【投稿】9・11テロと「国益」論

【投稿】9・11テロと「国益」論   by 生駒 敬

<9・11テロ攻撃がもたらしたもの>
 昨年九月十一日、世界貿易センタービルのツインタワーが全世界の人々の目の前で崩壊したとき、確かにある重要な、しかも相当に根本的な変化の一端が、あのように無慈悲でおぞましい姿を取って現出したのであろう。ソ連崩壊後の「冷戦体制」の終焉は、アメリカを除いた全世界には「平和の配当」をもたらさなかった。むしろ、一方的なアメリカン・スタンダードとマネーゲーム、資本主義的グローバリズムの害悪が全世界のいたるところに撒き散らされ、ブッシュ政権の登場と共に、アメリカ「帝国」の覇権を拡大し、宇宙戦争の制覇をも目指す軍事費の拡大路線が結果として導き出された。
 九・一一は、この増長する「帝国」の「虚」を突くかのようなテロ攻撃ではあったが、それは一体何をもたらしたでのあろうか。確かに「国家」を相手とするような戦争形態の変化をもたらしたかもしれないが、それはよりいっそう醜悪でばかげた準戦時体制や有事体制の強化をもたらし、「反テロ同盟」の名の下に、平和的共存と国際的協力が否定され、排外的な「国益」論が横行し、民主的諸権利の抑圧をもたらしている。最も危険な兆候は、「先制攻撃」がこれによって正当化され、核兵器の使用さえ公然と合理化され出したことである。それに便乗した福田官房長官が、非核三原則の放棄まで言い出し、内外の反発の前に慌てて取り繕いはしたが、核兵器カードをちらつかせ、その保有への意欲を示したことの意味は無視できないと言えよう。米ソ冷戦時代よりも危険な兆候が蠢き出したのである。そして最も憂慮すべきことは、こうした「帝国」の政治的軍事的経済的覇権がもたらす平和への脅威、矛盾と富の偏在、環境破壊と格差と不平等の拡大に迫らないかぎりは、テロの根源に迫ることは出来ない、という当たり前の、真剣で具体的な議論がないがしろにされ、とにかく「テロ撲滅」、「国家の威信」をかけた準戦時体制の構築が最優先されかねない事態に立ち至ったことである。ここで、こうした傾向に敢然と立ち向かっているアメリカの二人の論者を紹介しよう。

<ノーム・チョムスキー>
 今このテロ問題でその発言が最も注目されている一人は、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーであろう。彼は、今年の1月末~2月初め、ブラジルのポルト・アレグレで開かれた世界社会フォーラムの特別講演プログラム「戦争のない世界は可能である」で、「いつの時代も国は己の経済的利益を守るために武装してきた。今日の米国も、自分たちの推進するグローバル化が貧富の差をいっそう拡大し爆発させかねないことを知っているからこそ、軍拡に余念がないのです」と指摘している。
氏は、九・一一実行犯について述べる。「まず実行犯に関してですが、ある意味ではそれほどはっきりしません。米国は証拠を提供できないか、または、そのつもりがありません。米国が証拠を提出しようとしない理由は、証拠なしで行動したいからです。これは非常に重要な反応です。米国はそのつもりになれば、今ごろは安保理決議を得ていたでしょうが、そうしようとしませんでした。米国が安保理決議を望まなかったのは、以前からの原則に従ったためです。…その原則とは、われわれには単独で行動する権利があるというものです。われわれは国際的な承認を求めません。なぜなら単独で行動するからです。われわれは証拠など気にしないし、交渉もどうでもよいし、条約にも構いません。われわれはこちら側のブロックで最も強く、強靭な殺し屋なのです。…専門的文献にはそれを表す言葉もあり、威信の確立、と呼ばれています。」(ノーム・チョムスキー『「ならず者国家」と新たな戦争-米同時多発テロの深層を照らす-』二〇〇二・一・一〇発行、荒竹出版)
 氏はまた、反テロ同盟についても以下のように述べる。「テロに対抗して組織されつつある同盟を見ると、多くのことが分かります。同盟の主要メンバーはロシアで、米国が、そのチェチェンでの残虐なテロ戦争を時おり背後で批判するのを止め、支持することを喜びました。中国も熱心に参加しています。中国は、西部のいわゆるモスレム分離主義者に対する残虐行為への支持を得ることで喜んでいます。トルコは、先に述べたように(米国がトルコの大規模な民族浄化、残虐行為、そして恐怖に貢献したから)、テロに対する戦争に非常に満足しています。彼らはテロの専門家です。そしてインドネシアもアチェその他で行っている残虐行為に対して、米国の指示をさらに得ることを喜んでいます。こうしてテロに対する戦争の参加国リストを見ていくと、それはとても印象的です。共通の性格があります。彼ら自身が確かに世界の主要なテロ国家に入るのです。そしてその世界チャンピオンに率いられているのです。」(同上)

