【投稿】公共事業に厳しい視点広がる
—吉野川・神戸空港・びわこ空港・藤前干潟—
財政再建構造改革の中でも公共事業の効率化が謳われ、また経済対策としての公共事業の投資効果にも疑問が投げかけられている。公共事業が環境破壊を生み出したり、さらに住民生活のためになるのかどうかという疑問も広がり、一般的な国民意識も公共事業全般に対して厳しくなってきている。こうした状況を反映して、環境問題とも関連しながら、最近の特徴的な動きを追ってみる。
徳島県の吉野川可動堰問題、愛知県の藤前干潟埋め立て問題、そして神戸空港間題である。
◎吉野川にも可動堰計画
「四国三郎」と呼ばれる自然豊かな吉野川を、巨大なコンクリートの構造物でさえぎる建設省の可動堰計画。吉野川河口堰計画は、現在の堰を取り壊し、一.ニキロ下流(河口から十三キロ地点)に長さ七百二十五メートルの可動堰を建設するもので、長良川河口堰の六百六十一メートルをしのぐ大プロジェクトである。江戸時代に石を積んで造られた現在の第十堰が洪水時に流れを妨げ、堰上流部の堤防に危険が生じる、というのが計画の根拠だ。この堰を撤去し、すぐ下流に巨大な上下開閉式の堰を約一千億円かけて建設するというもの。
以前から、計画はあったものの、長良川河口堰問題の反省から、建設省が95年に「ダム事業の中止を含めた見直し」を掲げて、審議委員会制度を設けた際、全国14の対象事業の一つになり、「吉野川第十堰建設事業審議委員会」が2年8ケ月の「審議」を経て、「計画は妥当」の報告をまとめたのが、昨年の6月であった。
市民団体側は、すでに94年8月「吉野川シンポジウム実行委貝会」(住民投票運動を担ったグループ)が「吉野川発 川フォーラム」を開催し、可動堰建設への疑問を訴え、この審議委員会に対しても、計画の必然性や環境への影響について、疑問を投げかけ、住民の意見の反映を訴えてきた。
当初、利水と治水が目的とされていたが、97年に徳島県は利水開発からの撤退を表明したため、治水すなわち洪水対策が唯一の目的となった。
◎住民の過半数が条例制定に賛成
審議委員会の「計画妥当」結論、また建設省が来年度に調査費四億円を概算要求すると言う状況の中で、市民団体側は、昨年10月、吉野川で「ライブ!吉野川メッセージ」を開催し、カヌーデモを行うとともに、事業の是非を問う「住民投票条例」の制定を徳島市に求める住民署名を提案し、11月から署名活動を開始した。
請求に必安な署名の数は有権者の五十分の一(約四千二百人)だが、運動側は有権者の三分の一にあたる約七万人分を目標にした。三分の一を越えると、市議会のリコールも可能な数字となるからである。最終的に署名は、短期間に有権者の49%に相当する10万1500名の署名が集まり、住民の関心の高さを示すことになった。
これに対し、審議委員だった円藤寿穂・徳島県知事は「計画の判断には専門知識が必要で、住民投票はそぐわない」とし、小池正勝・徳島市長も「市議会は計画推進の意見書を可決しており、条例案を議会に諮る時は、住民投票は必要ないと意見を付けるつもりだ」となどと、市民の関心の高さに無神経な対応。「推進派」も動き出した。
そして市民の過半数にも達する条例制定要求に対して、2月8日市議会は制定要求を否決してしまう。
こうした事態を前に、運動側は統一地方選挙で徳島市議会に条例制定賛成派議員をさらに拡大する運動など新たな運動に取り組んでいる。
◎建設省、少し方針変更(?)
