【投稿】「令和」祝賀・衆参同日選挙への目論み 統一戦線論(60)

【投稿】「令和」祝賀・衆参同日選挙への目論み 統一戦線論(60)
アサート No.498 2019年5月

<<「どこまでの減で食い止めるか」>>
衆参同日選挙の可能性が意図的に流されている。安倍首相を先頭に政治家のウソ、暴言、失言が日常茶飯事のごとくまかり通り、責任を取るどころか開き直り、対抗すべき野党はバラバラ、結束して闘う姿がなかなか見えてこない。それに比例して庶民の政治不信は増大する一方である。その最中の政権とNHKや大手メディアが一体となった天皇代替わり・「令和」祝賀ムードの演出に、天皇制に一貫して反対してきたはずの共産党までもが新天皇即位に「祝意」を表明する事態をもたらした。そして内閣支持率も上昇したこの効果冷めやらぬうちに、一気に衆参同日選挙に持ち込もうというわけである。解散風を吹かせ、野党の内閣不信任案提出に乗じて政権の失態・責任を棚上げにした「令和」祝賀・同日選挙を目論んでいるのである。安倍首相はこの際、憲法9条改憲の「早期実現」を自民党の選挙公約に明記する意図をあからさまにしている。そして消費税増税先送りの圧勝シナリオも浮上している。
国民民主党の小沢一郎衆院議員は5/14のBS番組で、今夏に衆参同日選挙が行われた場合、「立憲民主党も壊滅的になる。このままの状況なら野党が立ち直れないくらいの壊滅的敗北になる」との見方を示している。小沢氏は「ここで野党が壊滅的状況になったら、自民党に勝てるのは半永久的にない」と指摘。野党統一名簿の作成を含め、野党結集へ立憲の枝野幸男代表に決断を促したわけである。
しかし事態はそう単純ではない。自民党の甘利明選対委員長は5/16のテレビ番組収録で、前回2016年参院選後に27年ぶりに回復した参院単独過半数を維持することは「不可能だ」と語っている。今夏の参院選は「どこまでの(議席)減で食い止めるかの選挙だ。6年前と状況が違い、あのとき以上の状況は作れない」と述べ、勝敗ラインについては、自民単独過半数の維持・獲得ではなく、「自公で安定多数」と強調したのである。実際、自民の単独過半数維持には67議席以上を獲得するのが条件となる。今年の定数は3増で245となり、単独過半数を維持するには123議席必要。現在の自民党の非改選議員(2016年参院選当選)は56議席。123-56=67なのである。2013年参院選は自民党が民主党から政権を奪還した翌年に行われ、自民党が65議席獲得したが、甘利氏は「これ以上、取れないぐらいの数字だ。安倍内閣ができて半年後の選挙で、民主党政権では日本がどうにもならないと、自民公認というだけで当選した」と指摘し、それを上回る67議席は「不可能」、「不謹慎な言い方だが、どこまでの議席減で食い止めるかだ」と語り、改選される124議席の過半数=63議席の確保も「至難の業」と語っている。
そこで自民党は、直面する参院選に向けて、4月の統一地方選の結果も踏まえ、全国32の改選1人区のうち、苦戦が予想される16選挙区を激戦区に指定し、てこ入れを図っている。選挙資金を優先的に割り振るほか、応援態勢にも力を入れる。

<<野党「一本化」なら勝機>>
この自民党指定の参院1人区16激戦区について、5/15付・東京新聞は「野党『一本化』なら勝機」と題して、直近の国政選挙である2017年衆院選比例代表の得票で、自公両党の合計と、立民、旧希望、共産、社民の四党の合計をそれぞれ比較、分析している。その結果、野党が前回16年参院選のように、すべての一人区で候補者を一本化した場合、自民党が指定した激戦区の結果はどうなるのか。10選挙区で野党の合計が自公を上回り、ほかの5選挙区でも自公に対し9割以上の得票となっている。
野党が上回っているのは、岩手、宮城、山形、福島、山梨、新潟、長野、三重、大分、沖縄 の10選挙区である。野党が9割以上と肉薄しているのは、秋田、滋賀、徳島・高知、愛媛、佐賀 の5選挙区である。
ただ、これまでに野党4党が事実上、一本化で合意したのは愛媛、熊本、沖縄、新潟の4選挙区のみ。いずれもこの激戦区以外である。
5/12、共産党は第6回中央委員会総会を開き、志位和夫委員長は幹部会報告で、夏の参院選改選1人区での野党候補一本化について「互いに譲るべきは譲り、一方的な対応を求めることはしない」と柔軟な姿勢に転換することを明らかにした。これまで共産党が自党の候補者を降ろす条件としていた「相互支援・相互推薦」には言及せず、柔軟な姿勢を示したのである。候補者一本化作業が、3年前の参院選の同時期に比べてさえ大幅に遅れている現実に押された、条件付き共闘路線が破綻したことは明らかである。
共産党が路線を転換せざるを得なかった直近の有権者の手厳しい審判は、4/21投開票の大阪12区補選の結果であったと言えよう。「退路を断って」無所属で立候補し、形式上の「野党統一候補」を目指し、各野党や市民連合幹部の支援も受けたはずであったが、結果は惨憺たるものであった。過去の同選挙区での共産党独自候補の得票数(33263票、得票率18.6%)をさえ大幅に下回り、共産党としては最低票数を記録(14,027票、得票率 8.9%)、最下位で、供託金没収という事態になってしまったのである。そして「退路を断った」はずの宮本氏は、5/8、共産党が発表した次期衆院選の比例代表予定候補者19人の中に何の弁明もなく入っている。さもありなんであるが、退路など断っていなかったのである。有権者は見抜いていたとも言えよう。
付け焼刃的で、自己都合の自党中心主義的な共闘路線では、共産党支持層でさえ突き放してしまうという最悪の事態が明示されたのである。
ところが、先の志位委員長の幹部会報告は「宮本岳志前衆院議員が無所属で立候補し、市民と野党の統一候補として奮闘しました。宮本岳志候補が及ばなかったのは残念ですが、このたたかいは市民と野党の共闘の今後の発展にとって大きな財産をつくりました。自由党、立憲民主党、国民民主党の代表をはじめ、6野党・会派から49人もの国会議員や元議員が応援に入り、大阪と全国から1千人を超えるボランティアのみなさんが肩をならべてたたかいました。」と述べているが、それにもかかわらず大敗した原因については一言も述べることができず、反省の言葉すらない。指導部失格を自ら公言しているようなものである。
こうした事態を招いた自らの責任を問わない共産党指導部、異論や批判が一切表明されないような党内民主主義を喪失した現状が、事態を糊塗し、路線転換に踏み切らざるを得なくさせたとも言えよう。
遅きに失したとはいえ、この路線転換の結果、その後、候補者一本化に大筋合意したのが23選挙区、残る5選挙区の調整が急がれている。1人区に限らず、複数区でも野党統一候補を推進することが強く求められている。とりあえずの前進とも言えよう。

