【コラム】ひとりごと–民学同結成40周年に思う–

【コラム】ひとりごと–民学同結成40周年に思う–

 ○もう40年前のことだが、1963年9月15日大阪で民主主義学生同盟が結成されている。その歴史を振り返ると、60年代を通じて全国化を果すと共に、「学園紛争」の時代を前後して、2度の分裂を経験し、それぞれの学生グループは少なくとも80年代の後半までは、一定の組織的存続をしていた。○私自身は70年代の前半期に、民学同統一会議・デモクラート・新時代のグループに所属していた。この間にも、分裂を経験し、喧々諤々の議論と組織闘争を経験している。今から思えば運動の退潮期の分裂というものは、退潮を一層進めるという結果に至るものでしかなく、積み上げてきた様々な財産を失ったことは否めない。○しかし、運動の一定の高揚期であった結成からの10年間は、文書や伝聞でしか知ることができないのだが、歴史のこの部分について、もっと知りたいなとかねがね思ってきたものである。○全学連をセクト的に独占し、結果的に破壊しようとする左右の分裂主義に抗して、運動の統一と民主主義を擁護しようと結成された民学同の主張と運動は、少なくとも68・69年の大学闘争高揚期(ポツダム自治会の否定と全共闘運動という個別学園を舞台にした拠点闘争昂揚の時代)までは、日本の学生運動の混迷の中で一筋の光明ともいうべき光を放ち、影響を広げていった。最近出版された塩見孝也「赤軍派始末記」にも64・5年当時、社学同など三派による全学連の「再建」が「構造改革派が反対したんです。大阪大学の民学同や東京教育大学の連中なんだけれど・・・」(P47)と強行出来なかったことが回想されている。○自分自身の経験に照らしてみても、すでに自治会が崩壊状態の中でも、学内の統一した闘いを大切にしてきた。実はこれが一番手間のかかることだった。○現在に語り継がれるべき、民学同の遺産こそは、民主主義の思想であり、運動統一の思想に他ならない。○もちろん、学生運動をそれだけで語ることはできない。60年代の運動は、日本共産党に替わるべき前衛党をめぐる議論と組織運動に規定されていると思われるからである。○こうした関心から、アサートホームページの中に、「民学同40周年を考えるページ」をまもなく立ち上げることにしました。限られたものではありますが、歴史的資料の紹介と共に掲示板も用意したいと思います。民学同経験を検証していく場にできたらと考えております。(2003-09-23 佐野秀夫)

 【出典】 アサート No.309 2003年9月27日

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