<スーザン・ソンタグ>
 九・一一直後の九・一七に発売された「ニューヨーカー」誌上で、著名なアメリカの文芸批評家スーザン・ソンタグ氏は、次のように発言している。
 「先日の火曜日の途方もない現実体験と、さまざまな公人やTVのコメンテーターが振りまいている独善的な妄言、あからさまな欺瞞。その乖離は驚くべきもので、気が滅入ってくる。あの事態を受けて堰を切ったように表明されてきた発言の数々はこぞって、民衆を子ども扱いしているとしか思えない。これは「文明」や「自由」や「人類」や「自由世界」に対する「臆病な」攻撃ではなく、世界の超大国を自称するアメリカがとってきた、もろもろの具体的な同盟関係や行動に起因する攻撃に他ならない。だがその認識はどこにいってしまったのだろうか。また、「臆病な」という言葉を使うなら、他者を殺すためにみずからすすんで死んでゆく者たちに対してではなく、報復の恐れのない距離、高度の上空から殺戮を行う者たちに対して使うほうが適切ではないだろうか。現政権の対外政策に強硬に反対していたはずの過去ないし現職のさまざまな公人たちは、まさに臆面もなく、団結してブッシュ大統領の背後に立つと言うだけで、あとは何も発言しない。…ブッシュら公人たちの全員一致でご満悦、自画自賛とも言うべき、ソヴィエトの党大会まがいの楽天的な決り文句を見聞きするにつけ、情けなくなる。…政治、民主体制の政治-それは、意見の不一致をも許容し、虚心坦懐な姿勢をはぐくむもののはずだ-に代わって、心理療法の登場である。何をおいても、ともに悲しむ。それは私もやぶさかではない。だが手に手を取って、全員一緒に愚者になることはない。…アメリカは強い、誰もそれを疑ってはいない。だが、アメリカのあるべき姿は、それがすべてではない。」(スーザン・ソンタグ『この時代に想う テロへの眼差し』、二〇〇二・二・五発行、NTT出版)
 この短文はアメリカでは激しい反発を招いた。しかし氏は、以下のように断言する。「(この短文は)ここアメリカでは激しい批判をこうむりましたが、それは第一印象を述べたものにすぎない。ところが、残念なことに、そのときの印象はその後も一貫して変わらず、正確なものだった。…アメリカや同盟諸国の全面「戦争」という対応で苦しむのは、あのテロリストたちではなく、より無辜の存在、今回の場合で言えば、アフガニスタン、イラク、その他の地の民間人です。…九月十一日を真珠湾になぞらえることは、適切でないばかりか、誤りです。戦う相手としての国が存在するかのような誤解を生みやすい。…私はアメリカの外交政策、帝国主義的な図々しさ、また傲慢さをめぐって、暗澹たるものを感じています。しかし何よりも念頭に置くべきは、九月十一日の出来事はおぞましい犯罪だったということです。…テロリズムは無実の人々に対する殺害です。」(同上)
 氏はさらに、「冷戦時代の言辞の再浮上を、私は嘆かわしく思っている。現状の世界は二極世界ではなく、「敵」を国民国家の単位で見極めることは出来ない」と指摘している。

