【投稿】日韓合意をめぐって 統一戦線論(20)
<<実に奇っ怪な交渉経緯>>
先月末、12/28、2015年末ぎりぎりの、慰安婦問題に関する日韓最終合意は、実に奇っ怪なものであった。これまで軍の関与を繰り返し否定してきた安倍政権の姿勢からして、何故に急ぎ、年内合意を目指そうとしたのか不可解なものであった。年明けにその謎の一端が浮かび上がってきた。北朝鮮の金正恩政権が1/6、水爆実験の成功を唐突に発表したが、少なくとも米政府はあらかじめ知っていた可能性があり、「慰安婦」問題で険悪な関係にある日韓双方になんとしても合意を急がせ、強い圧力をかけた構図である。好機到来と、実に都合よく、そして謀略的に金正恩政権が米・日・韓それぞれに利用された「三者談合」だともいえよう。
問題は、この日韓外相会談が開かれる何日も前からすでに日本のマスコミでこの交渉最中の合意内容がすっぱ抜かれ、「最終的かつ不可逆的に解決」されるという報道が日本国内で流されたこと。そして、韓国メディアも後追いで一斉に続いた、情報操作を疑わせる事態の展開である。それは、慰安婦問題に関し「二度と提起しないという約束」やソウル日本大使館前の「少女像の撤去」といった日本政府側の前提条件をつけた合意であり、日本側の支援金拠出について、ある政府関係者は「1億円で韓国が納得するかわからない。20億円なら韓国はいいだろうが、日本はとてものめない」と話している、などといった、意図的なリーク情報であった。会談も合意もしていない段階で、事前交渉を暴露し、外交をゲーム感覚で有利に操ろうとするこうした安倍政権の卑劣な策動が臆面もなく展開された上での日韓合意であった。
岸田外相は12/28の両国間の合意内容を発表する共同記者会見で、「慰安婦問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と表明し、「安倍内閣総理大臣は、日本の内閣総理大臣として、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしにくい傷を負われたすべての方々に対し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」という立場を代読した。そして、韓国が設立する財団に10億円規模を日本政府から拠出し、日韓両政府が協力して元慰安婦を支援する事業を行っていく方針も表明、この枠組みを進める前提で、慰安婦問題についてそれぞれ「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」「国際社会で互いに非難することは控える」と強調した。
同日、直ちに舞台裏の仲裁者である米政府は声明を発表し、「米国は両国政府が合意に達したことを祝福する」と表明、「勇気を持ち、この困難な問題に対する永続的和解を構築しようというビジョンを持った日韓両国のリーダーを称賛する」と日韓両首脳の決断と指導力をたたえた。
<<「最終的かつ不可逆的」とは>>
しかしこの合意は、政治決着を急ぐあまりのにわか作りのためでもあろう、日本側の作為的な意図でもあろう、いくつもの問題が露呈している。
まず、「軍の関与」はあくまでも岸田外相の口頭での発言であり、共同文書化もされていないし、閣議決定でもない。そして1993年河野内閣官房長官談話よりも明らかに後退している。河野談話は、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」と明確に述べており、さらに「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」と述べて、「歴史の真実を回避しない」、「歴史教育を通じて、同じ過ちを決して繰り返さない」という、日本側の責任となる“再発防止”措置に言及している。しかし今回の合意はこの最も重要な項目について何も述べておらず、約束もしていない。安倍政権下で慰安婦問題が日本の教科書から一切削除されてしまっている現実までも不問に付されている。
その反映でもあろう、ソウルでの共同記者会見の直後に、首相官邸で行われた記者会見で安倍首相は、肝心の「軍の関与」、「おわび」と「反省」には一言も触れず、「最終的かつ不可逆的に解決」についてのみ言及し、「先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。今後、日韓は新しい時代を迎える」と強調した。安倍首相は「合意に『最終的かつ不可逆的な』という文言が盛り込まれない場合は、交渉をやめて帰ってくるように」と岸田文雄外相に指示していたという(読売新聞12/29付)。さらに安倍首相は側近に「昨日ですべて終わりである。再び謝罪もしない。以後この(慰安婦)問題について一切話さない」と明らかにしたと産経新聞が12/30付で報じている。
この「最終的かつ不可逆的」という文言は、韓国側から、日本側が再び国家や軍の関与がなかったなどと蒸し返させないために提起されたという報道もあるが、安倍政権側は、これをもう二度と謝らない、反省もしない、話題にもしない、取り上げることすらしない、という切捨ての論理に逆利用したのである。いわば逆ねじを食わしたわけである。だからこそ安倍首相は、このような問題を「永く記憶にとどめ」(河野談話)ることを拒否し、「昨日ですべて終わりである。再び謝罪もしない」と言ってのけたのである。
さらに10億円の拠出について、岸田外相は、日本の記者団に 「(日本政府の予算拠出は)賠償ではない。道義的責任ということに変わりはない。(今回の交渉で日本側が)失ったものがあるとすれば、10億円だろう。予算から拠出するものだから」と述べ、被害者が強く求めている賠償ではなく、法的責任を認めたものでもないことを強調している。道義的責任に基づく一種の施しなのであって、法的責任、義務、賠償なのではない。10億円さえ出せば日本側は何もしなくても済む構図が作られたのである。
