【投稿】沖縄サミットが明らかにしたもの

【投稿】沖縄サミットが明らかにしたもの

<<無知・無能さらけ出す森総理>>
 以前から森首相に関しては、首相としての資質そのものが皆無ではないかと問われていたのであるが、沖縄サミットはそのことを端的に実証したともいえよう。すでに 準備段階から沖縄県知事を前にサミット会場を万博会場と発言したり、IT革命を、IC革命とか、”イット革命”などと言うお粗末振りが際立っていたが、それらはまだ国内での無知として済ますことも出来た。しかしサミット当日の7/22の昼食会談(ワーキングランチ)、1時間20分をまるまる雑談に終始させ、議長役の森首相自ら「伝統文化・スポーツの話題」で先導し、相撲、華道、茶道、書道、柔道、合気道など「道」のつくものを片っ端から上げて説明をし、あげくに「西欧の庭園では噴水で水が下から上に上がるが、日本では滝をしつらえ、上から下に流れることが多い」などと延々と駄弁を弄し、そうこうするうちに時間切れとなってしまい、山積する重要な案件について何一つ率直な意見交換をすることもなく、本来予定されていた議題も持ち出さなかったために、さすがの各国首脳もあきれ果てて、苦笑するばかりだったと言う。そのぎこちなさと、はしゃぎすぎ、サミットの外形やショー化にばかり気を取られて、具体的な論議になると貧弱そのもの、論議の方向付けも出来ない、ただただ”対米ゴマスリ”に終始する日本の首相の姿をさらけ出したのである。クリントンやプーチンは時間の無駄とばかりに当然のごとく、森首相との個別会談をキャンセルしている。
 沖縄でサミットが開かれた意義など吹き飛ばしてしまったのは、森首相自身だったのである。

<<「皆さんがいじめるから萎縮する」>>
 沖縄サミットで最大の関心事でもあり、今後の国際情勢を大きく左右する問題は、極東アジアにおける緊張緩和の問題であった。とりわけ朝鮮半島での初めての南北首脳会談の実現と相互交流、軍事的緊張緩和の急速な動きは、サミット諸国がこれを歓迎し、いっそう促進させ、支援する絶好の機会でもあった。しかし、ロシアのプーチン大統領が沖縄入り直前に北朝鮮を訪問し、金正日総書記から「他の国が平和目的の衛星ロケット開発に協力してくれるなら、独自のミサイル開発は停止する」という提案を携えてきたにもかかわらず、議長国の日本はアメリカに遠慮して議題に取り上げることさえしなかった。
 米本土ミサイル防衛計画(NMD)は、この北朝鮮のミサイル開発・配備計画を最大の口実として行われてきたのである。口実である以上、北朝鮮との裏取引さえ疑われるところである。ところが7/8に行われたNMDの三回目の迎撃実験は前回に引き続き失敗に終わり、こうした「軍需資本と超保守派を喜ばせる空虚でばかげた計画」に米国内でも憂慮の声が続出し、「NMDの配備が中ロ両国の核軍拡をあおる」とする中央情報局(CIA)の機密報告が出されたばかりである。さらに7/18には、中国を訪問中のロシアのプーチン大統領が、江沢民国家主席とともに、NMD計画を非難する共同声明を発表したところである。フランス、ドイツも反対姿勢を公表している。ドイツのシュレーダー首相は6月のクリントン大統領の訪独の際、「NMDが新しい軍拡競争の引金となりうる」と率直に反対姿勢を表明している。サミットで議題にならないほうがおかしいのである。
 ところが日本は、北朝鮮のミサイル開発を口実にアメリカと戦域ミサイル防衛計画(TMD)の共同研究に加担しているところから、沈黙を押し通したのである。森首相はもちろんこうしたことの本質の理解云々以前に、問題のスケールの大きさに萎縮し、逃げ出したといったほうが適当であろう。「皆さんがいじめるから萎縮する」(8/11、記者団への不満)というあの姿勢である。