<不吉な警告の連発>
 小泉首相と同じく、ブッシュ大統領もこのところ支持率が急降下しだしている。テロ奇襲の事前情報がいくつもあったにもかかわらず、ブッシュ政権は無視し、警告さえ出さなかったという報道や非難への弁明に追われ、今度は逆に次から次へと不吉な警告を連発し、それがまた批判をこうむると言う悪循環である。
チェイニー副大統領は、五月一九日、「次のテロが起こる可能性はかなり現実的なものだ。起こるかどうかではなくいつ起こるかの問題だ」と発言。
 ムラーFBI長官は、翌五月二〇日、「テロ攻撃は再び起こるだろう食い止めることはできない。必ず起こる。避けられないと思う」。
 そしてラムズフェルド国防長官は、五月二一日に「テロ組織は、大量破壊兵器を保有するテロ支援国家とつながりをもっておりいずれその兵器を手にする」と脅す。
三日連続で政府首脳がこの調子である。そして実際に政府は次々に不吉な警告を発表してきた。アルカイダが米国内の高層住宅を吹き飛ばし、ニューヨークの地下鉄を襲い、石油精製所を破壊し、原子力発電所を爆撃し、ビルの通風口に毒ガスを混入し、携帯型ミサイルで航空機を撃ち落とし、パレスチナのような自爆テロを行う危険があるという。
 五月二四日には、テロリストたちがスキューバダイビングの特訓を受けているらしいという警報も出され、米国内のオフィスビルの通風口に、シアン化合物を混入させるというテロ計画情報が流される。この情報で、メキシコで七トンのシアン化合物を運んでいたトレーラーが襲撃され、行方不明になっていたが、車は見つかったものの、積み荷のシアン化合物は三分の二が盗まれていたという。ニューヨークの自由の女神像やブルックリン橋がテロの標的になっているとも流される。なんともはや、振り回される市民はたまったものではない。
 そして極めつけが、「ダーティ・ボム疑惑」である。アシュクロフト米司法長官は、六月一〇日、放射性物質を使った「汚い爆弾」による米本土へのテロ攻撃を米当局が阻止したと発表。なんと、シカゴのギャングだった黒人が、イスラム教に改宗してアルカイダに関係し、放射性物質を爆薬でまき散らす大量殺戮兵器「ダーティー・ボム」でテロ攻撃を狙っていたというまったく荒唐無稽な計画である。「悪の枢軸論」や「核の先制使用宣言」、「対イラク反テロ戦争」を煽っているウォルホビッツ国防副長官やアーミテージ国務副長官らが各テレビに出演、「ダーティ・ボムの危険性」と「核戦争の現実性」を解説しているが、まったく証拠なしのでっち上げ疑惑ふんぷんたるものである。カナダのナショナル・ポスト紙は、この発表を「すべてインチキだ」と断言し、「九・一一テロの前にCIAとFBIが大失態を犯していたことが最近報じられている。その問題からアメリカ人の目を反らすことが第一のねらいだったのではないか」報じている。

