【書評】 ①山本章子『日米地位協定』
(2019年5月刊、中公新書、840円+税)
②松竹伸幸『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』
(2021年2月刊、集英社新書、880円+税)
(一)
2004年8月13日、イラク戦争が泥沼化する中、訓練中の米軍ヘリが沖縄の米海兵隊普天間飛行場への着陸に失敗。隣接する沖縄国際大学に墜落した。全長27メートル、約22トンのヘリの本体は大学本館に激突して爆発炎上、破片は周辺の民家29戸、車両33台に突き刺さった。ヘリの乗組員3名は負傷したが、大学が夏休み中であったこともあり死者や負傷者はいなかった。
「事故直後、約100名の米兵が、普天間飛行場と大学を隔てるフェンスを乗り越えて大学構内に無断侵入する。宜野湾市消防本部が、米軍よりも早く到着して消火活動にあたり、ヘリの乗組員を軍病院に搬送していたが、米軍は消火に成功した市消防本部を立ち退かせ、道路も含めた事故現場一帯を封鎖した」(本書①より、以下同じ)。
この後1週間、現場は、大学関係者をはじめ、市や県や沖縄県警や外務省の担当者全てが、米軍の注文によるピザ屋の配達員を除いて、米軍によって立ち入りを禁止された。「米軍は単独でヘリ機体の残骸や破片、部品とともに機体の油などが付着した大学の木や土を回収し、機体に使用されていた放射性物質の影響を検証した後でひきあげる。米軍側は、日本側にヘリ乗務員の氏名を明かすことも拒んだ」。
「訓練から事故対応までに至る米軍のこれら一連の行動はすべて、日米地位協定にもとづいている」。
これ以外にも、在日米軍基地周辺での事故や米軍兵士による犯罪は多くの人の記憶に残っている。そしてこれらのニュースを聞くたびにわれわれは怒りを覚えるとともに忸怩たる思いを抱くが、しかしかかる事件の背景に存在する日米安保条約と日米地位協定という壁にぶつかり、これに対して無力なままの現状に失望する。とりわけこれまで日米地位協定に対する改定、対等平等のへの要求が幾度も叫ばれながらも、ほとんど進展が見られないのは何故なのか。これら2冊の書はその手掛かりを与えてくれる。
日米地位協定の起源は、1951年のサンフランシスコ講和条約締結の際に、独立後も引き続き米軍の駐留と基地の使用を認める日米安保条約と日米行政協定を結んだことにある。この後1960年の安保改定の時に、日米地位協定へと全面的に改定された。しかし在日米軍の既得権益である基地の管理権と裁判管轄権・捜査権については日米行政協定の内容が実質的に引き継がれている。
本書①は、この背景に「日米安保改定の際に日米両政府が別途作成し、長らく非公開だった『日米地位協定合意議事録』では、日米行政協定と変わらずに米軍が基地外でも独自の判断で行動でき、米軍の関係者や財産を守れる旨が定められている」ことがあると指摘する。つまり地位協定条文の文言と実際の運用との間に乖離が存在してきたのである。
本書①は述べる。
「日米地位協定への批判は、より対等な改定の要求と結びついてきた。だが、二一世紀初頭まで非公開だった日米地位協定合意議事録に従って運営されてきた事実は、日米地位協定の改定によって問題は解決されないことを意味する。したがって、日米地位協定を論じるのであれば、改定に消極的な日本政府の安全保障政策のあり方や、その根幹にある駐軍協定としての日米安保条約の側面にも本来は目を向ける必要がある」。
つまり在日米軍の駐留という視点から戦後の日米関係を見ることが、地位協定の見直し、改定への重要な環であるとする。この視点から本書①は、日米地位協定には規定がないが日本の負担となっている在日米軍駐留経費(「思いやり予算」)の経緯と問題点を指摘する。またNATO諸国やフィリピンが結んでいる地位協定と比較して、「日米安保の根幹的な問題とは、同盟関係を規定する条約と基地協定とが一体となっていること」が、「常に有事を想定した米軍の訓練」、「非常事態、緊急事態を前提とした基地の使用」を可能にしており、同時に日本政府の改定への自主規制の力として作用しているとする。
そしてまた米国政府が地位協定の中で刑事裁判権・裁判管轄権に最も高い優先権を与える理由を、米国内世論の孤立主義を刺激しないため──すなわち「米兵・軍属が外国で『不公正』な司法制度によって裁かれた場合、米国政府が国民の支持を得て海外に軍を展開できなくなる可能性があるから」──であるとする。
(二)