<<約束反故、逃げ出すだけ>>
 世界平和の最大の問題で逃げ出した森首相は、もちろん沖縄の最大の問題である基地問題でも逃げ出してしまった。言うべきこと、約束したことも一切言わなかったのである。
 当然、普天間基地の移転問題では、沖縄県や地元・名護市が受け入れの最低条件とし、アメリカ側に強く申し入れることを要求していた”使用期限15年”についてさえ一切持ち出さなかった。普天間基地の移転先が年内に決着しない限り「沖縄に行きたくない」というクリントンの発言に怯えきっていたのである。欠席さえ噂され、中東和平交渉の場からとりあえずやってきたのが7/21である。この日、平和祈念公園の「平和の礎」で演説したクリントン大統領は、沖縄の米軍基地は「死活的に重要」と言い放ち、基地の無期限維持を強調するような発言をし、「米軍のプレゼンスを必要としない段階には達していない」と述べると、森首相はただ擦り寄り、例によってウンウンとうなずいただけである。「米大統領とこの問題で直接話し合う」という日本政府の沖縄県民への約束は反故にされ、事実上の基地の強化と固定化を承認し、稲嶺県知事、岸本名護市長がクリントンに直接進言するという約束も果たされなかった。
 クリントンは、直前に起きた駐留米兵による女子中学生への強制わいせつ事件に対しても、”このような事件が起こると残念だ”と言っただけで、米軍によるおびただしい人権侵害や権利の抑圧に対する謝罪の言葉は一言も聞かれなかった。翌7/22、同大統領はキャンプ端慶覧で演説、兵士の綱紀粛正を求める一方、在沖米軍の存在意義を強調している。彼自身の性的放縦と米国内で高まる沖縄米軍基地の不要論・海兵隊撤退論を知る兵士たちはどのように受け止めたのであろうか。

<<鮮やかで相反する対照>>
 「沖縄サミットが中東サミットに食われた」と報道されているが、このようにその役割を引き下げたのはむしろ森首相であり、日本政府だったのである。政府は前回のケルン・サミットの100倍以上の総額814億5200万円もの金を注ぎ込み(最多は警察庁の326億8800万円)、県外からサミット警備に2万500人も動員した大騒ぎの結果がこれである。サミットのショー化と利益誘導で沖縄県民を取り込んだつもりであるが、サミットで各国首脳などが宿泊した県内10ホテルの7月実績は、宿泊客数で前年同月比約11万人減、金額にして約30億円の減収であったという(7/25琉球新報)。琉球新報が県内53市町村の首長に沖縄サミットについての緊急アンケートをとった結果、サミットの共同宣言や議長会見の内容を評価した首長は二人にしかすぎなかった(同) 。
 しかしこうした沖縄サミットを成功させ、混乱させないためという空前のさまざまな規制や締め出しにもかかわらず、サミット直前から、7/15には沖縄県民7000人が結集して「米兵によるわいせつ事件糾弾及び連続する事件・事故に抗議する緊急県民総決起大会」が持たれ(宜野湾)、続いて7/20の「嘉手納基地包囲行動」には2万7100人もの人々が参加して、過去4回の包囲行動を超える人間の鎖による基地包囲が実現し 、期間中も多種多様な抗議行動が展開され、世界中に発信されたのである。この鮮やかで相反する対照は、首相や政府の予期しなかったところであろう。しかもこの基地包囲行動は、これまでのようにさまざまな中央組織の縦割り動員や組織化によって実現したものではなく(そもそもそのような動員がなかった)、個々の庶民、民衆の自発的なイニシャチブによって、基地包囲実行委員会の意識をはるかに超えたところに実現したものであった。沖縄サミットが明らかにした平和と緊張緩和をめぐるこうしたさまざまな相反する対照が、今後の情勢のありようを鋭く提起しているといえよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

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