そっけない市議会の対応に対して、2月9日日経新聞の主張に「吉野川可動堰は凍結を」が掲載された。
市議会の否決には「高度な技術判断を要する計画に二者択一一はなじまない」「行政は住民の命と生活を守る責務がある」という理由が挙げられたが、『だが、高度な技術であればこそ、住民には丁寧な説明が必要だ』、『堤防の補強などの市民グループの代替案に建設省はきちんと応えず、可動堰を誘導する資料だけ示しても市民の納得は得られない』と住民の意思表示を軽視する姿勢を批判している。また、建設省が『着工を前提とした話し合いを続けても住民の不信感は消えない。まず計画を凍結し、そのうえで住民の意見を聞くべきだ』と厳しい主張だ。
こうした「住民過半数の署名」の声は、建設省を動かしつつある。朝日新聞が伝えるところでは、建設省は「可動堰が最有力案」との考えは捨てていないが、3~5年のアセスメント期間を持って住民と話し合いを行うとして、事実上の着工延期を判断したという。
長良川河口堰の経験から言えば、建設省と住民の新しいステージが始まったというところで、油断はできないが。
◎住民投票の定着はできないのか
私自身も徳島出身ということで、吉野川可動堰問題については、すでに5年前から注目をしてきた。子供の頃、親父とともに吉野川流域の親戚の家でご馳走になったことがある吉野川の鮎の味は今でも覚えている。何匹食べたか分からない程こ馳走になった。それは、母なる吉野川の賜物であった。吉野川は、剣山とともに徳島県の象徴でもある。今回の吉野川可動堰の問題に対しての徳島市民の行動は、実は私自身の故郷の問題でもあり、昨年10月のカヌーデモに私も参加ける予定が、果せなかったという意味でも、多いに拍手を送りたいと思っているわけだ。「国が決めたことだから間違いはない」と、当時の自社さ政権の時代、野坂建設人臣が「長良川河口堰の運用決定」を行った年でもあり、その時代に「ダム事業の見直し審議委員会」の設置も決まったわけで、結局、官僚と御用学者のみで、「建設妥当」と結論したダム見直し審議委員会に、住艮が「ノー」と、
断じた意味は大きい。
すでに述べたように、このダム計画には「利水」事業のメドはない。工業用水にしても、生活用水にしても、高度成長時代の水需要はもはや存在しない。
唯一の理由は、150年に一度の大洪水のため、というわけだ。150年に一度のために、吉野川の生態系を破壊していいのか、他に方法はないのか、という市民団体のささやかな主張が、建設省・徳島県の事業優先姿勢に待ったを掛けた、というわけである。
さて、その運動手法である。市民連動は住民投票を求めた。過去河川事業をめぐる住民投票条例制定の運動は、三つあるが、いずれも議会で否決されている。そもそも地元で行われる事業に対して、住民の意見が反映されない、というのでは、地方自治など存在しない。直接請求、それも住民・有権者の過半数が疑問を持っている事業を、お国が強行するという構造では、何が地方分権だ、ということであろう。
ご承知のように、四国は、まだ保守王国でもある。後藤川VS三木戟争も記憶に新しい。その保守王国でさえ、住民は、地元の環境・雁史・風土をも無視する計画には、Noと主張した、この変化を我々は評価しなければならない。
◎神戸空港、びわこ空港、藤前干潟
住民投票という意味では、神戸空港建設をめぐる住民投票条例制定連動が、昨年取り組まれたが、吉野川と同様に議会で否決されている。吉野川の市民団体は、神戸の署名運動にかなり学んだようで、署名を引き受ける人(受任者)を、8千人確保して、署名を集めたという。同様の収組みは、滋賀県のびわこ空港に反対するグループにも、その「ノウ・ハウ」は引き継がれている。
大型公共事業で景気浮揚、という従来の構図は変わらない。地方財政の空前の危機と言われる中でも、こうした大型公共事業には、今だメスは入っておらず、住民意識の変化に対して行政の側の認識は極めて薄い。ゼネコン・土建のみ潤う環境は破壊される、という構図では平行線を辿るしかないのである。
愛知の藤前干潟の場合は、少し事業が違う。この計画は最近白紙になった。野鳥や貴重な生き物の生息地である、干潟や湖沼の保護は、世界的に注目されている。愛知県が藤前干潟を埋め立てて、処分場を造るという計画に対しては、環境庁も疑問を投げかけていたし、環境団体も反対運動を行ってきた。それが、現職引退に伴う知事選挙(2月7日投票)を前にして、計画が白紙となった。愛知県では「愛知万博」が、貴重な森林を破壊して計画されるという中、共産党候補などが環境破壊の「愛知万博」「藤前干潟埋め立て」計画反対を掲げて、相乗り候補に批判を展開してきた。その過程で、「藤前・断念」ということになった、と聞いている。ここでも、環境と公共事業が大きく問われたことは間違いがない。
そうした意味で、大阪で「国際ダム反対行動DAY」
の取り組みが進んでいることを報告して、この稿を閉じたい。(1999-02-15佐野秀夫)
【出典】 アサート No.255 1999年2月20日