青年の旗 1984年4月1日 第86号

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【講演録】 「八四春闘の課題について」—吉村励大阪市立大学教授

三月二〇日、大阪で関西労働講座三月例会-八四春闘討論集会が開催され、大阪市立大学教授の吉村励氏が、「八四春闘の課題について」の全体講演を行った。以下は、その講演の内容の要約である。なお文責はすべて編集局にある。

Ⅰ はじめに
一九七四年に国民春闘が始まって一〇年が経過するが、七四年に三〇%を超える賃上げを克ち取ったものの、七五年からの不況を背景に賃上げ率は低下の一方をたどってきた。特に昨年の八三春闘は、春闘が本格化して以釆、最低の率となり、日経連は総括会議で高らかに”勝利宣言”を行い労働側は手痛い敗北をこうむった。今八四春闘はこうした経過を踏まえて、ひき続き運動の後退を許すのかあるいは上昇局面とできるのかその重要な結節点といえる。

Ⅱ 八四春闘を巡る特徴点
八四春闘を巡る特徴点の一つである、景気動向については、三月決算で企業収益の経常利益が今までにない利益となるようで、これが労働側に強気の展望をもたらしているが、雇用情勢はあいも変わらずであり、このことは減量経営-合理化が着実に進行していることを示している。
二つめは八二人勧凍結、八三人勧抑制と政府・独占はひき続き人勧凍結の姿勢を崩していないということである。三つめは、全民労協がはじめて人勧凍結反対を明示し、人勧凍結反対では官民の足並みが一応そろうといったひとつの前進があることである。四つめは鉄相場からの脱却をめざして摸策が始まっていることである。確かに戦術面においては従来のJC回答から私鉄回答へというパターンから一点集中型へ移行するなど前進がみられるが、こうした戦術面のみではなく本当に下からの運動の構築が要請されている。
そうした点で、私達は国民春闘という内容を再度点検する必要があると思われる。国民春闘については”構想あれども実体なし″といわれるように、そこには国民春闘の実体への疑問が投げかけられているからである。

Ⅱ 国民春闘が問われていたもの
春闘が始まる以前は、エンゲル係数が六〇~七〇に達し、労働組合の要求は当然「食える賃金をよこせ」ということで、賃金闘争だけでことたりたが、エンゲル係数が低下しつづけ、三〇%以下になると生活環境の変化とともに当然その要求も異なってくる。つまり賃金や労働条件など労働現場、労働組合のレベルで解決できる問題とその枠にとどまらない制度闘争の必要性である。こうしたことを背景に打ち出されてきたのが国民春闘である。
さらにいうと国民春闘には二つの面がある。一つは生活制度、つまり福祉に対する闘いである。(今日では福祉の中には生活環境の全てが含まれる)そして、これらの課題は、一般市民と労働者が共有する課題、言いかえれば市民としての労働者の要求である。もう一つは、制度闘争として組織された労働者が乗組織の労働者に普及させていく課題、例えば最貨や男女雇用平等法などがある。
ところが、こうした国民春闘も”行革”という名の政府・資本の反動攻勢に対応しきれなかった。行革は国民春闘路線に対する政府資本側の回答であった。国民春闘に実体があればそうはなっていなかったであろう。つまり、問題意識は正しかったが、何故運動化しなかったのかという問題になってくる。

Ⅳ 国民春闘の本格的構築を
これは極論かもしれないが、国民春闘会議の構想のなかに春闘を活性化させる前段として、国民の好感を得て、政府を引きずり出し譲歩を克ち取るといった組織労働者の安易さとオゴリがあったのではないかと思われる。また、福祉は恩恵ではなく、権利であり闘いとっていくものであるという大原則が忘れられ、弱者のために闘いとってくるという発想になっていたのではないか。大切なことは自主的な運動を組織することを支援するという観点である。運動論の具体化、闘争をになう組織の問題、組織論の欠如があったということである。
最後に、組合組織の実態とその活性化についてであるが、現在の組合員の大部分を占める無関心層であるが、こうした組合員の中にも様々な深刻な要求(例えば救急医凍や教育控除等に関して)を持っている人は多い。こういう人を集め、要求組合をつくることが必要である。そして、その活動の中で無関心層の組合員にも一定の責任を与えて、運動に主体的にかかわらせていくことが必要だし、市民にも窓口を開けておくことが必要である。こうした運動のなかで官民分断も防いでいく可能性が生まれるだろう。

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