<<「令和」祝賀路線への迎合>>
しかしこの路線転換にはさらに余計な路線転換まで付随していた。安倍政権の「令和」祝賀路線への同調である。
5/1、共産党の志位委員長は、「新天皇の即位に祝意を表します。象徴天皇として、新天皇が日本国憲法の精神を尊重し擁護することを期待します」との談話を発表したのである。さらに5/9の記者会見での一問一答では、「天皇の制度というのは憲法上の制度です。この制度に基づいて新しい方が天皇に即位したのですから、祝意を示すことは当然だと考えています。私も談話で祝意を述べました。国会としても祝意を示すことは当然だと考えます。」
ところが共産党はほんの2か月余り前の今年の2/24に政府主催で行われた「天皇在位30年式典」には欠席しており、その際、欠席の理由として「日本共産党は『式典の儀礼をみると、天皇への過度な祝意と賛美を行うもので、国民主権とは相いれない』として、欠席の態度をとりました」(2/25付「しんぶん赤旗」)と発表された。2/25以降にわざわざ「祝意」を表明しなければならないような、現在の象徴天皇制に何らかの変化があったというのか。今回の新天皇の即位も、その「民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない」象徴天皇制の継続にほかならない。それがどうして「祝意」の対象になるのか。憲法の主権在民の原則に反し、人間差別の根源でもある天皇制への迎合路線が明示されたのである。
今回の新天皇の即位にあたって、さらに指摘されなければならないのは、新天皇が就任にあたって、その最初の行事が憲法に従えば「天皇の憲法遵守宣誓式」であるべきはずが、なんと戦前と同様の臣民を見下した「即位後朝見の儀」なる儀式が行われたことである。そこで新天皇は「常に国民を思い,国民に寄り添いながら」と、主権在民の原則と相反する上から目線の「お言葉」を述べ、これに応えて、その「臣民」の代表たる安倍首相が「国民代表の辞」を奉呈し、新天皇の「令和」という新しい「御代」と持ち上げたことである。ただここで失笑を禁じ得ないのは、安倍首相が「国民代表の辞」の末尾で「天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」と言ってしまった。「願って已まない」の「やむ」をまたもや一瞬戸惑い、「願っていません」と言ってしまったのであろう、右翼団体から抗議されている。これは失言に過ぎないが、さらに重大なのは、前天皇が即位の際明言した「皆さんとともに日本国憲法を守り」という一節が完全に省かれ、「憲法にのっとり」に置き換えられてしまったことである。明らかに安倍首相による新天皇の取り込みと官邸の圧力 が介在したのであろう。
そして問題なのは、こうした安倍政権の対応に同調するかのように、共産党は先の志位委員長談話で、「日本国憲法の厳守を求める」のではなく「日本国憲法の精神を尊重し擁護することを期待します」という表現に後退させたことである。
こうした路線転換は、2016年1月の通常国会で、それまで同調してこなかった天皇の国会開会式出席・「おことば」を容認し、結党以来初めて志位委員長をはじめ共産党議員が出席し、天皇に頭を下げ、2017年4月1日からは機関紙「しんぶん赤旗」に元号表記を復活させた、そして今回「全党一致の代替わり儀式」を進んで提案、5/9には衆議院本会議で、天皇の即位に祝意を示す「賀詞」を全会一致で議決し、共産党も出席して賛成、大政翼賛政治へ賛同するこうした一連の天皇迎合路線に新たな右傾化の一頁を加えたのだと言えよう。
こうした象徴天皇制に迎合するかのような路線転換と、追い込まれたうえでの柔軟な野党共闘路線への転換で、統一戦線の前進がありうるとでも考えているのであろうか。そのような甘い考えでは、野党勢力の地滑り的な敗北を招きかねないのである。統一戦線の前進を支えるのは、付け焼刃的な姑息な柔軟性ではなく、私的党派的利害を超えて、分かりやすい明確な政策、行動綱領を明確に示し、少しでも情勢を前向きに変える人々を献身的に支え、そのために創造的に介入し、より広範な人々を結集させる「知的・道徳的ヘゲモニー」の一貫性こそが求められているのだと言えよう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.498 2019年5月

 

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