本書②は、1960年の安保改定の際に行政協定が地位協定に改定されるに当たって、外務省が各省庁からの意向を聴取して57項目にまとめ、その条項の問題点と改定すべき方向を詳細に検討した「行政協定改訂問題点」(1959年)を軸に地位協定を検討する。残念ながらアメリカ側との交渉ではそのほとんどが認められなかったが、「政府に仕える官僚として日米関係の根幹を変えるような提案はできない、とはいえその範囲であっても主権国家としての意地は見せたい、しかしアメリカの厚い壁をなかなか崩しきれない──。そんな苦悩や意気込みと落胆」(本書②より、以下同じ)が見えてくるような文章であると述べる。
そして本書②は、日米関係の実態は、「占領延長型」、「有事即応型」、「国民無視型」の三つに特徴づけられるとして、地位協定の条文を上段に、それに対応する行政協定の条文を下段に置き、その上で「行政協定改訂問題点」を紹介するという叙述で地位協定の全条項を検討する。専門的で細かい外交・法律用語も並ぶが、「日本政府が主権国家にふさわしい協定にすることをどの程度考えていたのか、その考え方は貫かれたのか挫折したのか」を解明する。
その詳細は、面倒ながら本書②を読んでいただくほかないが、例えば、「第1条 軍隊構成員等の定義──禍根を残した『軍属』の曖昧さ」(副題は著者、以下同じ)に関わっては、2016年4月、沖縄で強姦目的で米軍属が女性を殺害した事件では、その軍属が米軍に雇用されていたのではなく、民間の請負業者(インターネットの関連会社)の社員であったが、そんな人間にまで「軍属」として地位協定で特権を与えていることが問題になった。
「第6条 航空交通等の協力──軍事優先で米軍が管制を支配」では、法的根拠もなしに、羽田空港を出発して北陸、中部、九州方面に向かう飛行機の大半は(逆もしかり)、米軍横田基地の進入管制(横田空域)で米軍の許可を受けねばならず、広島、高松、松山各空港では、米軍岩国基地の管制(岩国空域)を受けねばならないという民間機が外国軍の管制を受けるという世界的非常識がまかり通っている。
その他「第9条 米軍人等の出入国──日本側はコロナの検疫もできず」、「第13条 国税と地方税の支払──広範囲に免除した上に」と問題点が山積し、更には「第21条 経費の分担──特例が原則になっていいのか」では、地位協定に規定がない費用について特別協定が次々と結ばれ続けているなど、異常な状況が存在していると、指摘される。
(三)
以上地位協定の深刻な諸問題を提起している2冊であるが、ではここからの脱出の途は何処にあるのか。
本書①はこう述べる。
「現実に米地位協定改定が実現する可能性が低い以上、本書で論じてきた日米地位協定のさまざまな問題点は解決できないのか。そうではない。1960年に日米地位協定とともに日米両政府が取り交わした、日米地位協定合意議事録を撤廃するという方法がある」。
その理由は、「第一に、合意議事録が国会の審議を経ていない点で正当性を持たないことだ。(略)正当性を持たない合意議事録を維持することは、日米地位協定そのものの正当性に関わってくる。/(略)/第二に、交渉の難易度が下がることだ。(略)合意議事録の撤廃という論点はシンプルであり、交渉期間の長期化を回避しやすい」と。
ただし著者は安保条約支持の立場に立っており、これを提起するのには、「日米地位協定が抱える問題を放置することは、日米安保条約の脆弱性につながる。日米同盟を盤石にするためには、この問題から目をそむけずに解決する必要があるだろう」との視点からの日米同盟の対等化という主張であることには留意しておく必要があるだろう。
また本書②は、「軍事にかかわる問題になると日本に決定権がないというのは悲しい現実です。そこから抜け出すのは容易ではないにしても、必ずやり遂げねばならないことです」として、「現行協定の不平等性を指摘して問題点を改定する闘いと、現行協定下であっても主権の平等という国家間の原理を貫かせる闘いと、その双方が求められる」と主張する。
すなわち「たとえ文面に曖昧さがあっても、解釈次第では日本の主権を主張することが可能な場合も少なからずあるのです。そういう場合に、『地位協定が差別的で日本は主権を侵されている』と主張するのは、地位協定の問題点を明らかにすることには役立っても、『だから地位協定が変わらない限り現実をかえることはできない』とまで思い込んでしまっては、現状の協定下でも実現できる可能性を放棄することになりかねません」。
また「協定の条文を骨抜きにするような密約がある場合も、『密約がある限り何もできない』とするのではなく、協定本文の建前を貫かせる闘い次第では密約を跳ね返す可能性があるということです」と示唆する。
このように地位協定の改定の戦いには、状況に応じて一歩でも二歩でも陣地を広げていく地味な闘いの積み重ねが必要とされる。われわれの運動の視点を考えさせてくれる2冊である(R)