【投稿】90億ドル援助差し止め訴訟

【投稿】90億ドル援助差し止め訴訟
          市民の権利を侵害する東京地裁の不可思議な「イヤガラセ」

1.ことの発端と経過
新聞やテレビのニュース番組などで「永田町の論理」という言葉はよくきくが、裁判所にも市民の論理とはかけ離れた「独自の論理」が存在することを初めて知らされた。・・・・すでにマスコミ報道などでご存知と思うが、ある市民団体が起こした90億ドル援助差止訴訟に関する例の一件である
(前々号の「青年の旗」で、この訴訟が起こされるに至る経緯は簡単に触れられている)。この件に関しては、若干分かりにくい点があるため(実は筆者自身がよく分かっていない)、整理するためにも、日記風にことの発端と経緯を綴っていきたい。
3月4日 「ピースナウ!戦争に税金を払わせない市民平和訴訟(以下市民訴訟と略称)」は、岸戦争での90億ドル追加支援支出は平和憲法の精神に反するとして市民571名の原告をもって政府に支出の差し止めを求める訴訟を起こした。民事訴訟では、訴訟の目的の価額に応じて裁判所への手数料が決まっている。市民訴訟側は「請求が認められても、原告が得ることができる直接の経済的利金は算定不能」な場合の法定額95万円を全員一括の訴額とし、それに見合う手数料8200円の収入印紙を書類に貼付して裁判所に提出した。
3月29日 東京地裁民事二部から「訴額の算定について」(日付は3月20日)と題する裁判所見解が市民訴訟側に郵送で送られてくる。以下原文を転載すると・・・・・・
「一般に、請求の原因となる原告の被告に対する権利が財産上の権利であるか否かにかかわらず、当該請求が、被告に対して第三者に対する一定の金銭の給付等(又は給付しない等という不作為)をすることを求めるものである場合には、右の給付等に係る金銭の額を基準として訴額を算定すべきものとされている。(中略)右のような考え方を前提とすると、本件請求の趣旨第一項の破告国に対して90億ドルの支出の差し止めを求める請求については、右90億ドルをもって訴額算定の基準とすべきこととなるのではないかと考える。(中略)本件請求の趣旨一項及び二項の各請求が、各原告個人に固有の人格権(又はこれに顆する権利)に基づく請求であることからすれば、右各請求に係る訴えの利益は原告ら各人ごとに個別に存するものと解すべきことになり、したがって、右各請求の訴額を、全原告を一括して95万円とすべきものとする原告らの主張には、問題があるように考えられる。(以下略)」
…どうにも分かりにくい文章であるが、平たく解釈すると、「訴額は90億ドルを基準とすべきだ、訴えの利益は各人ごとに個別にあると解釈すべきだ」ということで、これに従うと、訴額は90億ドル×571人分で5兆1390億ドル(≒685兆円)、手数料は3兆4千億円という途方もない金額になってしまう。
4月22日 あまりに非常識な対応に市民訴訟側弁護団も反発、東京地裁民事二部に面会を申し入れるが拒否される。
5月7日 「訴額算定に関する意見書」を民事二部に提出して、同時に記者会見を行う。全国版の新聞に取り上げられたり、テレビニュースで特集として面白半分に扱われたりと、裁判所の常識はずれな対応が一躍脚光を浴びる。
5月15日 ついに沈黙を守り切れなくなった裁判所側が、市民訴訟側との会見に応じる。以下は東京地裁民事二部 涌井裁判長の釈明発言。
「誤解を解きたい。あくまで問題点を指摘したまでのことで、決してこのような算出方法で印紙を貼れと言ったつもりはない。意見をよく聞いたうえで、結論を出したい」「(印紙問題は)で撤回するとは言えないが、決して非常識な結論にはしないつもり」
5月27日 裁判所側、前記の見解を事実上「撤回」。しかし、「訴えの利益は原告・人ひとりにある」と言う立場は維持し、267万9000円(第二次提訴分を合わせると合計399万円)の手数料を新たに支払うよう追徴命令を出す。
6月1日 市民訴訟側、原告団会議を開催。対応を検討し、「それでも高額で、裁判を受ける権利を奪うもの」と反発はしつつも、これ以上裁判の本質からはずれたところで争っても時間を浪費するだけという見解から、第一回公判の開催を優先させるため、2人を残して569人が訴えを取り下げる「代表訴訟方式」に切り替えることを決定。追加手数料4000円を裁判所に納入。第一回公判に日程も9月初旬に決定し、それに向けての準備を進めている。

2.今回の事態の問題点
こうした「イヤガラセ」としか考えられない攻撃について詳しく述べる必要はないと思うので、少々私見を述べてこの文章のまとめとしていきたい。
・今回の東京地裁の攻撃は、誰が見ても「国の不利益になるような訴えはやめろ」という意味の「法律言語」なのだが、それにしてもあまりに荒唐無稽なやり方に、もう少し他のやり方もあったのではないかと他人事ながら心配してしまう。ただでさえ日本の裁判費用は日米構造協議で取り沙汰されるほど高いのである(ちなみにアメリカでは、どんな高額の賠償請求でも一律100ドルほどの手数料で裁判が起こせるという)。今回の問題が国際的な協議の狙上に上がればまた日本の立場は狭くなってしまう。そのとき槍玉に挙げられるのは東京地裁自身なのである。
・5月27日の追徴命令と同時期に、大阪で同様の訴訟を起こしている市民グループに対して同じ内容の追徴命令が出されている。それまで何のイヤガラセもしてこなかった地方の裁判所も東京と足並みを合わせるように攻撃を加えてきている。
今後も様々な横槍がこの訴訟に加えられるであろう。話には聞いていたが、実際自分が関わっている運動にこのような攻撃がかけられると、いったい日本の民主主義はどこに存在しているのかといまさらながら心が寒くなる思いである。
今後もこの裁判の動きを紙上で報告していきたい。
(東京G)

【出典】 青年の旗 No.164 1991年6月15日

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