【投稿】「劇場型民主主義」の行方~「観客」と「舞台」の一体化を~

【投稿】「劇場型民主主義」の行方~「観客」と「舞台」の一体化を~
                                          何時の頃からだろうか。マスメディアという媒体を通じて、有権者が「観客」となり、政治家たちが「舞台」の上での演者であるかのような政治-「劇場型民主主義」と呼ばれる時代が始まったのは。
 思い起こせば、いわゆる「マドンナ旋風」が吹き、土井社会党が勝利した時期から、その傾向が見られ始めたのではないだろうか。それまでの、階級・階層の利益を代表する政党を基軸とした政治、その表現としての選挙戦といった構図に変化が生じ、男社会にハッキリもの申す土井たか子を中心に、女性候補が次々に勝利を収めたのである。
 変化を決定づけたのは、8党連立の細川政権を誕生させた’93年の総選挙である。政党支持別のシェアでトップを占める、いわゆる「無党派層」の動向が大きく鍵を握るようになった。
 その変化は、国政選挙から地方選挙にも拡大していくこととなる。’95年の統一地方選挙において、東京都知事選では青島幸男、大阪府知事選では横山ノックが、既成政党の候補者を大差で破り、勝利を収めたのである。その流れは4年後の’99年の統一地方選挙でも変わらず、東京都知事選での石原慎太郎の勝利、そして、横山ノックの圧勝による再選を生み出した。
 このことは、同じく無党派層を惹きつけて相前後して誕生した、高知県の橋本知事、宮城県の浅野知事、三重県の北川知事とは、政策の明確さ、候補者のタレント性、マスコミの注目度(言い換えれば扇動度)から見て、趣を異にする。彼らの場合、行政課題への明確な指針を示しているが故に、選挙の勝利そのものよりも、その後の行政活動によってむしろ評価を高めていったと言える。
 国政レベルでの劇場型民主主義の極めつけは、’01年の自民党総裁選である。国政選挙にとどまらず、ついには一政党の党首選挙においてさえ、パフォーマンス型による選挙戦の勝利を呼び込むことになったのである。
 地方レベルでの極めつけは、やはり長野県知事選であろう。知事不信任決議という、本来ならば政治的には決定的に不利な条件をモノともせず、むしろ有利な材料にしてしまい、圧倒的な勝利で幕を閉じる結果となった。ダム建設や公共事業、政治手法などが論点となったのであるが、それぞれの候補者の政策の是非よりも、既成の政治勢力による「いじめ」へのアンチテーゼとしての田中康夫の勝利と考える方が分かりやすい。そのことは、’99年の横山ノック再選と同様の構造であったとも言える。
 このような流れを踏まえるならば、無党派層を意識した政治活動や政治手法、そして選挙戦略を描かざるを得ない政治状況であることは事実である。憲法、安保、経済、福祉など政策を基軸とした政界再々編が叫ばれて久しいが、現実はむしろ、分かりやすさやイメージ、パフォーマンスに引っ張られているのである。
 その典型的な事例が、’01年の参議院選挙である。既成勢力に切れ味鋭く迫り、小泉首相ともイメージをダブらせつつ、インテリ層から母親の介護により大衆的な支持までも取り付けた桝添要一を擁立した自民党と、取り敢えずは有名だからといって、政治的なスタンスはいまいち分かりにくく、大衆受けとしては中途半端な大橋巨泉を要した民主党における、マスコミをも意識した選挙戦略の違いが、結果の差に結びついていったのである。
 このような「劇場型民主主義」を一概に否定することはできない。無党派層が政治的にまったく無関心となり、既成勢力の組織型選挙のみに政治が決定づけられてしまうよりは、「観客」がより多く、「舞台」に興味を持つ方が、民主主義にとっては好ましいことである。ただ、危惧されることは、「観客」が「観客」のままで終わってしまうこと(関心が必ずしも投票率に結びつかない昨今の傾向)、「観客」の質が「舞台」の質を規定し、また逆に「舞台」の質が「観客」の質を規定しまうことである。それは、「舞台」の演出者であるマスコミによるところが大きく、ナチス・ドイツの例を引くまでもなく、時には極めて危険な結果を招くことになる。
 一方、「劇場型」にすらなっていない民主党党首選の動向も気になる。薬害エイズの実績で頭一つ抜けている菅直人の復権が、パフォーマンス面からみた大方の予想ではあるが、野党第一党の党首選としては、あまりに「観客」が少なくシラケており、「舞台」の面白みにも欠けるのである。サポーター制にしても、都道府県別の人口によって得票ポイントを割り振ったが故に、党員やサポーターが少ない=有権者一人あたりのポイントが多く効率的な県を積極的に固めに回っているという報道を聞くと、暗澹たる思いを抱いてしまう
 「劇場型民主主義」は、ホンモノの舞台芸術と同様、「観客」と「舞台」が一体化してこそ、成功し、真の民主主義に発展する。その意味では、長野県知事選は、前回選挙に比べて、その距離を縮めたという点では、評価できるのである。また、地方政治における、住民投票や情報開示、行政評価システムなどの実験や実績の積み重ねは、選挙時における一時的なものにとどまらず、一体化を仕組みとして定着させるものであるとも言える。
 この秋の民主党党首選から10月の国政選挙の補欠選挙、そして来春の統一地方選挙の流れの中で、「劇場型民主主義」の発展、「観客」と「舞台」の一体化が、一歩でも進んでいくことを期待するのである。
                          (大阪 江川 明) 

 【出典】 アサート No.298 2002年9月21日

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