【投稿】大都市直撃地震の恐怖と教訓 阪神大震災と「大地動乱の時代」
<「午前5時46分」>
1月17日、その日は上下左右の強烈な、叩きつけるような激しい振動によって突如目を覚まされた。今何が起ころうとしているのか、これがさらにどうなるのか、今まで経験したこともない、立っても座ってもいられない、中腰で右往左往し、家族を呼び合い、ただおろおろし、これは大災害になるのではないか、火事が発生しているのではないかという恐怖の戦慄におののくばかりであった。振り返ってみれば、その後の余震に未だに極度に敏感になっているとはいえ、当初のその時間は10秒ほどだったのである。
大阪でこのような状態であったのだから、震源地の淡路島、神戸、西宮、芦屋、宝塚、尼崎地域では事態はもっと破壊的であり、悲劇的であった。神戸の現地に足を踏み入れると、庶民の家屋やアパート群は軒並みといっていいほど押しつぶされ、ガレキの山に変貌し、残っていてもほとんど瓦屋根はずり落ち、1階部分はへしゃげ、傾斜し、あるいは亀裂と歪みを露わにしている。狭い路地の電柱は折れ曲がり、電線が垂れ下がり、火災の発生した地区では見るも無残な姿に一変していた。巨大なビルや工場も相当な被害を受けているが、あらゆる階層、地区、住民の弱い脆弱な部分に、弱者に被害が集中している。ビルの谷間で全壊していたある小さな家にたむけられていた花束には「千穂ちゃん、たくさんの思い出をありがとう」と記されてあった。
<「被害広げた開発行政」>
神戸に住んで17年、その開発志向の異様さを警告し、地元新聞にも書いてきた早川和男・神戸大学教授(建築学)は、「被害広げた開発行政」と題して、「神戸市は株式会社といわれるほど商売にたけ、‥山を崩し、海を埋めて人工島を作り、売った。‥それに伴う山や海や生活環境の破壊には目を向けない。住民の反対運動や裁判闘争を、行政は「反対のための反対」などと無視してきた。行政が巨大開発とイベントに明け暮れていれば、市民の安全や生活の保障は後回しにされる。行政の最大の責務は市民が安全で安心して住み続けられる住宅と町をつくることである。それがこの町では切り捨てられ、戦災と見まがう人命の損失と焼け野原につながったのではないか。経済効率中心の都市開発が被害を甚大にしたといわざるをえない。‥・大地震でも倒れない家、延焼しにくく、消火活動の容易な術の構造、電気・ガス・水道などのライフラインの頑丈な共同溝、こういう町づくりこそが本当の震災対策であり、福祉の町づくりである」と書いておられる(1/21朝
日)。今最も必要な核心をついていると言えよう。
今になって兵痺県内には多くの活断層が走っていて、かなり大きな地震の可能性が10年前から指摘されていたにもかかわらず、神戸市が防災計画上の想定被害を、意図的に低く抑えて「震度5」にしていたとか、「神戸市に地震はない。うまくやってくれ‥」などと
いう指示をしていた、活断層の分布地図を隠していたなどと暴露され、報道されているが、ついこの前まではマスコミあげて神戸市の企業精神を生かした自治体経営をもてはやしていたのである。こうしたことは多少の差はあれ、どこの大都市圏でも共通の姿勢であり、問題であった。しかし今回の阪神大震災は、自然のエネルギーを見くびり、最新の地震学の知見や警告をも無視してきた、人間の騎り高ぶった傲慢な姿勢を一撃のもとに叩きのめしたといえよう。ここから深刻な反省と教訓を得ないならば、そしてそれを生かさないならば、さらに巨大な悲劇が待ちかまえていることは確実であろう。
<1998年4月±3.1>
昨年8月に発行された岩波新書『大地動乱の時代一地震学者は宰告する-』(建設省建築研究所国際地震工学部応用地実学室長・石橋克彦著)は、1月17日以降あっというまに姿を消してしまい、増刷が追い付かないほどのベストセラーになっているという。この警
告は、主として関東首都圏の巨大地震について述べているのであるが、今回の阪神大震災に照らしてみて実に的確であり、「そのとき何がおこるか」という地震災害の共通項にもとづいた想定と現実の一致には驚かされる。
著者はマジックナンバー70年という地震発生の周期を、過去の詳細なデータと最近の著しい知見の発展をもとに検証し、西相模湾断裂の大規模な震源断層運動を、1560年から確認されている5回の年月をプロットするとほとんど一直線上に並び、繰り返しの平均年数が約73年でバラツキが非常に小さく(標準偏差0.9年)、地震や火山噴火といった現象としては驚くほど規則正しいことを明らかにしながら、前回1923年7月からすると、次回を1998年4月±3.1にプロットされるグラフを呈示する。その場合に考えられる最悪のシナリオを次のように述べている。
「西相模湾断裂の最後の破壊(1923年)から7,80年経過する今世紀未から来世紀初めにM7クラスの小田原地震(神奈川県西部地震)が発生する。目下警戒態勢が取られているM8クラスの東海地震がその時までに発生しなければ、それが小田原地震に引き金をひかれて数年以内に発生する。その結果首都圏直下が大地震活動期に入り、M7クラスの大地震が何回か起こる。この活動期は、相模トラフで次の関東巨大地震が発生するまで長期間続く」。
