【書評】『お父さんの面積』
(猪熊弘子著、1998.3.25.発行、農山漁村文化協会、1600円)
家庭崩壊、孤立する家族、父親不在等々家族をめぐる諸問題が爆発し、対応策として、父親の復権や強い父親像が要請され、図に乗って封建主義的な「旧家族」が声高に語られている。しかし語られるべきは、明治以来形成強化されてきた家族制度の崩壊であり、その中での家族の関係の変化である。また対応とされるべきは、強い父親の復権ではなく、家族の一員として当り前の父親やその他の構成員のあり方なのである。
この意味で本書は、その父親像に焦点を合わせたユニークなレポートと言える。それ故その中味はさまざまな父親たちの試みや奮闘──例えば、「元祖『育児パパ』」、「父親だけのPTA」、「竹とんぼ」、「運転ボランティア」、「ログハウス」、「トンボ公園」、「森を育てる」といったふうに──であり、そのそれぞれがいわゆる「普通の」父親のイメージとは少し異なるものとして(実はこちらの方こそが本来の父親の姿ではないかとして)描かれている。そしてそこに据えられた視点は、その父親たちが担いでいる──実は家族の他のメンバーも同様に担いでいるのであるが──現代日本社会のあり方を考えさせる契機となっている。
本書から、その父親たちの言葉を引用してみよう。
(「おやじの会」で)「月一回の定例会でいろんな情報交換をするのですが、(略)・・・。学校を中心とした集まりなので、利害関係もないし、思ったことを好きなように話せる父親の居場所だと思うんです。おもしろおかしい話をしているかと思えば、まじめに子どもたちの健全教育の話で盛り上がることもあります。/こんな場、他にはまずないでしょうね」(「父親だけのPTA」)。
「日曜日には、こうして外で竹とんぼを作ることが多いんです。でも、これがなかったら仕事にもハリが出ないんですよ。休みの日には仕事とまったく関係のない遊びに熱中する。そうすることで仕事に打ち込むときの、めりはりがつくみたいなんです」(「竹とんぼ」)。
「ボランティアしていて、いろんな人と関わっているうちに、自分の幅が拡がっていくような気がするんです。それに地域の中に自分の居場所を見つけることができるのもいいんです。/もちろん僕にとっては仕事も大切。(略)仕事がちゃんとしていないと、ボランティアなんてできっこないんです。だけど、会社での僕の人生はあと二○年くらいしかないわけでしょう。そのあとは地域に関わって生きていかないといけないんですから、もっと積極的に地域に働きかけていくことも大切だと思うんです」(「運転ボランティア」)。
「参加した人には定年退職した人も多いんですが、会社人間が退職すると、案外地域で身の置き所がないものなんです。地域は会社での権力も地位も関係ない社会です。肩書きじゃなくて『私はこれができる』というのがその人の価値になります」(「人生の面積」)。
以上のさまざまな引用からも理解されるように、本の父親たちは、著者の言葉を借りれば、「自分の人生の面積」を広げていく努力をする中で自分のあり方を考えている人々である。そして著者は、これらの父親たちに共通しているのは、次のことではないかと問いかける。
「彼らがみな口にしていたのは『まず自分が楽しむこと』だっった。自分が楽しく生きることで、子どもたちは後からちゃんと親の姿を見てついてくるというのだ。私はこれが、豊かに育った世代の子育ての、いちばんのキーワードではないかと思う。/(略)楽しいことが仕事であれば、働く姿を見せればいい。趣味ならば一緒にやってみればいい。それが、これからの父親に(もちろん母親にも)いちばん求められるものなのではないだろうか」。
現代の親たちへの警告と励ましとして、この問いかけが発せられている。ここには、われわれ自身が身につまされて感じる問題が存在している。
しかしまた同時に、著者の視点には、楽観的に過ぎるものがあることも否定できないであろう。すなわちこのような父親たちの「自分の人生の面積」を広げる努力(「自分が楽しむこと」)は評価するとしても、その努力が社会的制度的に保障されていない現実の状況──長時間労働、過労死、リストラなどによって「自分が楽しむこと」すらできない状況──についての認識の不十分さがある。この意味で本書は、ユニークな側面から現代社会を映し出し、かなりの程度の説得性を持って語っているにもかかわらず、たんなるエピソード集に終ってしまうものとなる可能性もある。現代社会に対して斬り込んでいく著者自身の姿勢までもが今後の課題とされる書と言えよう。(R)
【出典】 アサート No.255 1999年2月20日