MG10 民主主義の旗10号

「民主主義の旗」第10号 1964年1月26日  PDF版

主な記事
☆ 京都学生運動の危機とわれわれの任務
☆ 大阪府寮代議員会開かれる
☆ 京大自治会後期選挙終わる
☆ 全関西民主主義学生交歓学習会への招待

【主張】 京都学生運動の危機とわれわれの任務

1 全学連崩壊後、最も先進的、戦闘的運動を展開してきた京都学生運動は、昨秋の分裂以降、その危機が現実のものとして語られている。京都の運動が現在、日本学生運動の中で占める位置は極めて重大であり、その今後の動向は、全学連再建の展望を大きく左右するものであろう。それ故に、京都学生運動の危機の原因とその克服の方途を真剣に追及することは「闘う全学連再建」をめざすわれわれの急務である。

2 京都学生運動の危機は、昨秋京都各大学の統一派(=民青)が従来の「統一戦線方式」から、府学連への分裂方式への移行にふみ切って以降急速に進行している。大衆運動の分裂ー学生運動と自治会の権威の低下、大衆の無関心状況ー活動家の「疲労」と政治的ニヒリズムー更には政治的潮流間での暴力沙汰等々・・。二,三年前東京で繰り返され、東京の学生運動を解体に導いた諸現象が、京都において現実のものとしてたち現れている。
去る12月9日の同志社大学暴力事件は、京都学生運動の危機の集中的表現である。そして京都には、同大事件を頂点とした数多くの暴力事件に対して、それをいかなる部分が行おうとも、公然と、断固として、自治会活動からの暴力追放を要求し、自治会民主主義の原則を最後まで貫徹する部隊が現在大衆的に存在しないところに、われわれは”危機”克服の最大の困難さを見出すのである。

3 日本学生運動の現在の分裂と解体は、何よりも指導部の分裂と民主主義破壊ーその必然的帰結としての暴力沙汰によってもたらされたが、京都においても又然りである。
全国的運動の解体がマル同と平民学連の赤色自治会主義と分裂主義によって主要に特徴うづけられるのに対し、京都のそれは、統一派(民青)の「統一戦線方式」から平民学連方式への移行と「ブンド的学生運動」の崩壊がその主要な特徴をなしている。
”危機”以前の京都学生運動の大衆性と戦闘性の根拠は主要に次の点にあった。即ち第一に京都府学連の指導権を握る社学同が、大衆の利益を一定程度反映する政策を提起し、大衆運動を推進してきたこと。
第二に、厖大な活動家を結集する統一派が、平民学連型の分裂主義と身のまわり主義に組せず、運動を下から支え、運動の統一を守ってきたことである。(多くの場合、後者が前者を規定してきた)
それ故に昨年9月京都統一派が平民学連に屈服し、府学連への分裂活動を始めたことは、京都における”危機”を導くこととなった。そして分裂の深化の中で、「ブンド」的学生運動は、統一派の大衆的「カセ」から解放されて、その論理を純化された形で展開し、大衆からの孤立と官権の集中的弾圧の中で、憲法闘争を待ちくたびれて、崩壊した。
大衆運動の昂揚の中で、ブンド的学生運動論の破産が証明され、大衆的に克服されるのではなく、ブンド的学生運動の崩壊が同時に、京都学生運動の危機深化の過程となったのである。
このことは、京都統一派の転換=分裂方針が、先に述べた京都学生運動の大衆性と戦闘性の主要な根拠を喪失させ、ブンド的学生運動(=街頭ラディカリズム、極左冒険主義)の自治会ー府学連の名の下での規制なき展開を許した。
それ故、ブンド派の大衆からの孤立が、統一派による大衆的支持の獲得とはならず、大衆の政治的アパシーの増大を結集せしめ、またブンド的学生運動論の明白な破綻にもかかわらず、統一派に結集する広汎な活動家の中に「政治的疲労」=ニヒリズム状態がもたらされていることは、分裂と言う決定的、本質的な誤りを犯した京都統一派への当然の「罰」なのである。京都統一派の政治的責任はー今までかなり原則的な路線をとってきたが故に一層ー免れないものである。

4 このような背景の中で行われた京大選挙は、C自治会、同学会での社学同ら反民青五派の勝利ー社学同のヘゲモニーの維持に終わった。
京大統一派の最大の敗因は、転換=分裂方針であったことはいうまでもないが、もう一つの敗因として、平和と民主主義の原則において、ブンド派と有効に対決できなかったー「争点なき選挙」→既成指導部に有利ーことをあげる必要がある。
ブンド派が今日における最大の問題である平和共存とそのための闘争を否定している以上、それに対する根本的な批判なくしては、大衆の利益の真の擁護者たりえない。とりわけ部分核停成立以降、平和共存の国際的な前進の中で、それに敵対するブンド派の立場を大衆的に暴露し、平和共存、軍縮の思想で大衆を獲得することは絶対的に要請されていたし、可能であったろう。しかし、京大統一派が、部分核停の今日における決定的問題について、社学同と対決し得なかったことは、大衆の前にいかなる部分が、真の平和の擁護者たるかを明らかにできなかったのである。
更に、京大選挙に少なからぬ影響力を与えた同大暴力事件については、京大統一派は、同大、大阪等の民青の「正当防衛」論とは本質的に異なる「事件の責任者は学友に謝罪するべきである」との立場をとりながらも、自治会からの一切の暴力の追放の立場の貫徹ー暴力事件に対するこれまでの彼らが誤った態度、「暴力には暴力を」的傾向の自己批判は当然含まれるーをなしえなかったがために、社学同の(これまでの彼らの暴力事件を隠蔽した)欺瞞的暴力反対と反共宣伝を打ち破れなかったのである。

5、京都のブンド派と京都統一派が現在の路線をとり続けるかぎり、京都学生運動の危機からの脱却は極めて困難な道であると言わねばならない。しかし、我々は京都学生運動の東京型への移行=解体を手をこまねいて傍観していることはできない。京都学生運動が解体するとき、全学連再建の展望は、はるかななたへ遠のいてしまうだろう。
我々はこのような現状の認識に立って、次の二つの任務をぜひとも遂行しなければならない。
第一は、大阪府学連が関西的さらには全国的規模での指導性を発揮すること、そしてそのための大阪府学連の強化をはかることである。9月以降の大阪府学連の弱体化ーというよりは指導の放棄ーを早急に克服し、春以降の大衆運動の昂揚を準備することは、京都の全学友に対する最大の援助となるであろう。
第二に京都において大衆の利益と統一の立場を堅持し、京都学生運動の”危機”克服を真になしとげる大衆的部隊の登場のために、最大限の援助を行うことである。
この部隊が現存する京都のどの潮流の中から生まれるものであれ、それとも全く新しく生まれるものであれ、その時我々は、京都学生運動の、全学連再建の偉大な任務の中で占める輝かしい役割を語りうるであろう。