【投稿】今 労働組合に求められているもの
連合が結成されて5年ということで、一定の中間的総括をする必要があると考えています。今日、政局が非常に流動的な中で、労働運動について中間的に総括していくと言う機運がもう一つ足らないわけですが、しかし、自治労・日教組なりの統一の過程で組織の分裂を経験してきた単産等では一定の節目認識を持っているところです。
以下、1のところでは、連合他の組合運動の現状について、2では私自身の私見ということでご理解をお願いします。
Ⅰ、労働戦線の再編成で何が変わったのか。
1連合
(1)89年の連合統一以降、連合労働運動は前進したのか。
①賃金闘争--連合結成の時期はバブル景気の時期だったが、「やがて来る不況のために賃上げには応えられない」との経営側の賃金抑制姿勢を打破できていない。連合結成時には、統一に寄って賃金闘争も力を増すんだ、という論理で期待もしたが。
その後の平成不況では、「賃上げか、雇用か」との恫喝のもと、結果的にリストラが進められ、今春闘賃上げ相場も3%前後と戦後最低。賃上げも雇用も抑制されている。
②制度・政策闘争--年金改正の論議では、厚生省(大内大臣)から出された改革案が自民党政権下の素案がベースであったこと、官公労と民間の立場の違い、などもあり、年金審議会から65才までの支給繰り延べ問題で連合側委員が退席するまで至ったが、十分に戦えたとは言い難い。減税では、昨年までは減税列車で中央闘争を行うなど、積極的に取り組んだが、特に今年は、減税と消費税の関連で、制度減税ではなく、政策減税で落ち着いた。結果的には連合のイニシアティブを発揮する闘争展開とはならなかった。
高齢社会対策や教育問題など、さまざまな制度政策課題があるなかで、連合としては労働政策については重要視することが大切という私見を持っている。日経連や財界団体が経済政策に口をはさむように、連合が労働政策にきちっとした政策提起をすることが大切です。その意味では、総評・同盟の時代よりは、労働政策については、総合的な政策を連合は提起してきたと評価しています。育児休業法、時短促進法などで、連合が労働側の意見を政策に反映させ大きな役割を果たした。今後、労働基準法の改正やパート労働者の問題、解雇制限法など制度・政策では連合が労働者の利益を代表する政策をより明確に打ち出すべきだと思います。
③政界再編成への役割ーー「自民党政権に替わる政治勢力の結集」をスローガンに政界再編成に一定の役割を果たした。細川政権維持にも大きな役割を持った。現時点では、社会党の政権離脱ということはあるにせよ、旧総評・同盟、社会党・民社党の股裂き状態と言うのは連合的にもやって行けない状態であり、政界再編第2幕に向け、「社民リベラルの結集」には、黒子の役割を連合に対して期待する。
(2)総括的評価
①本来の労働組合としての役割においては、期待はずれの感がある(賃金・労働条件・雇用など)。「力と政策」を標ぼうして結成さえた連合統一であったが、数の統一だけでは、十分な力を発揮することができなかった。その原因は、全労連が批判するように労使協調的な統一であったから、前進しなかったのではない。「数の統一」に問題があるのではなく、統一以前からある労働組合の弱体的な体質に問題があった。春闘に見られるように余りにも、管理化・システム化された労働組合運動の実態がある。連合統一後も旧来の大産別の実態があり、連合統一以後もそうした体質は変わっていないからである。
また、「『安定的労使関係』と『自立した労働組合』」とは何かを再考すべきではないか。
いかに労働組合の団結と交渉力、闘争力を常に維持・背景にしながら、労使関係におけるモラル・経営参画意識を担保するかが問われている。
②制度・政策要求では、全般的なヴィジョンを打ち出すには、まだまだ未熟。「数」の権威で背伸びをし過ぎている。しかし、将来の社民リベラル政権をも展望した粘り強い論議は必要。社民リベラル政権ができた時点を想定すれば、連合がしっかりした政策の提言に責任をもたなければならない。しかし、旧総評・同盟、民間と官公労、大企業労組と中小企業労組などの間に意見の相違があることも歴然とした事実であり、大綱的な一致を追求するための粘り強い論議が必要。高い政策能力をつけるためには、この克服は不可欠ではないか。労働政策では、まとまった政策を積極的に打ち出すべきである。
③政治では「数」の権威で政界再編成に大きなインパクトを与えてきたことは事実。総評=社会党、同盟=民社党というブロック意識の脱却についても、一定前進している。しかし、山岸会長の政治的発言などには連合内で十分な議論がされていないこともあり、反発やとまどいも起こっている。とりわけ旧総評では、反戦・平和・人権課題を連合に集約できず、平和人権センターで、ということになっているが、その場も社会党の基本政策の見直しの論議などの方向にある。労働組合の動員型の平和・人権運動には限界があり、逆に市民型への脱皮について議論を進めるべきではないか。
今年のメーデーは、一方で社会党の政権離脱という事態の中でも、連合の中では、政界の動きを連合組織の亀裂にさせてはならないという、組織内の気遣いもあって連合組織の健全性を感じる。