<国益」論のインチキ性>
 そもそも「悪の枢軸」論自身が荒唐無稽であろう。名指しされたイランとイラクは敵対関係で、同盟関係などもちろん結んではいない。そして北朝鮮はいずれとも安定した政治的経済的交流が成立していないことは誰の目にも明らかである。ましてや三国間の「枢軸」などこれまでも存在しなかったし、今後期待したとしても無理矢理デッチ上げる以外に、必然性などありえない。ヤクザの言い掛かりか、インネンつけの類いである。しかしブッシュ政権のアメリカ「帝国」の覇権維持と緊張激化政策、莫大な軍需をもたらすミサイル防衛システム構築にとっては、この「悪の枢軸」が必要不可欠なのであろう。そしてアジアにおいては、とりわけ日本が、近隣諸国、中国、韓国・北朝鮮、ロシアとの間で緊張関係を強め、高めておくことが、こうしたブッシュ・小泉=日米「悪の枢軸」の形成にとってのキーポイントなのであろう。執拗にさまざまな緊張激化論が流され、繰り返される所以でもある。
 そしてこの間、「悪の枢軸」論から有事立法、さらには不審船や対ロシア外交、瀋陽領事館事件、あるいはそれぞれの諸国間の領土問題をめぐって、何度も口にされてきた「国益」論には、こうした緊張を高め、民族主義を煽りたてるいかがわしさが常に横たわっている。
 問題は、さもありなんと言うべきか、嘆かわしいと言うべきか、日本共産党がこの「国益」論に完全に乗せられてしまっていることである。今年の三月一九日、共産党の志位委員長は「昨年三月五日におこなわれた鈴木宗男議員とロシア外務次官の会談記録について」の全文を発表し、その中で問題の鈴木宗男氏がロシア側に対して、二島先行返還論の立場に立って、「日本には冷戦時代の言葉を使って領土問題の議論をする人」もいるが、「自分や東郷局長は弾力的な姿勢でロシアとの関係を考えていきたいという立場」だと発言している個所を問題発言だとして、「そして森・プーチン会談での合意は、鈴木議員らがすすめた裏の会談がつけた道筋でとりむすばれたこと、こうして日本外交がゆがめられ、国益がそこなわれたことは、きわめて重大である」と、「国益」を正面に掲げて弾劾している。(三月二〇日付赤旗)
 こうした「ムネオ・ハウス」暴露以来の共産党の「国益」論に対して、和田春樹氏は、『世界』二〇〇二年五月号、「スキャンダルと外交-日露領土交渉の流れを断ち切るもの」の中で、「地位利用の利権の追及は許されない。疑惑の徹底追及は当然だ。だが、外交に関わる疑惑を検討するときは相手国の国民感情を害さないように配慮すべきだ。国後島の日露友好の家を「ムネオ・ハウス」だと愚弄するのは、ロシア人島民を辱めることになる。問題はそれだけではない。鈴木問題の告発の背後には、明らかに外交路線上の争いが隠れている。三月一八日に共産党志位委員長あてに昨年三月五日鈴木議員とロシアのロシュコフ外務次官との会談の記録なるものが送られた。…志位氏は本物だと断定して、全文を公表し、鈴木議員と東郷元局長は「二重外交をやっていた」、二島先行返還論、すなわち二島で打ち切る案を推進した、「日本外交が歪められ、国益が損なわれた」と主張した。影の演出家は、共産党を保守的領土外交、対露強硬論のメガホンとして使っている」と厳しく指摘している。
 すでにこの前段、共産党の佐々木議員が二月一三日、国会で国後島の日露友好の家について、「ムネオ・ハウス」と紹介した、そのタイミングを見計らい、「好機を逃さなかった人がいた。二〇日の田中、鈴木両氏の参考人喚問の朝、佐々木氏の事務所の郵便受けに国後島友好の家の入札に絡まる鈴木議員の介入を示す外務省内部資料が差し込まれた」(和田氏、同上)のであった。ブッシュ・小泉枢軸を援護し、右派外交路線に踊らされ、メガホンとして使われた共産党の民族主義路線がその「真価」を発揮したと言えよう。対ロシア外交において四島一括返還に固執し、領土問題の緊張を高めておくことが「国益」となったのである。
 和田氏は、この論文の最後を「そしてこのたびの鈴木袋叩きの中で、スキャンダルとともに日本の対ロシア外交の本流が否定されようとしている。ロシア人は、日本人はロシアとの関係改善には価値を見出していない、結局日本人はアメリカとの関係がすべてだと思っているらしいと考えているだろう。真のナショナル・インタレストを考える人はどこにいるのか。陰鬱な春である」と結んでいる。
 九・一一テロ攻撃は、あらゆる変革を求める人々の「真価」を問うているとも言えよう。

 (本文書は、「大阪のこえ」誌第15号(2002年7月15日)からの再録です。) 

 【出典】 アサート No.297 2002年8月24日

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