そしてこのようなシナリオが予想時期に発生しないとしても、21世紀半ばまでにほほ確実に東海・南海巨大地震が同時または連続して起こり、その場合には宝永や安政に匹敵する最大規模と予想され、過去にはみられなかった長大構造物の損壊や地盤災害が生じ、さらに中部・西南日本の広範囲の山地で地盤災害が顕在化するだろう、と述べ、「地震の災厄は、台風などと違って、進路が変わったり消滅したりすることはない。プレートが動いている限り、ひずみエネルギーの蓄積は続くから、先送りされればされるほど事態は悪化するのである」と強調する。
<「思い切った地方分権を!」>
石橋氏は、「敗戦後の復興期とそれに続く高度経済成長--一極集中の時期が関東地方の地震活動静穏期にあたり、しかも人類史上かつてない技術革新の時代に一致したことは、過去と決定的に違う要因である。その間に東京圏は、実際の大地震に一度も試されることなく野放図に肥大・複雑化して、本質的に地震に弱い体質になってしまった」ことを指摘し、しばしば「大正関東地震にも耐えられる」という言葉を開くが、「これは無責任な言い方である」と断言する。問題なのは、現代日本社会が、このような技術の限界をわきまえず、大自然に対する畏怖を喪失して、経済至上主義で節度のない大規模開発を推し進めていることであろう、と述べ、「関東大地震にも耐えられる」という言葉の蔭で、実は、「超高層ビルや先端的な都市基盤施設が密集する東京圏は、けっして大地震に万全だから建設されているわけではない。むしろ、無数の市民をいやおうなく巻き込んで大地震による耐震テストを待っている、壮大な実験場というべきである」と、悲鳴にも似た警告を発している。その警告のさなかに共通の特徴を持つ大都市圏である阪神地方に大震災が生じたのである。この警告は、さらに重大な危惧を持って原子力発電所の安全性についても発せられなければならない。人類全体を脅かす、地球的規模の危険性を有していることが現実のものとなってきているといえよう。
氏は、事態を切迫する時間との競争であるととらえ、「21世紀に向けて、私連日本人も経済至上主義を改め、農林業・沿岸漁業を復権し、地球の一部としての日本列島の環境と自然力の回復をはかり、産業・人口・情報・文化的活動などが分散した多様で永続的・安定的な国土と社会を創るべきである」と訴え、そのためには「日本の国土と社会を望ましい姿に変えるためには、思い切った「地方分権」を実現するしかない」と主張する。それは地震学者として、地震工学がいかに進歩しても、短周期から長周期までの激烈な強振動と地殻の絶対的な隆起・沈降に抗して、超過杏都市の地盤と構造物と地域全体を耐震的・免震的にすることは不可能であるという確信からの繰言でもある。
<住民参加の地方分権>
今回の大震災を機にここぞとばかり、「危機管理」や「非常事態法制」、「有事立法」の必要性が声高に語られ、自衛隊の活用に重点がおかれている。しかし事態の進行が明らかにしたことは、東京一極集中の中央集権制の弊害であり、それにもとづいたタテ割り行政の弱点が客室されたことである。災害にかかわる行政だけでも道路=建設省、鉄道など輸送機関=運輸省、車両規制=警察庁、消防=自治省、災害出動=防衛庁、電気・ガス=通産省、水道=厚生省、電話=郵政省など、受け持ち範囲はバラバラであり、それらを国家レベルで調整・統括すべき国土庁も寄り合い所帯で、協議機関にしか過ぎず、実行力を持たをい。自衛隊自身が初動からバラバラに行動し、そのもたつきは上に行けば行くほど事態の掌握カを欠いていたことが暴露されている。そもそも自衛隊は冷戦時代の軍事対決を理由に肥大化してきたものであり、災害出動の組織や装備を目的に訓練されてきたものではないし、災害出動はいわば余技にしか過ぎないのである。その余技であっても重要な役割をはたしたことからすれば、この際、自衛隊の組織や装備を根本的に見直し、災害復旧を専門とする「緊急援助隊」に質的に転換させることが必要であるといえようが、基本はあくまでも自治体を基礎においた消防部隊の質的な強化とそれを全国的にもそして今では国際的にも活用できる態勢の構築であろう。
さらに重視すべきことは、政府のもたつきや行政の出遅れに比べて、被災地住民自身のすばやい協力体制やモラルの高い自治活動、在日外国人を含めた連帯活動、救助・消火活動、大量のボランティアの献身的な活動、そして数々の国際的支援などの全面的で積極的な評価こそが、今後の防災体制、都市改造に生かされなければならないことであろう。多様な形態での市民参加、住民参加の地方分権こそが問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.207 1995年2月15日