【コラム】ひとりごと–東京・大阪の知事選挙に思うこと
統一地方選挙が終わった。今の国民の政治認識や当面の政局を把握するに一つの機会であると思ったが、しかし、その結果は、経済の低調と同様に、もう一つ、メリハリに欠けた結果だったように思える.少なくとも「日本の民主運動は前進している」とはとても言えないものではなかった。○その中で筆者が感じたのは、むしろファシズムへの危機、いや、それがたいそうと言われるのなら、右への旋回ムードである.その一つが東京都知事選挙の石原氏の当選.彼は言うまでもなく、東京都の抱える行政諸問題について、何ら具体的な政策提起をせず、どちらかといえば国政レベルの、また中国への挑戦的言動など、右翼的イデオロギッシュなアジテーションに終始し、しかし長期不況を反映した何となくある民衆の不満を背景に「何か、大胆に行動する」イメージに仕立て上げ、それが票に結び付けたのではないか.民衆をある一つの方向に引き付けようとするとき、それが具体的なものではなく、抽象的・センセーショナルなものであることをみたとき、いささか危険なものを感じざるをえない。○大阪の知事選挙でも然りである。横山府政は、いかに財政状況が悪いとはいえ、特段、この4年間、府民福祉の向上に成果を上げたとは御世辞にも言えない。いや、むしろ4年間の府政を見れば、関西新空港の二期工事の推進や大して需要の見込めない国際会議場の建設、信用組合等への府費投入など、全てが全て、財政再建へに傾注しているとも思えない。そして選挙演説を聞いていると「ソ連生まれの共産府政か、庶民生まれの横山府政か」と前近代的な反共プロパガンダの選挙宣伝であった。それでも票を多く集めたのは、これもまた抽象的な大阪的人気であったのではないか。○おりしも、これを執筆している日は、5月3日の憲法記念日。しかし新聞の見出しを見て驚いた。日の丸の法制化に賛成しているのは77%、君が代でさえ61%が賛成しているという。ほんの十数年前なら考えられないこと。いかに国民の意識が右傾化していることか。また新ガイドラインの国会審議では、民主党の小手先の修正案を受け入れたとはいえ、然したる反対運動もなく、あっさり参議院に送られてしまった。自称「民主派」と唱える政治家は多くいるだろうが、実際のところ何をしているのか。あまり原則的なことばかり言っていても「票にならない、政治家としての立場を危うくする」とでも思っているのか、詭弁を労してあれやこれやと現実主義を全面に出して正当化しているのだろうが。今更ながら「我、連帯を求めて孤立を恐れず」が気骨のある言葉に聞こえてくる。○少々、ファシズムへの危機感を感情的に述べ立てた感もしないでもないが、ただ、その素地・要素だけは備わりつつあるのではないかと言う思いだけは、解っていただきたい。(民)
【出典】 アサート No.258 1999年5月22日