しかもこの拠出は、「少女像撤去が前提」であって、「像が撤去されない限り、資金は出さないというのが首相の意向」であり、韓国側に伝えているという(時事通信12/31)。首相は、岸田外相に12/24、年内訪韓を指示した直後、自民党の派閥領袖に電話し、少女像の移転問題について、「そこはもちろんやらせなければなりません。大丈夫です」と語ったという。心の底から真摯に過去を反省し、真に日韓両国民の関係改善や建設的関係の新しい時代を迎えることを望んでいる人間が、このような発言をするであろうか。被害者にとって許しがたい発言であり、これは、歴史的な和解とは無縁な、むしろ和解を遠ざける帝国主義的な抑圧者の言い草である。
菅官房長官は1/4、BSフジの「PRIME NEWS」に出演し、「慰安婦」問題に関する日韓両政府の合意について、「最終的かつ不可逆的な解決というのは、ゴールポストが動かないということだ」、「約束したことを、しっかり履行していくことが大事だ」と強調し、すべての責任を韓国側に丸投げし、同時に、「国際社会が見ている。アメリカのホワイトハウスも声明を発出している」と述べ、「安全保障を考えたときに、非常に大きなことだった」と本音を吐露している。
結局、日韓両政府、そして米政府が手を組んで、被害者に「像を撤去しろ」「もうこれ以上は文句を言うな」と押さえ込む構図を作ったのである。
<<共産党までが翼賛、評価>>
安倍政権はしてやったり、うまくいった、10億円で済んだ、とほくそ笑んでいるのかもしれないが、最も基本的な人権問題、とりわけ女性の人権重視に関して、これほど誠実さのひとかけらもない、卑劣な、汚点をさらけ出した外交交渉はなかったのではないだろうか。
ドイツのメルケル首相はナチスの犯罪に関して「歴史に終止符はない」とし、「ナチスの蛮行を憶えていなければならないのは、ドイツ人の永遠の責務」だと宣言した、その視点、姿勢が安倍政権には皆無なのである。元「慰安婦」とされた当事者の意向を一度も確認せずに、むしろ意図的に排除して、「最終的かつ不可逆的に解決する」ことなどできようはずはないし、こんな上から目線の不誠実さの象徴のような謝罪が受け入れられるはずもない。
ところが、日本側のこの日韓合意に関するマスコミ報道は、圧倒的に安倍政権への翼賛報道で埋め尽くされている。
日韓合意翌日、12/29の各紙社説は、押しなべてこの合意を評価し、政権に擦り寄る姿勢を鮮明にしている。朝日新聞の社説「節目の年にふさわしい歴史的な日韓関係の進展である。両政府がわだかまりを越え、負の歴史を克服するための賢明な一歩を刻んだことを歓迎したい。」が、その典型である。毎日新聞も「戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年に合意できたことを歓迎したい。」、東京新聞、日経もほぼ同様である。読売は「慰安婦問題合意 韓国は『不可逆的解決』を守れ」、産経は「慰安婦問題で合意 本当にこれで最終決着か 日本軍が慰安婦を『強制連行』したとの誤解を広げた河野談話の見直しも改めて求めたい」と、韓国側への不信と不満を露骨に表明している。いずれにしても日本のナショナリズムをくすぐり、安倍政権を持ち上げる翼賛報道である。
ところが、こうした翼賛報道と闘って来たはずの共産党までが、評価に値するものがあるのかどうか疑わしいこの日韓合意を持ち上げだしたのである。12/29の志位委員長の談話は、
「一、日韓外相会談で、日本政府は、日本軍「慰安婦」問題について、「当時の軍の関与」を認め、「責任を痛感している」と表明した。また、安倍首相は、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした。そのうえで、日本政府が予算を出し、韓国政府と協力して「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業」を行うことを発表した。これらは、問題解決に向けての前進と評価できる。
一、今回の日韓両国政府の合意とそれにもとづく措置が、元「慰安婦」の方々の人間としての名誉と尊厳を回復し、問題の全面的解決につながることを願う。」
これだけである。あきれたものである。事前報道がかけめぐり、当日の安倍首相発言まで明らかにされていて、これをなんら批判できない、むしろ持ち上げ、これにおもねり、評価している。共産党に根強く支配している民族主義のわなにからめ取られてしまったのであろうか。今からでも遅くはない、こうした評価を転換すべきであろう。
さらに危ぶまれる共産党の政治姿勢の卑屈な変化が表面化している。国会の玉座の天皇の「(お)ことば」を聴くために、国会の開会式に志位委員長、山下書記局長ら6人が69年ぶりに出席し、起立して頭を下げ、志位氏は記者会見で「良かった」と感想を述べている。「象徴天皇制」を民主主義と平等原則に反すると「綱領」に記し、天皇制と向き合い、主権在民、民主主義の徹底のために闘ってきたはずの党が、この事態である。これと連動するのでもあろうか、2015年の天皇の歌会始の選者で、「勲章や選者としての地位が欲しい」と批判されている歌人の今野寿美氏が、こともあろうに赤旗「歌壇」の選者になるという。象徴天皇制のまさに象徴的なイベントである「歌会始」の選者が、赤旗「歌壇」選者になるのは初めてのことである。
「国民連合政府」実現という共産党の統一戦線構想実現のためには、こうした政治姿勢の転換が必要だと判断されたのであろう。民主主義の徹底とは無縁な、ナショナリズムに立ち位置を変えた「民族民主統一戦線」路線に変質させようとしているのであろうか。こうした危なっかしい路線転換は早急に是正されるべきであろう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.458 2016年1月23日