと聞こえはいいが、要するに、いいとこ取りをしようという浅ましさが優先しているのであって、彼らにとって、憲法論議などは二の次のことなのである★昨夜、「歴史が動いた『そして近代ニッポン人が誕生した』- 明治の文豪たちの”生き方”革命 -」という番組を見た。日清・日露戦争の国威発揚の時期に、西欧化によって国家建設を進めようとする為政者の「大義」とか「公」とかいう国家宣伝に対して、個というか自我の確立といった、極、平凡な人間感情を基礎にした文学活動を行った、子規、漱石、晶子の葛藤と苦しみを紹介していた。これは、偶然だろうがまことに時宜にかなった番組だった。「大義」や「公」がまかり通った跡に、いいものが残ったためしがないのは、今も昔も変わりはない。
【出典】 アサート No.315 2004年2月21日