山岸会長の目立った動きのような、政治のパワーゲームの中での黒子的な役割ではなく、労働団体の目的に徹した、労働者に取っての政権・政策を主体的に求める姿勢を堅持して、現実の選択肢の論議・合意を求めるための努力こそ連合の役割だと考える。
2、全労連
(1)賃金労働条件では、スローガン・要求は勇ましいが、結局は全体の労使の力関係の枠の枠に限定されている。もちろん、教条的な姿勢で「闘う労働組合」と言っているが、争議件数などを見ても、特に全労連が多いというデータはない。
(2)制度・政策、政治闘争では、明らかに共産党の受け売りでしかない。
3全労協・無所属
賃金労働条件闘争では、全体として少ない争議組合の中では、比較的集中している。戦闘性は残しつつも、結果的には抑制攻撃を打破できていない。
一方で、地域合同労組の面では、未組織労働者が増大している中で活発な動きがある。総評東南ユニオン、北摂ユニオン、泉州ユニオンなど。全国的も同様の動きがあり、昨年、全国交流会が開催されています。労働組合の組織状況については、組合数、組合員数も実は増えているんです。ところがそれを上回る雇用労働者の増があるので、全体として組織率は下がるということです。サービス産業なり、労働移動が頻繁なところで、組織化が進んでいないため、一人でも入れる合同労組が「駆け込み寺」としてある。連合大阪もパート労組=ハートフルユニオンを昨年結成しています。これらの地域合同労組のまとまった連携の動きが顕著になれば、新たな労働運動として今後注目すべきものである。
Ⅱ、労働運動に問われているもの
以下に述べるのは、あくまでも私個人の私見であり、自らの労組の運営を見て、切実に感じるところでして、うちの組合はそうでもない、と言う点もあるかも知れません。
1、求められる労働組合の自己改革
(1)組合運営
①親分政治からの脱却=急がれる世代交替
組合運営について、いつまでも古い幹部の意見に規定される場合が多いわけで、世代交替が求められるとともに、論議できる執行部の形成が必要だと思います。ひとに改革・改革と主張する組合自身は実は非常に自己改革がへたであるということは事実ではないでしょうか。
②ニーズの変化への対応=集団型から個別・家族型へ
現在は、個人や家族を中心とした運動提起が必要であって、全体からものを見た発想よりも、個人から積み上げて、参加型の運動の提起が必要だと思います。
③互助機能の強化=勝ち取るだけでなく、労働者相互扶助の精神
賃金闘争もなかなか、困難な状況の下で、労働者自主福祉の活動は、重要な組合活動の分野と位置づけることが必要です。
④形式的な組合民主主義でなく、実質的な組合民主主義を
機関決定がすべてではなく、組合員一人ひとりに問いかける論議が常に必要です。結論先に有りきの場合が多いわけです。良きも悪しきも判断するのは組合員であるというセンスが大切です。
⑤運営から会計執行までガラス張りで。公開の原則が大切ではないか。労働組合にも腐敗は起こります。役員の行動を組合員は良く見ているわけで、役員が思う以上に潔癖な感覚であることを忘れてはならないと思います。
(2)運動方針について
①最近、大会の運動方針などをコンパクトなものにする傾向があります。しかし、それが単なる見栄えを狙っているだけ、という場合が多いわけです。組合員が本当に願っていることを的確に表現することが大切です。
②教条的な「・・・でなければならない」ではなく、「これならできる」論で、組合員と共に着実に実行していくスタンスが必要ではないかと思います。
★総じて、組合員が望む組合イメージは、「強い組合」より「やさしさの感じる組合」になっているのではないか。吉村先生は「労働組合は労働力の一括販売組織」という整理をされましたが、私は「労働組合とは使用者に対して、労働力を集団的に販売する組織」と言わせていただきたい。その集団性を担保し、維持発展させるためには、「やさしさ」を通じた「団結の努力」が必要であると考えます。
2、連合統一は果たされたが、組合交流は図られたか
連合は結成されて5年経ちましたが、個々の組合員が連合の組合員であると認識できる行動があったか、なかったのではないか、これが実感です。これは連合統一が幹部統一であったからであります。今からでも遅くはないわけで、幹部統一から現場レベルでの統一への努力が必要だと思います。連合の地域運動についても、小選挙区制に対応した地域組織の再編問題で議論が盛んですが、地域運動は選挙闘争だけではないわけです。青年・女性レベルの交流などできるところから、現場レベルの交流からはじめることが大切ではないか。こうしたことの積み上げで結局、連合春闘といっても、産別自決だということで、従来の春闘パターンが路襲されている現実に対して、企業内組合意識からの脱却への積み重ねが必要ではないかと思っています。(94・06・12大阪U)
*「政界再編と社会党」「今労働組合に問われているもの」の2文書は、6月上旬に大阪市内で行われた会議の中での報告を、アサート編集委員会の責任において文章化したものです)
【出典】 アサート No.199 1994年6月15日